2009年3月30日 (月)

自分を引き締める言葉

こんにちは。yaccoです。
最近はなんとなくブログ更新してますね。
あまり中身がないようなつぶやきも多いですけどね。

さて、今日も自分の頭に刷り込みたいことがあってここに
紹介しようと思います。

頭に刷り込んでおきたいのは、知識を広げようとか頭でっかちになる
つもりではなく、単によくない心や感情にブレーキをかけたり
常に自分を振り返り自分を前向きに立て直すためのバイブルを
持っていたいからです。

どなたが書いた文章か、どなたの言葉かは私も知りませんが
同僚を通じていつものお偉いさんに教えていただいたお話です。

私の心にもずしっとくるものがあり、自分のことを言われているように
耳が痛いこともあり、自分のことを解ってくれているように安心もし、
そして、「あー、そうなんだよな~、頑張れ私」って自分を
引き締めてくれるような、そんな温かいメッセージです。

*************************************************

「私が私のサポーター」

桜のつぼみがほころぶのと、笑顔がほころぶのは、本当に似ている。
緊張していた何かがゆるむ瞬間。
ぐっと思い悩んでいたものが晴れる瞬間。
人はとても穏やかな顔になる。

 いつも、威圧的で、緊張していて、しかめ面の「閉じている人」もいる。
話していても開放感がなく、挑戦的で、いつも何かに緊張している。
だから、その人と長時間一緒にいたくない
そして、多くの人はその人のもとを去る。

 開かれていると、空気も流れる。
閉じていると、呼吸のとおりも悪い。
心を開いていないと出会いの流れも悪い。
人との出会いを求めるなら、開いた人にならなきゃいけない。

 春だし、心も体も開かないと。
でも、心を開くと、人を信じると傷つけられると誰かが言う。
だから、人を信じないのだと。
それは、今までの出会いであって、これからの未来も、そんな
色眼鏡で見ていると、見えるものも見えなくなる。
それに何より、傷ついたキズなんて、身体のどこにも付いてはいない。
傷ついたと思うことが、より心を傷つける。
傷ついたと思う人は、やはり閉じている人だと思う。

 「傷なのだ」ととらえるか、「学びだ」ととらえるかで、人は
違ってくるもの。
体のキズはカサブタになり、その皮膚はより強くなる。
筋肉は激しい運動で、より太い筋肉に生まれ変われる。
修復する自信がないなら、しばらくココロの冬眠をすることも必要
だけれど、さらに、強くなりたければ、恐れないで人との出会いの
海原に立ち向かうしかないと思う。

 もちろん、笑っていても緊張している人もいる。
その瞳の中に、攻撃性や不安が隠れている。
人は、人を信じ、周囲に友好的でないと、心は開かない。
だから、深く呼吸して、胸を開くこと、そして、
「相手は敵ではない、安心できる仲間」と、自分に言い聞かすこと。
 何度も、何度も、お念仏を唱えるように。

 人と居ると緊張する、とある人は言う。
相手にどう思われるか、嫌われやしないか、見透かされや
しないか・・・・と不安になるからだ。
だから、この念仏は、そんな人に役に立つ。
そうすると、こころが開いてゆく。
そして顔がほどけて笑顔になる。
桜の花のように。

 自分に自信がない人は、自分をサポートする必要がある。
 仕事ができなくても、誰かにほめられ認められなくても、
かっこ良くなくてもいい。
生きたこと、笑ったこと、子供のように泣きたいのに大人を
演じていること、これこそ賞賛に値する。

 多くのうつ病患者は、自分を責めている。
うまく生きれない自分を。完ぺき主義者の人は、うまく生きると
いう目的が、もともと高いことが多い。
セレブな生活をすること、仕事で成功を収めること、人から称賛
されること、高い目標を持つこと・・・・

 その夢や目標は、誰かの受売りとも知らずに。
それがなければ生きている意味がないと。

 さて、ここであなたに最高のパートナーを紹介しよう。

 自分にとって最高のパートナーとは、友人や、恋人でも、配偶者
でもない。

自分自身というパートナーだ。

なぜなら、いつも自分と一緒にいるのだから。
だから、自分のパートナーをチェンジさせたほうがよい。
他人の攻撃は無視できても、自分の内からの攻撃はこたえるから。
誰より高い目標を押し付けてくる。それも四六時中だ。

 厄介にも、自分自身を責めることが好きなパートナーは
いただけない。
なぜなら、心の奥から自分を責めるのだから。
そう、もっと、頑張りなさい。
もっと、成功をすべきでしょう。
もっと、賞賛され、うらやましがられないと・・・もっと、もっと!ってね。

 そんなに高い課題を自分に与えるのはなぜ?それをクリアしないと、
自分には価値がないとでも言うのかい?それは、なぜ?答えて・・・
過去に、それを求めた人の価値観の受売りではないのか?
その価値観をもった人たちに愛されたかったから、今でもその
価値観を大切にして生きている?
あなたの人生は、あなたが主人公でしょう。
その人の価値観に応えなくても、あなたは生きているだけで
素晴らしい。

 普通の自分ではダメなのですか?この先の見えない時代の中で、
しっかり生きて、夢に迷いそうになっても、それでも、目覚ましを
セットして、明日のために寝床に入る。
そうして、けな気に生きているあなたでは意味がないのですか。
上司に叱られても、腐らないで、笑顔で生きているあなたは、
ほめるわけにはいかないのですか。
何もとりえがなくても、それでも、普通に大人として演じている
自分には価値がないとでも言うのですか。

 僕は誰もが偉いと思う。普通であることが美しいと思う。
泣きたい夜も、不安な帰り道も、それでも、未来の階段を登ろうと
する、あなたを・・・・

 自分をサポートしよう。こんな感じで・・・

 今日のあなたは、よくやった。イヤな仕事を頼まれても、
いやな顔をせずに笑ったあなたに、感動していたよ。
さびしい夜も、未来の見えない明日のために目覚ましをセットして、
明日もしっかり生きるんでしょ。
ガンバレ、私!いつも、見てるよ。
だって、私が、私の応援団長だからね。
子供の時から、あなたを
知っているわ。
とりえがなくて、人より抜き出るところがなくても、あなたはシッカリ
やっている。
大人になって、大人でない弱い自分に気づいても、それでも、
しっかり大人を演じている。
今日も笑ったね。偉かったよ。
明日も、これからも、ずーっとあなたを見ているわ。
誰が見捨てても、私はけっして見捨てないからね。
約束するわ。

・・・・ってね。

なぜなら、どんなに完璧な愛を求めても、自分以上に自分を
見つめている人はいないし、自分以上に自分のガンバリを
サポートできる人はいないから。
人は誰でも自分のことで手一杯。
その他人から完璧な愛を引き出そうとすると、ある時は成功を
することもあるけれど、誰かに完璧な愛を求めると誰かの
不完璧さに苦しむから。だから、足らない部分は自分でおぎなうこと。

 だって、自分のダメさを愛せる人は、他人のダメさにも愛おしさを
感じるから。自分の完璧でないことを愛せない人は、人の足らなさ
にも不満を感じ、いら立つから。
精神分析医カレン・ホーナイは自分を愛せる程度にしか、他人を
愛せないと言いました。

 完璧なものを他人に求めるから、その人のもとから、人は
去っていく。
去っていかれたから、さらに完璧な愛を誰かに求める。
だから、相手の愛の足らなさに敏感になり、相手を責める。
だから、その人もやがてはその人のもとを去っていく。
だから、さらなる完璧な愛情を誰かに求める。
そして、完璧でない相手に、完璧な愛情を確認しようとして
完璧愛情確認ゲームに入ってゆく。
その人も、やがて責めに耐え切れなくなり去ってゆく。
これを「淋しさのスパイラル」と呼ぶ。

 完璧なサポーターは、やっぱり自分自身なのだ。
そして、時折、人は、自分に優しくならいといけない。

だって、人は死なないで生きているだけでも、スゴイことだよ。
誰かに、さよならを告げられても、やっぱり呼吸をしている
自分の身体自身を愛することだ。

 やっぱり明日の太陽は必ず昇るし、また、笑える未来が
あなたにも、しっかり用意されていることを信じていることだ。
人間にとって大切なことは信じられるか、信じられないか。
希望は僕たちを捨てない。
僕たちが希望を捨てるのだから。

 ユダヤの聖典に、神はなぜ人類を生かしているかというのがある。
それは、わずかな「儀なる人」が存在しているからだという。
この「儀なる人」は、有名人でも、金持ちでもない。
ましてや偉い学者や政治家でもない。
儀なる素晴らしい人々は、子供にふりまわされている普通の親で
あったり、上司に無理難題を押し付けられても、ガンバっている人
だったり、何をやってもうまくいかない人だったり。
でも、腐りもせず、殺人や事件も起こさず、笑っている人。
こんな人を「儀なる人」と言う。

 そんなステキな人々が、地球に住んでいるから、神さまは
僕たちを滅ぼさないのです。
そして、「儀なる人」は、自分が「儀なる人」だと気づいていない。
自分は偉いと思ったり、自分は「儀なる人」かな?とナルシストに
なると「儀なる人」からはずされるのです。

 好きな人に去られても、去った人の幸せを願い、優しい気持ちに
なれる人。
親の愛情が足らなくても、生んでくれて、ありがたいと思える人。
自分がうまくいかなくても、他人に拍手を贈れる人。
もちろん、今日、人を愛せなくても、明日愛せたなら、
僕たちは明日「儀なる人」。
また、明後日には、はずされても。そして、その次は・・・・。

 こころが開くか、閉じるかは、起こった出来事ではない。
それを、楽しめたか、楽しめないかにかかっている。
今日も誰かの心が桜のように開かれて、聖なる普通の「儀なる人」が、
たくさん増えますように。

 

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2009年3月19日 (木)

あるコラムより 心のエクササイズ

一昨日、会社で配布された広報誌。
いつもは見ないけど、たまたまパラパラっとめくっていて
目にとまったコラムがあったのでご紹介。

  

★イヤな気持ちとのつきあいかた★

作者:船見真鈴(ふなみまりん) EAPカウンセラー・ジャーナリスト

怒り、悲しみ、苦しみ、切なさ・・。なるべくならこんな気持ちは
味わいたくないものですね。

しかしどんなに悟りを拓いてみたところで、そういったマイナス感情
がなくなることはありません。

というのも、実はマイナス感情は、人間にとって大事なもの
なのです。
マイナス感情は、いわば身の危険を感じたときに生まれます。
イヤな気持ちを感じさせることで、
「これ以上そっちに行ったら危険だよ」というサインを送って
くれているわけです。

つまり、危険から私たちを守ってくれているのですね。
だからマイナス感情は人間にとっては必要。

しかしそれにいたずらに振り回されると、人間関係にも影響するかも
しれませんし、心と体にもよくありません。
マイナス感情と上手におつきあいすることが、毎日を快適に安全に
送るためのヒケツなのです。

では、どうしたら上手につきあうことができるのでしょうか。

まず、第一段階は、客観的になること。
感情に溺れるのではなく、ちょっと引いて自分の心を見て
みるのです。

マイナス感情を紙に書き出してみたり、人に話したりして
いったん外に出すと、自然と心を客観視できるようになります。

すると少し心が落ち着いてきます。
そうして客観的にマイナス感情を見つめたら、次に、それを
分解します。

マイナス感情には、別の気持ちが隠れていることが往々にして
あります。

例えば、怒りを感じたとき。
その感情を分解して中を覗いてみると、悲しみや悔しさなどが
隠れていたりします。

そうやって中に隠れているものを引っ張り出してみると、
「ああ、私は悲しくて怒ってたんだな」
「期待に応えてほしかったのにそうならなかったから、がっかりして
腹がたったんだ」
というふうに、自分の本当の気持ちを分析することができます。

感情が分析できた時点で、かなり心はすっきりしますが、
もう一段階、最後の仕上げを。

「マイナス感情を解消するにはどうしたらいいのか」
を考えてみましょう。

悲しくて怒ってしまった場合、その解消方法が
「悲しかったことを相手に伝えたい」なら、相手を責めずに自分の
気持ちを上手にぶつけてください。
「期待に応えてほしかった気持ちを解消するには?」
と考えて、その答えが「期待するのはもうやめよう」なら、
そう心に決め、実行してください。

ここで強い意思を持つことで、マイナス感情に強い心を育てる
ことができます。
感情は私たちに、常に大切なことを教えてくれます。
ぜひ上手につきあって、心の成熟度を増していってくださいね。

 ~以上~

ふむふむ。
まあ、マイナス感情はよくないものだけど、あっても悪くはない
わけで要は自分の心の持ちようでうまく消化していくことが
大事でそこからプラスに転じていくのかな、って思いました。

「マイナス感情を見つめたあと分解してみる」って書いてある
のだけど、感情を「分解」とか「分析」するっていうと難しく
聞こえますがシンプルに言えばその「本当の理由」ってこと
ですよね。

分解や分析してみるまでもなく、怒りや悲しみや悔しさなど
自分がそう感じる「理由」っていうものは自分だけは知って
いるわけで。

理由の全てや一部を人に言わないだけで、自分だけは
なぜ腹がたつのか、なぜ悔しいのか、なぜ悲しいのか、の
理由はわかっています。

その先は、コミュニケーション自分の気持ちの持ちよう次第、
ってことでしょうか。

コミュニケーションによって理解を深め合ったり誤解をなくすこと
ができればそれがいいし、それが無理そうなら「インサイドアウト」
の話のように自分の気持ちを切り替えるしかない。

自分を変えていくことが大事でもあるんですね。

そういえば水曜日、会社ですごくムカついたことがありました。

別の工場拠点の人から(この人がまたちょっとクセモノと評判)
自分が出した指定書のことでえらく理不尽なクレームを言って
きました。
その言っている内容もこちらが想定できないことで理不尽で納得
いかない上に、言い方がまたカチン!とくる言い様。

ブログで「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」について
頭に刷り込んだばかりなのに、これについて私の受け取り方は
完全に

アウトサイドイン!バッターアウト!(え?ちがう?) 

で、電話を切ったあとも、あまりにも頭に血が上ったままだから
親しい同僚に「聞いて~!!」と怒りをぶちまけたら

ぷしゅー~dash  っと自然にクールダウンしていきました。

上のコラムに書いてあるように、いったん外に出してしまうと
落ち着いてくるものなんですね。
心許せる仕事仲間と話したりしてたらすっかり機嫌もよくなり
水曜日の怒りはすぐに消えてなくなりました。

 

ちなみに会社で配布されたこの広報誌、「電機連合」からの
配布物。
(電機連合:電機・電子関連産業の労働組合を結集した組織)

いつもは配布されてもあまり中身を真剣に見ることはありません。
でも今回は何気にパラパラと中身を見ていてこのコラムに
気付きました。

電機連合は、このコラムをヤッコに教えたかったから
「読んでオーラ」を発していたのでしょうか。

恐るべし、電機連合。

  

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そうそう自分を変えるといえば、中身は変わってないけど
3ヶ月ぶりに今日散髪に行ってきました。
すっきりしました。前回とほとんど同じスタイルだけど。
いつもの散髪直後。

   

      Dvc00119

 

早く切りたかったから今日の帰休を利用して、散髪に行って
ついでにブログも続けてアップしたのでした。

      

  

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2008年6月15日 (日)

若い彼女たちへのメッセージ

最近に限ったことではなく、いつの頃でもいつの時期でも
あらゆる場所で大きな事件や事故が起こり、その度に私たちは
驚かされそして時に心を痛める。

そんな大きな事件や事故の影に隠れてしまった事件や事故、
あるいは表面化していない、事件や事故の未満領域というのは
この世の中でどれだけ起こっているのだろう、と思うと
ため息がどれだけ出ても足りない。

秋葉原事件の少し前に取り上げられたニュースで、
山梨県甲斐市の私立日本航空学園にある屋外女子トイレで
生後間もない男児の遺体が見つかった事件
が報じられていた。

女子高生が逮捕されたわけだけど、とても悲しく心が痛む。

この世に生まれてきた命がまともに生きる権利を奪われ
あっけなく消えていく。

女子高生もこの先ずっと負い目を抱えて生きていくだろう。
今までも誰にも話せずひとりで抱えてさぞ辛かったことだろう。
苦しかったことだろう。心も体も痛かったことだろう。
10代という未熟な感性や限られた狭い知識と知恵の範囲では
どうすることもできなかったのだろう。

赤ちゃんポスト「こうのとりゆりかご」に託していれば、せめて
命だけは助かっていただろうが、大人になりきれていない
女子高生が誰にも相談することもなく、ひとりで解決しようとして
いたのであれば、「ゆりかご」に託す道すらも程遠かったのかも
しれない。

まだ若い彼女たちには私の声は届かないかもしれないけど
やはり自分を大切にしてほしい、と思う。

自分を大切にすることが、人を大切にすることであり、
人を大切にすることが、自分を大切にすることでもあるように思う。
 (それが簡単にできたら誰も苦労なんてしないのだろうけど)

薄っぺらい男女の関係だったのか、あるいは本物の真剣な気持ち
だったのがだんだん色あせて悲しい結末だけが残ったのか、
その人その人で抱えている事情や重みや理由も違うと思うけど
やっぱり傷を負うのは身体的にも女性の方が大きい。

精神的に強い部分もあるけれど、まだまだ女性は弱い部分や
弱い立場を持ち合わせている。

今は女性も社会に進出してずいぶんタフなイメージがついてきた。

だけども社会にまだ出る前の、守られるべき幼い大人未満
女の子は、身体や見た目は大人のようであっても所詮
「女の子」であり、まだまだ弱い存在であるのだ。

だからこそ、そんな弱い部分や弱い立場であることを彼女らには
しっかり自覚して自分で自分の身をを守ってほしいと私は願う。

余計な傷を負わないで済むように、自分だけでなく周りの人にも
余計な傷や不幸を負わせないで済むように。

だけど皮肉なことに、弱っているときこそ、心が何かを求めて
いたりするときこそ、間違った道に迷い込んでしまったり、
甘い罠にはまってしまったり、目の前の楽な道にふらふらと
導かれてしまう
こともある。

また10代とは粋がりたい年頃でもあるから、「真面目」と
思われる考えや行為は素直に受け入れたくない心理が
働いているようにも思える。

それに、「もう自分は子供じゃないんだ」という、子ども扱い
されることへの反発
もあって大人の意見に耳を傾ける
ことがなかなかできないのではないだろうか。

そんな年頃の心理はなんとなく理解できる。
解らないじゃない。
自分も通ってきた道だから。

だからまだ青々しい彼女(彼ら)たちに私たちの声を届ける
のは難しい。
まさに馬の耳に念仏で「ギャルの耳に説教」である。

※その前に、自分が若い女の子のことを「ギャル」と表現
することで、自分で自分がオバサンであることを間接的に
認めているようでちょっと複雑(爆)。

話は戻って、まずは本人がしっかりすることが先決。

身を守る、といっても危険な目にあったときに、柔道のように
背負い投げをしろとか、プロレスのようにサソリ固めをしろとか
そういうことではもちろんない。

最近は出会い系サイトなどで簡単に見知らぬ男女が知り合い、 
うわべだけの、あるいは危険を含むかもしれない交際
人知れずかつ安易に繰り広げられる。

傷つかないこともあるかもしれないが、出会い系サイトなどの
出会い方はまず危険が伴うことが大いにあるということ、そういう
ものを利用する人には誠実な人はまず少ないだろうし、そういう
のを利用する目的には何か思惑があるであろうことをしっかり
認識してほしいと思う。

女の子たちの幼さや未熟さゆえにそれを逆手に取っている
よからぬ人も多いのだ。

そういう大人の汚れた部分を垣間見るからこそ子供は
大人を軽蔑し失望し、それらへのあてつけのように誤った道へ
進みゆくのかもしれないと思うとまた皮肉なものだ。

本当に自分を大切にしてくれる人、本当の自分を理解して
自分を見てくれている人はきっと周りにもいるはずだし、
今はいなくてもきっと現れるはずだ。

まあ、男女問わず自分を大事にしてほしいものだけど、特に
まだ若い10代の女の子達には

 

「自分を大事にすること」 を念頭においてほしい。

 

自分を大事にすると言うことが具体的にどういうことか
難しいのであれば、まずは

 
「軽率な行動はできるだけ避けてほしい」 と思う。


自分が必要以上に傷つくことがあるのだから。

 

大人になっていく過程であっても、普通に人を真面目に好きに
なって普通に恋愛をしてほしい。

 

ただ恋愛の延長上に失恋なんていうのは大いにある。
好きな人との恋に破れることもあるし、終わりが来ることもある。

 
それは自分が幼かろうと未熟であろうと、十分成熟してからでも
どんなときでも誰でも恋愛をするし失恋するときは失恋する

 

それはとても悲しいことだけども、自分が真面目に相手を
好きになって、相手も真面目に自分のことを好きになってくれて
それがいつの間にかすれ違いや溝が出来てしまってお互い
傷つけあって別れたとしてもそれは現実として受け入れるしか
ないし、そんな失恋の痛手も時間が忘れさせてくれるはずだし
それによって少しずつ学び成長もするものだと思う。

 

「失敗は成功のもと」という言葉があるけれども、失恋もある意味
「恋の失敗」であり、でもそれは次の自分に繋がるはず。
その痛手を自分の肥やしとして次により美しい花を咲かせる
ことができるはず。

 

素敵な恋や恋愛を経験できて、この人と出会って良かったと

思えるような人、いい意味で心に残る人と巡り会ってほしい

そういう人との縁はかならず自分の身近なところにもある
だろうし何かに導かれるように引き会わせられることもある

だろうと思う。

 

話が少しそれてしまったけど、先の事件の女子高生に
どんな事情があってどの程度の人との交際があって、
妊娠~出産を経てきたのか、そして遺棄するまでにどんなことを
思ってきたのかは彼女以外の誰にも計り知ることはできない。

 

独りでそのようなことをやってしまったのだから、きっと人に

相談するにもできずに自分だけで抱え込んでいたのだろうと
察する。

 

どんなに無神経で無情の子に見えても、どんなに遊び人風の
子でも、赤ちゃんを人知れず分娩し捨てるという行為を平気で
やってのけることなんて出来
ないはずでありどんな性格で
あろうと心が痛まないはずはない。

 

彼女はずっとそういう大きな負い目や罪悪感に苦しみ続ける
のかもしれないと思うと心が痛む。
もちろん人の手によって命が簡単に抹消されてしまった
赤ちゃんのことを思うとそれ以上にやりきれなくなる。

 

そんな不幸はいとも簡単に自分が作り出してしまう恐れがある
ことを頭の片隅にでも置いておかなければならないのだろうと
思う。

  

そしてやはり周囲の私たちも、その人が抱えている事情は
分からなくても何か悩みを抱えていそうであるとか様子が
おかしいとか気づくことも大事なのかもしれない。

特にまだ幼くて未熟な未成年に対しては、思春期だからこそ
行動や考えが不安定で分別がつきにくいし、道からそれた時の
軌道修正方法も分からないだろうから、私たちが手を差し伸べる
ことが出来たらと思う。

悪いことをする大人もいるけれど、守ってやれる頼もしい味方も
大人なのだ。

すっかり長くなってしまって何が言いたかったのやら・・・(苦笑)

でも、とにかく
人的被害で傷を負う人が少しでも少ない世の中であってほし
と心から願う私なのだった。

は~、それにしても何だか書いててミョーに自分てばオバチャンくさい
よな~って思っちゃった(笑) ま、いっかー。

  

それからこの記事とは関係ありませんが、岩手・宮城内陸地震の
被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。
 

★赤ちゃんポスト関連サイト★

「赤ちゃんポスト」によせて

こうのとりゆりかご関連

「赤ちゃんポスト」児童福祉の現場から

暮らしの中のニュース解説「揺れる“赤ちゃんポスト”」

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最近はちょっと堅苦しい話ばかりであまり面白いことを
書いてないね。
イラストも描いてないし。
でも自分の思ったままに気の向くままに自分のペースで
やっていくと思いますのでこれからもよろしくお願いします。

 

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2008年6月13日 (金)

コミュニケーション2

少し前に「コミュニケーション」ということで、会社HPよりコラムを
紹介しましたが、今回もその続きを紹介したいと思います。

決して他の文章や人の言葉をネタに使って楽しようとかそういう
わけではありませんのであしからず。

**************コラムより抜粋**********************

「職場のストレスとコミュニケーション」

ある調査によれば、職場の何がストレスかと問われれば、
1位:「人間関係」、2位「能力不足」、3位「仕事が多すぎる」
です。

更に、この調査では、仕事そのものがストレスという のではなく、
‘仕事の失敗’が最大のストレスになるとも言っています。

仕事の失敗が「人間関係」、「能力不足」、「仕事が多すぎる」
といわせているのかもしれません。

偶然の事故や簡単なミスといえる失敗もありますが、
こなしきれない量や質によって仕事ができなかったという失敗も
あるでしょう。

仕事に失敗した時、部下に対して責任を過度に追及することは、
やってはいけな
のです。

担当者としての責任は当然ありますが、組織で仕事をすることとは、
組織で責任を負うということであるはずです。

本人は失敗したことを充分に認識し、次にそれを活かそうとして
いるわけですから、その傷に塩をぬることは避けなければならない
のです。

部下の失敗は、上司がフォローし、組織でそれをカバーしていく
のがよい組織というものです。

しかし、どうしても「叱らざるをえない」こともあるでしょう。
その時には、「怒る」と「叱る」の区別をきちんとつけることです。

「これは君の不注意だ。僕の立場をどうしてくれるんだ!」は
自分のうっぷん晴らしに、我がままで怒っていることです。

「叱る」とは相手の成長を考えて指導することです。
「これは会社に不利益を与えていると思う。原因を追究して、
対策をたて、次はミスを起こさないようにマニュアル化してほしい」
は叱る、です。

出来れば、「今回のミスは僕にとっても貴重な経験だった。」と
励ますほどの度量をみせてほしいものです。

怒られればストレスだけが強く溜まり、叱られるのであれば、
自分への配慮と受け取ることが出きるのです。

そのようなよい職場作りをするときに必要な第一歩が、
コミュニケーションです。

朝の挨拶も「おはよう」と声をかけるところから始まります。
通常は「おはようございます」という言葉が返ってくることでしょう。

中には、誰かが「おはようございます」と挨拶をすることを期待する
人もいて、うちは挨拶がないと不満を言う人がいますが、これは
間違っています。

職場のコミュニケーションは、こちらから話すことから始まり
それをリードするのは上司の役割です。

気持ちの良い挨拶が交わされている職場のメンタルは一般に
良好と言われています。

それは挨拶ばかりでなく、職場のコミュニケーション全般が
こちらの‘期待’と相手の‘期待通りの行為’によってつながって
いるからだと考えられます。

コミュニケーションが良いと、こちらの期待は理解されやすく、
相手も期待通りの行為をしやすくなるのです。

その結果、仕事をする上でメンバーに迷いがない職場となって
ストレスが減り、メンタルの健康に貢献していきます。

よい職場つくりをするための上司の役割は大きいのです。
部下を励ますことなく、いわんや文句を言いながら仕事をこなして
いくのはもってのほかというべきです。

「おはよう」 「おっす!」何でも良いのです。
先ず、発声するところからやっていきましょう。

****************以上ここまで************************

会社HPに書かれているメッセージをそのまま紹介していいもの
やらをその都度少し迷ったりもしますが、名前を出しているわけ
でもなく内容に悪意のあるものではないし、自分が共感得たもの
やメッセージを多くの人に知ってもらいたいと思うのでここに
紹介しました。

私としてはどれもうなずけるものだけど、その中でも特に
「コミュニケーションはこちらから話すことから始まる」という
部分に動かされました。

職場に限らずいろんな場面において人と関わる上では大事な
ことなのでしょうね。

私は自分に自信がないし積極的でないし話下手でもあるし
時にひねくれ者だったり卑屈だったりもしますから自分から
人に話しかける、ということがなかなかできずにいます。
(いわゆる人見知り?)

また、私の中では話しかけるのが恥ずかしかったり、相手に
対して話しかけていいのかな?という変な遠慮や、相手の
反応を意識してしまったりするのもあったりもして話しかける
ことに躊躇するときもあります。

でもいつも受身的でばかりいてはきっとよくないんでしょうね。
人から話しかけてもらうのを待ってばかりではなく、自分から
話すこともしないと何も始まらないのかもしれませんね。

自分から話しかけることにためらいがちだった私も、少しは
気の持ちようが変えられそうです。

私のような消極的な人も、たまには思い切って話しかけて
みませんか?
相手との会話が広がると思います。

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今日も優しくできたかな。

 

 

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2008年6月 7日 (土)

コミュニケーション

会社全体のHP(ポータルサイト)に役員のコラムがあります。
会社役員は結構たくさんいてそれぞれに役員のページが
あるのだけど、ほとんどは書かれている内容が堅苦しくて
あまり面白みがありません。

ですが、その中で唯一ある役員の方のページには面白い内容の
コラムやメッセージが書かれていて私はその役員のコラムだけは
毎回目を通しています。

そのコラムの中から一部をご紹介したいと思います。
「コミュニケーションと質問力」というテーマです。

****************コラムより抜粋***********************

コミュニケーションは重要だ!
だから、ちょいと部下に話しかけてみよう。

そのあげくに、
「調子どう?」
「まぁいいです」
「なんで?」
「ん~、なんとなく」 

こういう会話をしていませんか?
それっきりで、以後の発展がありません。

何故でしょうか?

「どう」とか「なんで」というのは、相手に「論理性」を要求して
いるからです。
論理性はもっとも答えにくいのです。
考えないといけないからです。

よい質問とは、相手の主観に訴え、答えがより定まりやすい
ものです。

では、バスケ部を例にとって展開してみましょう。

「バスケ部をどう思う?」
「わかりませんよ。」
「なんで?」
「・・・(しらねぇよ)」 

あちゃ!

質問を変えて、会話を前に進めます。

「バスケ部をどう思う?」を次のように展開します。
「どう」「なんで」は一切使いません。

1.Yes/Noを入れる

「Cさん、バスケ部のこと好き?」
「好きですよ!」 

好きなのは、分かったのですが程度が分かりません。

2.選択肢を入れる

「Aさん、バスケ部と野球部 どっちが好き?」
「どっちかといえばバスケ部!」 

野球よりバスケ部が好きなのが分かりました。
でも、何が好きなのか?

3.What(When/WhoWhere) を入れる

「Bさん、バスケ部の何が好き?」
「ハンサムな人がいる、ちから強い、カッコいい」

相当に盛り上がってきました。

4.数値化する

「Bさん、バスケの試合に何回応援に行った?」
「毎回行ってますよ!もう10回は行ってます。」 

そこまで好きなんだ。

5.アクション/リアクションにする

「Dさん、バスケ部の人にファンレターを出した?」
「いつも出してますよ」 

バスケ部が好きなのはこれで念入りに確認できましたが、
では誰のファンでしょうか。

6.優先順位付けをする

「Dさん、バスケ選手を好きな順に教えて?」
「ン~ ○○君、△△君・・・・××君」

全部知っているとは相当なファンだ。
今後の期待を聞いてみよう。

7.ミクロ化する(絞り込む)

「Cさん、あの部長にバスケ部の将来を託せると思う?」
・・これでは質問の幅が広すぎます。
「将来」をミクロ化(絞り込み)すると

「Cさん、あの部長で来年の九州大会を優勝できるかな?」
「大丈夫たい!」

最後に

8.例えをいれる

「Eさん、バスケ部は色に例えると何色?」
「ピンクかな!」 

バスケ部の将来は明るい!となります。

この手法を使うとこんなに会話を発展させる事が出来ます。
良い質問のコツは、相手の主観に訴えることです。

よいコミュニケーションには質問者にも回答者にも新たな発見が
あります。

ここでの発見は、質問者にとっては回答者が熱烈なバスケファン
である事を知り、回答者自身にとっては自分が一番好きなのは
○○君であったことを自覚したことです。

最後に
「君のことが好きだ!」
「なぜ私のことが好きなの?」
「それは・・・・・・世界でただ一人の君だからさ」
「・・・・?」
頭を使って、ここまで哲学的なせりふを言える場合は、
上の手法はいりません。

*************************************************

とまあ、こんなことが書かれていたので紹介したわけですけど。
(こんなところで紹介なんてしていいのか分からないけど)

ふむふむ、と納得するものがありました。

コミュニケーションは人と人とをつなぐ大事なものですよね。

いつもなんでも話しあえて解り合っていれば、言葉などなくても
通じるものはあるかもしれないけど、やはり相手に話さなかったり
相手から話をきくこともなければ何も分からないし何も通じない
と思います。

相手が望んでいなかったり、話すことをさほど必要としていな
ければ自分が思っていることや伝えたい気持ちを話すことも
必要ないのかもしれないのですが。

そんな風に相手が何を思っているのか、どう感じているのかを
知りたいと思い、話をしようと思うのは自然のことだと思うけど
コミュニケーションがなかなかうまくいかないこともあり最近は
話をすることにめっきり自信をなくしてしまって
気落ちしている
今日この頃です。

 

は~、難しいね。

 ←よかったらクリックをお願いします

 

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2007年7月25日 (水)

キーボードと私

私はピアノやキーボードは弾けません。

「猫ふんじゃった」程度ならできます。
楽器のキーボードは弾けませんが、パソコンのキーボードを叩くのは
結構得意です。

仕事柄いつもパソコンに向き合ってますから。

書き物はもともと好きです。イラストは愛用のペンを使って原始的に
手描きで書いてますが、ブログや仕事などで書きものをする場合は
当たり前だけどパソコンを使います。

でも仕事にしてもブログ書きにしてもメールにしても、パソコンで
キーボードを叩いて文章を書いていると、次第にそれに没頭してきて
顔がしかめ面になってきてて時々ハッと我に返るときがあります。

そんな私の華麗なるキーボードさばきを「なんちゃって音楽形式」で
表現してみました。
さぁ、どうぞ♪ 

イントロ 
ハ~~~~(やっこのため息から始まる) 

カタカタカタ・変換(スペース)リターン  

(最初のうちは軽快に)

カタカタカタカタ・・・・カタカタカタ・・変換・変換・リターン 
カタカタカタカタ・・カタ・・・・・(うーん ←思案タイム)・・DEL(Delete) 

カタカタカタカタカタ・・・DEL・DEL・DEL (間違い多い) 
カタカタカタカタ・・・・カタカタカタカタカタ・・変換変換変換・・・リターン・・
カタカタカタカタカタ・・・カタカタカタカタカタカタカタ・・・
変換変換変換・リターン・リターン 

(だんだん連打が多くなる) 

カタカタ・リターン カタカタ・リターン カタカタ・リターン
 (数字打ち込みモードで) 

カタカタカタカタ・・・ハッ!間違えた(つぶやき) 

BS(BackSpace)BS・BS・BS・・・・カタカタカタ・・変換・リターン 
 カタカタカタカタカタカタ・・・カタカタ・リターン・変換リターン
 変換リタ・・しまった!また間違えた!!・・ワワワ消してしまった!!

(つぶやきが もはやつぶやきでなくなる) 

カタカタカタカタ・・・しまった!
カタカタカタカタ・・・・・えーなにこれ~~?(一人で文句たれてる)

(度重なるキーボード操作ミスに自分で苛立ち&焦りモード。
 眉間にしわ。より目になってきた) 

カタカタカタカタ・・・・・カタタタタタタターーーーー・・・・ リターン!

(連打のあげくリターンに力が入る)
(ヤッコのパソコンをにらむ目が傍目に見てコワイ) 

※を2回繰り返し

華麗で軽快なブラインドタッチに、多少の乱れと独り言を
伴いながらもキーボード演奏も佳境に入ろうとすると、

上司
 「やっこさん、メーカーさんが来たから今から商談コーナーに
 打合せに行くよ」 

やっこ 
「は、はい、今いきます」 

打合せの声がかかり、キーボード演奏はサビも山場もないまま
一旦終了。
しかも中途半端状態。

フリーズするかもしれないので、一旦データの保存はしましょうね♪

ここであわてて「×(閉じる)」を押して「保存しますか?」の問いに
目もくれず「いいえ」とかを間違って押しちゃうと保存されずに終了
してしまい青ざめてしまいますから。
(それって私だけですかね) 

別の仕事が終わると、席に戻って再びやっこの華麗なる第二楽曲が
始まるのでありました。

チャンチャン♪おしまい♪♪

  

なんともまあ~くだらないことをつらつらと書いちゃいました。
しかもどこが音楽形式なのでしょう??
キーボードさばきも「華麗」とはいえないんじゃ?

そんな風にパソコンのキーボードをカタカタと叩く軽快で(?)
不規則な音を聞きながら、言葉を入力しては考え、入力してはまた
考えながら書き綴っています。

メールも書き出したら止まらないです。
「それじゃ」と締めくくりの言葉を書きつつだらだらとまた書いて
しまうのです。

ブログについては書く内容や書き方や口調やトーンは
その時その時でさまざまだけど、何かテーマやがあり、それについて
自分の考えを表現したいときや伝えたいときなどは、じっくりと考えて
言葉を選びながら、文章を考えて書いては修正し書いては修正し
丁寧に「書き上げる」のが私の中の基本。

ブログも一回保存(アップ)した後でも、何度も修正したりしてます。
それでも誤字脱字に気づかずに誰かからこっそり指摘されたり
するのですけどね(笑)。

普段は「丁寧さ」を心がけているけど、ちょっとやけになっているとき
や嫌なことがあったときや何だかよくわからんけど自分の中で
もやもやしているときは、丁寧さは差し置いてとにかく「書き出す」。
 

それだけでも自分の中では少し整理されたような気がして
すっきりします。

昨日のぶっきらぼうブログも「書き出した」という感じでしょうかね。

自分のブログですから自分が好きな時に好きなように書いてます。

一応ランキングにも登録していて、気にならないといったらウソに
なりますが(やっぱりランクアップすると嬉しいものね)、だからと
いって、更新頻度や更新内容を意識しすぎるとそれにとらわれ
すぎて自分を縛り付けてしまいそうで、その割に内容が希薄に
なったりしそうなので、自由が好きな私としては、自分のペースを
保ちつつ、書ける時にはどんどん書いて、書きたくないときには
無理をしてまで書かない、そんな「自由」な私の居場所であって
ほしいです。

なんだか話がそれちゃいましたが、今日はそんなとりとめもない
感じで終わります。 最近イラストなくてゴメンナサイです。

 ←ここはリターンじゃなくクリックね♪

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2007年6月21日 (木)

カタブツな課長にみる人間関係術

会社生活をしているといろんな人がいるなーって思うときがある。

会社に限らず、世の中にはいろんな人がいるわけで。

「千差万別」という言葉があるように。

  

私がいる部にもいろんな人がいるが、となりの課の課長で

生真面目というかカタブツというか融通のきかない頑固な課長

いる。

  

冗談も言わないし、冗談を言い合ったり世間話をしたりするような

雰囲気の持ち主ではない。ただ単にカタブツな人の印象。

  

で、仕事も細かいというか自己中心的というか、自分の路線を

貫いているような感じにみえる。

  

みんなとフレンドリーに世間話をするような雰囲気も隙もユーモアも

ないから話しかけづらいし、みんな話そうという気にならない。

課長間でもちょっと浮いた一匹狼状態。

   

もっとコミュニケーションを深めればそういう印象も払拭されるのかも

しれないが、そこまでにたどりつけないバリアとオーラが漂っている。

   

そういう課長だから、もちろん部下ともうまくいっていないようだ。

  

となりの課ということもあり、その課長と部下がもめているのを

しょっちゅう目の当たりにしている。

  

「もめている」「言い争う」のと「ディスカッション」とは違う。

   

彼らは明らかに「もめている」のだ。

   

「ディスカッション」は仲間うち(ある程度同じ目的を共有する者同士)

ひとつの目標や理想や目的に向かって最善の方法を見つける

べく意見を出し合うことだと自分は解釈している。

  

「もめている」のはそれこそ「言い争う」ことであり、自分の考えや

信念のためだけに、相手のことや本来の目的を差し置いて、

相手を認めずに我を貫き通すことのように思う。

  

潜在する目的がきっと違うのだ。

「相手に勝つ」ために意見する。それは自己のため。

「よりよいものを求めて、向上する」ために意見する。 

それは会社の利益・発展やそれに伴う幸福を仲間や同士と共有

するため。

   

その課長は、部下だけでなく部長にも反論する。

  

激しく意見が衝突する中、部長が 

「少しぐらい人の言うことを聞け」 と強く言うと、

 

その課長は

「部長、あなたもです(人の言うことを聞きなさい)」

 

と言うらしい。

   

ある意味、誰が相手だろうと自分の信念を貫き通すのは悪いこと

ではないし、相手が部長や偉い人だからといってヘコヘコして

ごまをするのもどうかと思うが、無理やり自分の信念や我を貫き

通しても相手や周りとの関係を悪化させるだけじゃないだろうか。

   

自分の意見を無理に押し通しても

「相手に解らせた」「相手を封じ込めた」みたいな

自己の満足感は得られるが、それは一時的なものにすぎず

後には何も残らないように思う。

   

残るのはむしろ反感相手とのわだかまりだけ

   

もちろん「よりよいものを求める」ために相手の意見よりも自分の

意見が優れているということで意見を主張することもあるだろう。

   

だが、やはり人間関係の上に仕事も成り立っているのだから

関係を悪化させることで、よくなるものもならないし、人的障害や

抵抗が増すだけのようにも思える。

   

やはりそこでも変な「プライド」が悪さしているように思う。

プライドが高いだけだと相手を認めたり受け入れたりすることが

できない。

常に自分が正しいと思っている。

  

自分の意見を聞いてもらうには自分も相手の言うことに耳を

傾けること。

相手を認めること。

異なる意見や考えも認めること。

自分以外のものも尊重し一旦受け入れること。

   

大事なことだと思う。

   

できるだけ相手を不愉快にさせないよう、ちょっと気を使うことで

ずいぶんと人間関係も円滑になるんじゃないかって、そう思う。

  

言葉使いにしろ、ディスカッションでの自分の意見を述べるにしろ

相手に頼みごとをするときや頼まれごとを受けるにしろ、相手が

納得して快く受け入れてくれるには自分がそういう人間になる

必要があるんじゃないかってそう思う。

   

相手を不愉快にさせることは敵をつくること。

 

敵をつくりすぎては物事が円滑に進まない。

そういう部分があるのは損なことだなーって思う。

   

周りに流されすぎず、自分の意見や考えをしっかりと持ち

それを認めてもらえるよう相手のこともしっかり認めることが

大切なのではないだろうか。

   

ちょっとした言葉遣いや心無いストレートな表現がもとで誤解を

招いたり不愉快な思いと反感を抱かせたりすることもある。

   

ギスギスした人間関係になるのか、円満で和やかな人間関係に

なるのかは、自分が結び付けているところも大いにあると思う。

   

いつも思うが、その課長は毎日そんな風に周りとの調和も

しないで孤独に仕事をしていて何が楽しいのだろうか。

楽しさを求めているわけではないのかもしれないが。

傍目にみて、虚しく思う。

   

まあ、私には到底理解できそうもないが、そういう気質の

人間もいるということで。

   

たかが会社生活。されど会社生活。

  

仕事や会社に限らず、人と調和を保ちながら少しでも楽しくやって

いけたらモア・ベターね。

(小森のおばちゃま風・・・って知らない??)

  

ちなみに、私のいる課は課長も含め個性はそれぞれあるものの、

みんな優しく温厚な人たちで私は恵まれている方です。

あ~、よかったな~。

 ←みんな楽しく♪

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2007年4月27日 (金)

1月のプロフェッショナルを見て

今頃話題にするのもどうかと思うが、1月に放映されたNHK

「プロフェッショナル」という番組で、漫画家 浦沢直樹

取り上げられていた。

 

ちなみに浦沢直樹の代表作品はYAWARA」「MONSTER

20世紀少年」「HAPPY」「PLUTOなど。

 

私はその時ちょうどその番組を見逃した。

というか、それほど熱狂的ファンというわけでもなかったので

その番組があることを全く知らなかった。

 

たまたま、その時期に浦沢直樹が描いたマンガ本PLUTO

会社の同僚に借りて読んでいたので、なんとなく興味が出ていた

時だった。

 

そんな時だったので、「プロフェッショナル」の番組が終わった後に、

たまたまテレビ欄で浦沢直樹の特集があったことを知った時は

残念でたまらなかった。

 

幸い、「PLUTO」を貸してくれたその同僚が番組を録画していたから

その録画したDVDをくれた。

 

DVDを受け取ったのはもうずい分前(番組自体が1月だったし)。

 

いつでも見れるという安心感があったせいか、なかなかそのDVD

見ることがなかったのだけど、ようやく先日遅ればせながら

その番組を見た。

(今頃?!なんでもワンテンポずれている自分がお恥ずかしい・・)

 

まあ、その番組の感想はというと、世の中にすごい人はたくさん

いるし、漫画家という職業の中にもいろんな人やすごい人が数多く

いるのだろうけど、浦沢直樹さんも私から見たらかなり「すごい人」

なんだなーと思った。

自分の受けたイメージを言葉でうまく表現できないのがもどかしい

けど。

 

漫画・絵のテクニックはもちろん、ストーリーや映像イメージや展開を

頭に描き、それを実際に紙に絵で表現する。

小さな部分も妥協を許さずに修正を重ねる。

締め切りという納期との戦い。

 

そして自分が描きたい・表現したい・伝えたいという信念が作品の

出来に反映していく。

 

それが累計発行部数1億という実績につながっている。

 

何の職業がいいか、というよりもどんな職業でもレベルの高いものは

レベルが高く、そういう高いものを目指して努力することが出来る人を

私は尊敬する。

 

単に「儲かっているからすごい」とか「有名だからすごい」とか

そんなのじゃなくて、本当にすごいのは「尊敬」できる人であると

いうこと。

私が思うに。

 

村上ファンド代表の村上氏やホリエモンとかは、賢い頭脳を使って

金を動かして儲けた人たちということでは、そりゃ「すごい」とは

思うけど、私は「尊敬」しない。

 

金儲けに対して努力していたのかもしれないけど、私から見たら

何か違う。

 

私は、お金は自分の労力や努力を売ってお金に換えるものだと

思っているし、志や目標が高く、それに向けて努力をしている人・

何かを創造している人は「尊敬」できるし、結果的にその努力が

技術や実績となって収入に結びつくのならそれが理想的なんじゃ

ないかって思う。

 

とかいいながらも、どこかに「楽をしてお金を得られたらいいな~」

って思う自分が2割、いや3割ぐらいはいるのも本当のところ

だったりもするけど。 

 

とにかく、誰かのために、自分の志・信念のために何かを一生懸命

やっている人はすごいなって思う。

 

それは自己欲・物欲とは明らかに違う。

自分にはなかなか出来ないことだからゆえに「すごい」と思うし

「尊敬」する。

 

仕事においてもそう。

上司においても同僚においても誰においても近いことがいえる。

 

どこか尊敬できる部分があるということは相手を認めるということ。

 

そうやって違う個性を認め合って一緒にやっていければ、割と

うまくいくのではないかって、そう思ったりもする。

 

話がそれてしまったけど、「浦沢直樹」漫画はそれまで単に知って

いただけで、読んだことはなかったけど、そういう目で見ると

また一段と読む楽しさが広がるような気がした。

 

「漫画」っていうと軽く見られがちだけど、手塚治虫漫画などの

ようにやはり評価が高いもの、売れているもの、みんなから愛される

ものは漫画であってもそれなりの価値があるのだと思う。

 

 

それにしても、1月放送の番組を今頃見て何やら語っている私って

やっぱりワンテンポずれてるよね(汗)。

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2007年3月16日 (金)

私にできること(本の紹介)

前回のくだらない記事と違って今回は真面目に・・

本の紹介です。
ブログでたまたま知り合ったある人(女性)。
その人とは共通項によって知り合い、その共通項によって
たまたま身近の人だったということが分かりました。

その“共通項”がその「本」だったのです。

彼女は自分のブログでその本を紹介されていました。
私もその本を持っています。何度も読みました。涙が出ました。

うまく表現できないけど、とにかく「いい」と思ったし
心を打たれたので、せっかくだからこのブログでも自分なりに
紹介しておきたいと、そう思ったのでここに書いています。

少しでも多くの人に知ってもらいたいと。

私にできること。

私の気持ちを記すのももちろんだけど、この本に込められた思いを
より広く知ってもらうこと。

     Dscn2292

 「駿ちゃんがくれた宝物」 田迎保育園:編 熊日出版:発行

ウェルドニッヒ・ホフマン病という難病を抱えて生まれた駿ちゃん。

その病気は、「脊髄性筋萎縮病」のひとつで、生後すぐに症状が
表れるといいます。
脊髄の運動神経細胞の病変によって起こる進行性の神経疾患。
生命を救うためには気管内挿管に気管切開、人口呼吸管理などが
必要な難病とのこと。

駿ちゃんはその病気と闘いながら、ご両親や周りのたくさんの愛
を受けて、保育園に通いながら一生懸命に生きました。

そんな駿ちゃんの生まれてからのご両親とのこれまでのあゆみ。
駿ちゃんを受け入れてくれた、ある保育園との出会いと登園の様子。
両親に支えられながら、たくさんの人たちや子供たちとの関わり
たくさんの愛を受けた生涯。

4歳9ヶ月という短い命だったけれども、幸せとは、生きた年数や
月日や時間の長さには関係ないんだと思わせてくれました。

「幸せのかたち」は人それぞれなんだと強く感じました。

ご両親にも私たちには計り知れない苦しみや悲しみがあったので
しょうが、駿ちゃんの存在がまたそれを幸せに変えてくれたのでは
ないかと思います。
本当に宝物なのでしょう。

そんな駿ちゃんが生きた証として一冊の本になりました。

駿ちゃん自身の成長と様子、闘病の記録、ご両親による育児と
我が子への想い、保育園での様子と保育士による日常の記録、
主治医からのメッセージ、保育園の保護者による自作の絵本。
それら全てがこの1冊に記されています。

みんなの心の中にはもちろんいつまでも残っているけれども
それが「形」となってこの世に残ることはとても素晴らしいこと
だと思います。

ご両親をはじめ、駿ちゃんに関わった人たちのそんな思いを
少しでも伝えることが今の私にできることなのかな、と
そう思います。

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2007年3月13日 (火)

コトバ

言葉って便利。
だけど言葉って難しいね。

自分の思っていること自分の気持ちが全てそれで表せるとは
限らないから。
自分の何気ない言葉でもしかしたら誰かを傷つけてしまったり
誤解を与えてしまったりしているかもしれないから。

ごくごく親しい人や信頼関係のある人、親子関係や絆の
深い人との間では言葉などなくても、目や表情やしぐさや
態度でも気持ちを通じ合わせることもできるけど、やっぱり
相手によっては、時と場合によっては言葉が必要なときも
あったりで。

自分の気持ちを言葉によって補うことでもう少し伝わりやすく
なるかもしれないし、自分が思っていてなかなか口に出して
言えないことも「文字」という言葉で表すことで少しだけでも
伝えやすくなるかもしれない。

言葉が足りなすぎても、相手には全てが伝わらなかったり
誤解を招いてしまったりしてしまうし、言葉が多すぎても
相手を不愉快な気持ちにさせてしまったり不用意に傷つけて
しまったりで。

便利でもあるけれど、人を傷つけてしまうこともある。
もちろん意図的に相手を攻撃する手段にもなってしまう。

私はやっぱりできれば傷つきたくないし誰も傷つけたくない。

だから自分の言った言葉で、自分が思っていることを何気に
言ったことで誰かを傷つけてしまったんじゃないか、誰かを
不愉快な気持ちにさせたのではないか、私の気持ちとは
異なった解釈をされてしまったのじゃないか、ってふと
気になってしまうことがある。

でも人とのコミュニケーションを助ける大事な手段でもあるから
やっぱり言葉を上手に使って相手にリアルに伝えていきたい。
そう思うシリアスな私だったりして。

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2007年3月11日 (日)

アコガレ

私にはちょっとした憧れがあります。
それはご近所に住む大学生のお兄さん・・・(/∀\*))キャハ♪"

・・・・・

ってちがうちがう!

そうじゃなくて、自分の「本」とかを出せたらいいだろうな~♪
っていう憧れです。はい。

「夢」っていうと、それをいつかは現実にしたい、現実のものにしよう
という少々自分へのプレッシャーみたいなものが含まれた
ちょっと本格的なニュアンスに聞こえるのですが、「憧れ」というと
単なる憧れ。
いいなぁ~と思う程度で、「夢」より少し達成願望が低いかな?
という感じ。

いやいや、本当なら自分を奮い立たせて適度なプレッシャーを
かけて夢を追い求めるぐらいの気合をもたないと、単なる憧れで
終わってしまうのもなんか悲しいような気もしますが・・・。

自分でしたためたものが一冊の本になったらどんなにいいだろう
って思います。

そんでもって、それがベストセラーになって印税生活をする・・っと。

・・・・行き着くところはそこかよー!?って感じですか?
いやいや本音を言うとそれもありですよ。
自分の作品として「本」が出来て、なおかつそれが多少なりとも
お金になったらいいなーって思います。
にんげんだもの(みつを風)。

はるか昔に禁煙パイポのCMで

     Photo_117

っていうのがあったけど、(“これ” というのはオンナのことです)
私の場合

     Photo_118

なーんてこと言ってみたいなぁ~。 ムリムリ~。
結局そんなこんなを夢見るヤッコなのでした。

     Photo_119

でもヤッコはそんな淡い憧れも抱きつつ、これからも好きなことを
好きなときに好きなようにしたためていきますわよ~。

      Photo_120

         【yaccoの本の簡易イメージ図↑】

それにしてもこのデザイン、かなりイケテナイネ・・・
・・・(。-_-。) ヤッパリ・・・?

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2007年3月 9日 (金)

データ整理をして思ったこと

うちの会社の業績が悪いそうだ。
本社含めてグループとしては450億円の純損益、つまり赤字。

なんだかピンとこないけど、いい話じゃないことは確かだね。

近い将来を含めいろいろな組織改編や各拠点の統廃合など
先行き不安なことがたくさんあるようだ。
自分へのしわ寄せや影響がどのぐらいのものかは見当が
つかない。

固定費削減や拠点統廃合による人員削減や合理化も
もちろんあるだろう。
そんなときにいつも思う。
組織の上下関係・強弱関係で優位にある組織や組織上の
トップに近い上流にいる人たちほど安泰で守られるように
できている。

最初からそれだけの難関をくぐってそこにたどりついたか
下流からそれだけの実績を積み上げてそこにのし上がったか
してそれなりのことや価値あることをしてきている人もいるのかも
しれないけど、どうみても今では役に立っていない、もしくは
組織上、エリートな部門にいるけどたいして仕事もしていないような
そんな風に上流に単にのさばっている人たちもいるように思える。

だからといって自分がそれだけの価値あることをやっているかと
いえばそうではないのだけど。

パソコンを使っていてファイルが多くなりメモリ空き容量が
少なくなってきたとき、メール件数が多くなり空き容量が
少なくなってきたとき、ファイルの整理をするだろう。

先日も会社のパソコンの自分が使っているフォルダのデータ整理
をした。

不要なファイルを削除したりして。

たくさんの件数のデータやファイルがあった。

小さいファイルをちまちまと削除するより、容量のデカイファイルを
ひとつ削除する方が簡単に軽くなる。
10KBのファイルを100個削除するよりも、1MBのファイルをひとつ
削除するだけですぐに軽くなる。
そのファイルが不要であればの話だけど。

もちろんデータ整理するには小さなファイルもすべてチェックする
必要はある。残すべきものと不要なものと区別して。

でも重いファイルをちょっと減らすだけもすぐに身軽になるものだ。
そのデータ整理は人間が客観的に第三者的に行う。

でも組織の人間というものは、大容量を占めている人間の方が
あらゆる実権を握っているから、自分が容量を占めていることには
あまり触れようとせず自分は守りに入り、その代償として
下流の人間を大量に削減しようと試みる。

将来の長い若い人たちの多数の人生を左右するよりは
偉い人たちが数人減るだけでも、それが回避できるのだから
はっきり言って役立たずの上役は早く引退願いたい。
ってここだけの話そう思う。

もちろんトップの人でも本当に会社にいなければならない人だって
たくさんいるだろうが、必ずしも会社に必要な重役ばかりでは
ないから。

もちろん中流・下流に位置している会社の人間においても
本当に利益につながるような付加価値の高い人間というのは
少ないのだろうけど。(私も含めて)

まったく不合理・不条理な組織の歪みにやりきれない気持ちに
なる私なのでした。

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2007年3月 3日 (土)

思い出いろいろ

    Photo_108

気持ちよさそうですね~。思い出に浸ってますよ。
ひたひたにひたりすぎてふやけてしまわないでしょうかね。

人の中にはそれぞれいろんな思い出があります。

その時その時で。
子供の頃、思春期の頃、大人の階段の~ぼる~(by徳永英明)頃、
社会人になってから・・etc

それぞれの時期で、家族だったり友達だったり恋人だったり
片思いの相手だったり会社の仲間だったり・・・

それが、楽しかったり嬉しかったり喜んだり悔しかったり
悲しかったり辛かったり大変だったり怖かったり・・・

明るい思い出、悲しい思い出、せつない思い出・・・

時にそれは
再び 心を和ませたり癒したり暖かくしたり
再び 悲しくさせたり涙が流れたり

思い出したくないもの
思い出さずにはいれないもの
思い出すことでそれが時折支えになるもの

懐かしいもの

いろいろです。

良い思い出は大事にしたいし、いつまでもすがっていたい
そんな気持ちになります。
辛い悲しいことは「思い出」に含めたくない気もするし
思い出したくない忘れてしまいたい、そんな気持ちになります。
また、恐怖だとか悲しいことだとか衝撃的なことは皮肉なことに
思い出したくなくてもいつまでも記憶に鮮明に残っていたりします。

でも全て自分の中の自分だけのもの。
それは誰のものでもない自分だけのもの。
それが今の自分を支えているのかなーなんてね。

少々辛気くさいことも考えちゃう私なのでした。

今の自分に悪影響があるような良くない過去の思い出はなるべく
心の奥に封印しておきましょう。

   Photo_110

でも、懐かしいからっていつまでも思い出にしがみついていたら
だめよ。ヤッコさん。

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2006年12月23日 (土)

早いもので12月②

早いものでもう12月・・・ということで以前仕事やブログやイラスト

などについて記事を書きました。

で、もう12月も後半突入。今回は人間関係について。

 

今年、というかここ1~2年の人間関係は悪くはないので「よかった」 

言っていいのかもしれません。

 

人間関係は、自分の生活において大きく影響するものだと思って

います。

 

たとえば仕事での人間関係。(上司や部下だったり先輩後輩だったり

同僚だったり他部門のスタッフとの関係だったり)

 

の他には、友人との関係、家族との関係、夫婦の関係、恋人同士、

近所の付き合いや親同士の付き合いなどなど。

 

人間関係がうまくいかない場合というのは、ただ単に自分の性格と

相手の性格との違いなどで相性がよくなかったりすることもありますが

必ずしも自分に問題がないとはいえないような気がします。

 

「人間関係がうまくいかない」 というと大げさだけど、相手とのちょっと

した衝突やケンカなど、なんだかわだかまりやモヤモヤが残るような

関係については全て言えることだと思います。

  

相手のせいばかりではないということ。

相手もきっと自分に対して何かを思っているということ。

もしかしたらお互いに誤解しているのかもしれないということ。

 

相手と自分との考え方や良し悪しの基準や価値観などが違うから。

相手のことや相手の気持ちを理解していないから。

   

それでも水と油のようにどうしても性格が合わないとか根本的な

部分を受け入れられない場合は仕方がないのかもしれません。

   

そういう場合は別として、もう少しコミュニケーションを取れば

人間関係がよくなることもあるんだと思います。

 

それほど親しくない間柄であれば、なるべくコミュニケーションを

とって相手を知る機会や相手に知ってもらうきっかけをつくっていく

ことが大事なのかもしれません。

  

個人的に親しくなる必要はなくても、仕事などでどうしてもやりとり

することもあると思います。

そういうときは少しでもいい関係にあった方がスムーズにいきますよね。

 

親しい間柄の場合は、気持ちにすれ違いや衝突があった場合など、

話し合うことが大事なのかもしれません。

 

言葉で伝えないと相手には伝わらないこともあると思います。

そしてメールなど文字だけでは伝えきれないこともあるので直接

向き合って話をすることが大事なのだと思います。

 

そして相手を認め合うこと。お互いを理解しあうこと。

 

相手が望んでいること、望んでいないこと、考えや思いを知ることで

気付かなかったものに気付くかもしれない。

思い違いをしていたかもしれない。

譲れるものがあるかもしれない。

  

自分が望んでいること、望んでいないこと、考えや思いを伝えることで

相手が気付かなかったことに気付いてくれるかもしれない。

自分を認めてくれるかもしれない。自分を解ってくれるかもしれない。

   

もしかしてできないかもしれない。

実際に相手によっては、相手の考え方や性格によっては解り合え

ないこともあったりします。

 

でもそれは話してみないと分からないことなのでしょうね。

   

そう思うと、やっぱり人間関係は信頼関係の上に成り立つものなの

かなーって気がします。

親密度や濃淡の差にもよるのでしょうけどね。

 

少々の嫌なことや望まないことでも、この人のためであればやれる

我慢できる、この人なら許せるとか。

 

自分もそんな風に思われるよう心がけたいものです。

 

でもねー、コミュニケーションが大事とかね自分で言ってる割にはね

人見知りな性格だし話下手だから、親しい人以外とはコミュニケー

ションとるのが苦手なんだなー。

   

まあ、とらなくても死にはしないけどね、人間関係はいいにこしたことは

ないし、だからコミュニケーションをできるだけとった方がいいんだよね。

自分のために。

 

あー、なんだか最後はひとりつぶやき状態になっちゃったよ。

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2006年12月14日 (木)

早いもので・・12月

気がついたらもう12月も半ば。

今年最後の月になりました。

早いものです。

 

一年の経つ早さは年々早くなっていくような、そんな気がします。

 

特に大きな変化もなかったのですが、悪いことや良くないこと、

災いなどがなかっただけでもよしとしましょうかね。

 

そりゃ、その時その時で落ち込んだり、ついてなかったり

つらいときや悲しい時もありましたが、それらは「最悪の事態」

ではないと自分の中では思っているので、良い方向に考えたいです。

 

■仕事…

 あいかわらず波がありました。なかなかはかどらなかったり、

 停滞して いたりと実績や成果も出せずイマイチな仕事ぶりでした。

 仕事にかける考え方やモチベーションや自分の中の位置付けや

 生活の中で仕事の占めるウエートなどは人それぞれ。

 できるだけ頑張りたいと思いつつ、楽な方に走ってしまう悪い癖。

 分かっているのにね。なかなかうだつが上がりません。

 

■ブログ…

 なんだかんだあったりしたけど、なんとかここまで続けることが

 できました。

 一年前のこの時期、ブログをしばらく休んだり、やめることも考えたり

 したときもありました。

 あれからもう1年経ちます。早いです。

 OCNのブログ人からココログに引越しもしてリニューアルしました。

 自分が書きたいことを書く、言いたいことを言う、感じたことを

 文章にする、好きな絵を描く、そんな自己表現&自己満足的ブログ

 なのですが、私一人でここまでこれたわけでもなく、いろんな人の

 支えや助けがあったから続けることが出来ました。

 たくさんの人に感謝したいです。ありがとうございました。

 

■イラスト…

 ちっちゃなころから頃から悪ガキで15で不良と言われたよ~♪ 

  ・・・って違う違う~。

 小さい頃から絵を描くことが好きで、いつも落書きや絵を描いて

 いました。

 高校~就職してしばらくの間は、絵を描くことから遠ざかって

 いましたが、会社に入って、ある名物キャラの似顔絵を描いたことが

 再び絵を描くことのきっかけとなりました。

 昨年からブログを始めたり、フリーペーパーに投稿するように

 なったり職場でも挿絵などを頼まれたりして、絵を描く機会が増え

 たということもあり、私の絵心は再燃して今に至っています。

 これからも思ったことや面白いことやくだらないことを絵に描いて

 いきたいと思います。

    

この他、人との関わりについても書こうと思ったけど、ちょっと

ひと休みということで今日はこのへんで。

 

なんだか、今年のしめくくり挨拶のような内容になっちゃったね。

 

年末の挨拶はまたそのときにでも。

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2006年11月25日 (土)

ともだち関係2

前回記事の「ともだち関係」の続き。
*********************************

大学3年生の途中からだっただろうか。
私は突然同じ学科の仲良しだった友達から無視されるようになった。

その子は元気がよくてやはりリーダー的な性格で、面倒見もよく
親切な部分もあったが、派手好きな一面もあり、人のことをとやかく
言ってみたり噂話が好きだったりプライドも高くて常に自分が優位で
ないと嫌だというような気質も持っていたように思う。

仲良しでいる分にはとても親切だったりする彼女だったが、ある日
突然私を避けるようになった。
そして他の友達も私から引き離すようにして私を「ひとり」に追い込んで
いった。
同じグループだった他の友達もその子に何を吹き込まれたのか知ら
ないが、私によそよそしい態度をとるようになった。

彼女が突如としてそういう態度をとるようになったのかは未だに
理由が分からない。
私の中でもそれは一種の「トラウマ」として心に残っている。

その時期付近で何かきっかけとなる出来事があったのかといろいろ
理由となるものを考えてみたけど、あえて思いつくとしたら私の
同級生の男友達のことだった。

その以前、私は中学時代に仲の良かった同級の男友達を呼んで
彼女たちと合コンを開いた。

それから私たちはグループで仲良くなり彼女はその男友達に好意を
よせていたようだった。
私と彼とは本当に友達関係以外の何ものでもなかったが、私の
アパートで彼と彼女と3人で一晩中朝まで飲んだ日があり、そのあと
ぐらいだっただろうか、彼女は急に私に冷たい態度をとるようになった。

何が彼女の気に触ったのか何かを誤解しているのか、もしくは私が
彼女を傷つけるようなことを何か言ったのかは全く持って心当たりが
ない。

それからの大学生活はしばらくの間苦痛だった。
こんな陰湿な嫌がらせがこの歳にもなってあろうとは思わなかった。
彼女の人間性を見た。

学校に行くのが嫌になった。
最低限の授業以外は学校に足を運ばないようにした。

そんなとき同じ学科の子で声をかけてくれた友達がいた。
それまでは一緒に行動するような間柄でもなかった子だったけど。
彼女は気さくで優しい人で、浪人経験があったので実際には歳は
私よりひとつ年上だった。

彼女にはもう一人仲のいい子がいて、私はその子達と一緒に
過ごすようになった。
私たちは3人で仲良くなり一緒にドライブに行ったり食事に行ったり
と、表裏のない二人の朗らかな性格に安心感を覚えた。

彼女たちがいてくれたから私は救われた。
それから私は友達関係のつまづきから立ち直ることができた。

4年生になり研究室もそれぞれに別れ、私に嫌がらせをした彼女
とは当然別の研究室を選択した。

仲間はずれになった私に声をかけてくれた友達とは同じ研究室
になり、更に同じ研究室になった別の子たちとも新たに親しく
なったりして1,2年の頃の友達関係とは別の友達関係を築いて
いった。

何がきっかけで誰と仲良くなるか分からないし、誰と決別するか
わからないともだち関係。

うわべだけのともだち関係は長く続かない。
心から信頼できるともだち関係は、会うことがたとえ少なくなっても
変わらぬまま「こころの友」である。
(ジャイアンがよく「こころの友よ~!」って言ってるよね)

無意識のうちに人を傷つけているかもしれないし、自分も人の
何気ない言動で傷つくことがある。
自分に問題があるかもしれないし、相手にも問題があることがある。

むずかしい友達関係。
その人には何気ないことでも相手にとってずっとトラウマとして残る
心の傷。

親子の関係、夫婦の関係、上司と部下、先輩と後輩、近所づきあい
いろんな人間関係があって、それぞれに難しい。

マニュアルなんてないし、いい人間関係を築くコツなんてあっても
それを実行するのは難しい。

それでも人を思いやる気持ちだけはできるだけ忘れずにいたいと
思う今日この頃。

あー、とりとめもなく長々と書いちゃったな・・・(笑)。

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ともだち関係1

最近はニュースや新聞でいじめの話をよく耳にする。
ずいぶん昔からいじめなんていうのは日常的に起こっていたのだろう
けど、ここ最近で連鎖的に目立っているから連日報道されたり対処に
乗り出したりしているのだろう。

私は小学校、中学校、高校といじめを受けたことはなかった。

小学校中学年(3~4年)の頃、女子は群れをつくるようになりくっついたり
離れたりしだす。
リーダー格の女の子のきまぐれで気に入らない子をターゲットにして
仲間はずれにしたり無視したり、仲良しの子を独り占めしようとして
みたり。
この頃は常に「敵」か「味方」のどちらか的な考え方しかできない。

私は活発なほうではなかったけど、仲良しの子が活発でリーダー格
に近い存在の子だったので、結構その子に振り回されたような記憶
はある。
それでも特に学校へ行くのが嫌になるようなこともなく割りと普通に
小学校生活を送れたような気がする。
私には母しかおらず、家に帰っても楽しくなかったからむしろ学校に
行っていたほうが楽しいぐらいだった。

中学の頃も普通だった。
女子の間でもませた子や不良っぽい子とそうでない子たちとの格差
が大きくなっていく年頃。感受性の強い時期。

私はごく普通に仲良しの子たちが何人かいた。
そんなとき、クラスの元気のいいある女の子が突然彼女らのグループ
から仲間はずれにされたことがあり彼女はひどく落ち込んでいた。

その子が寂しそうで可哀想に思えた私は声をかけて話をするように
なった。
それからその子とは自分の仲良しグループのメンバーとは別で
仲良くなった。
彼女とは高校で別々になったけど、高校に行ってからもたまに会って
遊んだりしたが、それもだんだん回数が減っていきそれぞれの高校の
友達がその頃の自分に一番近い友達になっていった。

高校に入ったとたん成績ががた落ちになってしまった。
でも友達関係は良好だった。
共学だったことや、学力も同レベルの似たような感じで比較的真面目
な子が多かったからなのだろうか、女の子同士での確執や対立とか
誰かを標的にして攻撃したりいじめたりというようなことはなかった。

私は部活で弓道を始めた頃からいつも同級の部員と一緒に行動する
ことが多かった。
部活以外でもクラスの女の子たちとは普通に友達関係を保っていけ
たのではないかと思う。
決して華やかな方ではなかったけど。

そして大学。
受験で第一希望の大学に落ちた。
高校の仲の良い子はみんな私が希望した大学に合格し、合格発表
の日は、ひとりだけ取り残されたような絶望感と落胆に見舞われた。

そして第一希望ではなかったけれど県立の大学に通うことに決めた。
母の稼ぎで大学まで行かせてくれたことに心から感謝したい。

大学はその当時女子大だった。
初めての女性ばかりの学校。女性ばかりの世界。

1~2年生までは大学で仲良くなった友達も増え、バイトをしたり
合コンに行ったりドライブに行ったりとそれなりに楽しい学生生活を
送っていた。

3年生の途中からだっただろうか。
私は突然同じ学科の仲良しだった友達から無視されるようになった。

・・・ちょっと疲れたので(読むのも疲れたでしょう?)ここで一旦終わり。
     次回へ続く・・(なんだそりゃ?)

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2006年11月12日 (日)

性のこと2

以前 性のこと についてオトコとオンナは性の感覚が違う、と

独断と偏見的意見を書いた。

 

で、今日はその続編。

 

新聞やニュースで、50歳や60歳をすぎた男性 (まあ年配の

オジサンとでもいいましょうか) が、小中学生や高校生の少女を

連れまわしたりいかがわしい行為をして捕まって事件になったり

しているのを耳にすることがある。

 

で、

「どうしてこんな年をとったオジサンまでもがこんなことする?」

「どうしてこんな年をとってまでも性欲があるのだろう?」

って素朴なギモンが出てくるわけで。

 

こういう事件を起こすのはだいたいオトコ。

オンナがオトコをレイプしたとか無理やりオトコを襲った、とかいう

事件はほとんど聞かない。

 

オトコも青年~30代ぐらいならまだしも、60歳とか70歳を過ぎた

でもそういう事件を起こすことがあるし、事件でなくても60歳を

過ぎた男性が若い女性と再婚して子供をつくった、とかいう話を

聞いたりもする。

 

そう思うとオトコはいくつになっても「性欲」なるものが維持し続ける

ものなんだろうな、と思ったりする。

 

オンナの性欲は何歳まで持続し続けるものなのかはよく知らない。

表ざたになるようなニュースや事件もないし、私も若くはないとは

いえ、60歳前後の初老になるのはまだまだ先のことだから。

 

でもやっぱりオンナの性欲はオトコより早い時期から薄れていくの

ではないかなと思う。

オトコの方がオンナより性欲はいつまでも持続し続けるものなの

だろうと思う。

 

それは何故かと考えてみた。

↑別に真剣に考えるほどじゃないのにね(笑)

 

本能の違いにあるのではないかと。

 

人間の本能のひとつでもある子孫を残すこと。

「性欲」ももとをたどっていけばそこに行き着くような気がする。

 

一夫多妻にも代表されるように、オトコは、よりたくさんの子孫を

残すためによりたくさんの畑に種をまく。

それがオトコの本能なのではないかと考える。

 

オンナは子孫を残すために自らの腹の中で子を宿し出産する。

それがオンナの本能なのではないかと考える。

 

よりたくさんの子孫を残すためとはいえ、人間の女性が妊娠・出産

できる子供の数は自然妊娠で1~2人。

だからオトコはより多くのオンナに種をまいて多くの子孫を残すという

本能があるのではないかと考える。

 

オンナは子を産み母親として子を育てる。

それがオンナの本能なんじゃないかと。

 

だからオンナは出産の時期がすぎてしまえば任務は完了したもの

として性欲がだんだん薄れていくのかもしれない。

 

実際に畑とされる子宮や卵巣も機能が低下しホルモン分泌も

なくなり閉経という、子を産むための役割は終了する。

 

だから同じ60歳前後でもオトコとオンナの性欲の違いはあるのだろう。

オトコは何歳になっても種をまこうとする本能が宿っているのだろう。

 

ただ人間は高等な動物であるから、子孫のための動物的な性欲

だけではなく、相手を愛するという愛情表現の行為であったり、

相手と心と体をひとつにしたいという気持ちや願望の表れであったり

単に身体的な快楽を求めるためのものであったりエロスを求めたりと

それは脳と心を刺激するためのものでもあるのだろう。

 

何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、

 

「ジイサンともいえる年寄りの男性が色気づいたり欲情したり

するのはなぜだろう」

 

と、素朴な疑問を抱いたのがきっかけであって、それを掘り下げた

ヤッコの自論が今日の記事なのでございます。

 

あー、我ながらこんなテーマごときでよく考察するよ(笑)。

こんな記事書いた矢先に気づいたけど、また変なTBが貼り付いて

いるよ! ( ̄皿 ̄;; ンガァーーー!!! コンナコトシタノダレダー!!

あとで消してやろう・・

 

★★★追加★★★

さっき、ブログペットのmomoちゃんに話しかけてみたら

こんな一句を歌ってくれました。

 

「性欲や 出産すれば 子孫なり」

 

うーん・・・ ( ̄ω ̄;)オヌシモヤルノ~...

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2006年11月 4日 (土)

弟に再会した日

昨日、急なお客さんがきた。

午後3時ごろ突然の電話。

 

「こんにちは。

今そちらの近くまで来てますけどおうちがわからなくて。」

 

私にとって特別な人。

 

私の腹違いの弟とそのお母さん(私にとっての異母)。

電話はお母さんの声だった。

 

私が生まれてすぐに母は父親と別れた。

だから私は父親の顔を知ることもなく、父親というものを感じることも

なく母と二人で当たり前のようにして暮らしてきた。

 

というか、物心ついたころから母は私を連れて別の男性と暮らして

おり私はその人をお父さんという風に思わされてきた。

  

そのお父さんと思っていた男性は優しかったがどうしても

なつくことができず、その人も私に遠慮がちな態度をしていたのか、

私は心のどこかで

「この人は私のお父さんじゃないのかもしれない」

薄々感じていた。

 

その男性と母は私が中学生の頃に別れた。

 

私はこのとき

「やはりこの人は私の本当のお父さんじゃなかったんだ」

と確信した。

 

それから時々「本当の父親はどこでどうしているのだろうか」

思うようになった。

 

そして、高校卒業、大学へ行き、落ちこぼれながら、友達との人間関係

に悩んだりしながら、なんとか今の会社に就職することができた。

 

そして父親のことなどはすっかり心にはなくなっていて毎日を

仕事で終わる生活に変わっていた。

 

会社に入って5年ぐらい経ったある日、突然私の弟だと名乗る男性

から電話があって、父親は昨年ガンで他界した、戸籍を調べて

いたら私の存在が明らかになった、ということだった。

 

手続きなどもあっていろいろ調べて連絡をしてきたとのことだったが、

その時は本当に驚いた。

 

私の父親の存在が明らかになったこと。

 

その父親は私の母と別れて別の女性と結婚し、二人の息子を

もうけたということ。

 

その二人の息子が私の弟でもあり、私には弟がいたということが

わかったこと。

 

そして、私の本当の父親は、顔を見ることも会うこともなく

死んでしまっていたということ。

 

それを機に、弟や彼らのお母さんたちと年賀状のやり取りや

電話などで年に2回ほど連絡をとりあうようになった。

 

そして昨日、突然、その私の弟(兄弟の兄の方)と母親から

「こちらに墓参りにきたのでヤスコさん宅の近くまできてみた」

と電話があった。

 

隣の県、福岡からわざわざ墓参りにこられて私を訪ねてきてくれた。

 

急いで近くまで迎えに行き、自宅に立ち寄ってもらった。

兄弟の弟さんの方は転勤で離れたところに住んでいるからと、

その日は兄の方がお母さんと二人でこの地を訪れていた。

 

それからは、いろんなことをずっと話し込んだ。

父親のこと、弟さんたちのこと、昔のこと、今のこと。

 

少しだけ私の父親のことを知ることができたような気がした。

お母さんはしっかりとした人で、弟たちも立派に仕事をしており、

人柄もよく優しそうな感じの穏やかな人だった。

 

今、目の前にいるこの人がお父さんが育てた息子なのだなーと思った。

 

本当に不思議な関係であり、不思議な縁でもあり、貴重なひととき

だった。

 

お父さんは息子二人にとても厳しかったらしい。

そしてその息子二人の兄の方は父親に似て運動オンチとのこと。

私も正真正銘の運動オンチ・・・・。

 

私の運動オンチは父親譲りだったのか、と新たに知った事実であり、

それがなんとなくうれしくもあった。

 

夕方5時半ごろ

「また来ます。ヤスコさんも福岡の方に遊びにきてね」

と言って笑顔で帰っていった。

 

なんとなく気分が沈みがちだった数日だったので、その日は彼らに

救われたような日でもあった。

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2006年10月28日 (土)

ぶつぶつと ひとりごと

真面目な話。

最近のニュースやこのごろの事件を通して思ったこと。

  

小学生の女の子がインターネットの掲示板で30代の男と

知り合って一緒に行動を共にしていた。

女の子は無事保護された。

  

そのほかにも。

  

男が少女を買春した。

出会い系サイトで知り合った男に偽札をもらって

女子高生が使った。

  

ただそれだけのこと。

だけどどこかおかしい。

  

・合意のもととはいえ、いい年した成人男性が、明らかに

 大人じゃないと分かる少女を性の対象にしていること。

・お金で釣っていること。

・少女も安易に男性についていくこと。

・少女側もお金が欲しいという理由で性の対象になることを

 了承していること。

それに伴うリスクがどれだけ大きいか知らないのが子供であり

 何も知らない子供だからこそ簡単にだまそう、だませると思う

 大人の傲慢と身勝手さ。また実際にだます行為。

それは自分の単なる欲求、欲望、性欲、願望を満たすだけの

 もの。

 

ものがありふれているこの時代、何かを持つことが自己満足になる。

人よりたくさんのモノ、より高級なモノを持つことが優越感や

ステイタスになる。

だからそれを得るためにはお金が必要になる。

 

だけど仕事をしていない未成年や子供や少年少女はお金を得る

手段がない。

親にお小遣いでもらってもそれだけでは足りない分をどうにかして

手に入れようと、ない知恵を絞って浅はかな行動をとる。

  

情報がありふれているこの時代、必要以上の情報にまどわされる。

自分の中の欲望や願望だけに留まらず、理性だけでは

コントロールできなくなってしまう。

 

だから悪いことと知りつつも自分を抑制することができずに犯罪との

境界線付近まで行き着いてしまう。

それが子供相手であれば自分をごまかせるだろう、社会の

中では正常を装っていられるだろうというずるさと愚かさが

蔓延している。

 

少々の悪いことぐらい誰でもすることはある。

悪いことをしたことがない人はほとんどいないはず。

ただ悪いことの大きさや小ささや影響の度合いなどで

許されやすさが違うもの。

 

人や周りへの迷惑や、人を傷つけたりするものかどうか、

それが発覚したときの自分への影響や心理、それぞれが

自分の中で自分の解釈と自己都合による基準でもって

瞬間的に半分無意識に、そして半分意識的に判断して

行動する。

 

その自分の中の自己都合的な基準が、以前は誰もが常識的で

かつ良識的な範囲内のものであったのが、今では相当麻痺して

いるのではないだろうか。

 

人によってその線引き(基準)と罪悪感の意識の格差が

大きくなっているような気がする。

 

犯罪に関わらず、需要と供給がマッチしていれば何をしても

許されるのだろうか。

 

そんな解釈なんて都合がよすぎるだけ。

そんな解釈は留まるところを知らず、自分に歯止めをかけることが

できずエスカレートしていき結果として犯罪に結びつくか、もしくは

誰かを傷つけ心の闇と後遺症の被害が拡大していくのだろう。

 

世界各国のように、銃乱射やテロ、核実験などの目に見える

すざましい犯罪や戦争めいたものではなくとも、目に見えない

悪質な出来事も、日本のちまたでは当たり前のように

起きていると思うとなんだか恐ろしい。

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2006年10月 4日 (水)

競争社会の生み出したもの

いつからなのか分からないけど、

昔からそういう部分もあったのだろうけど、最近は

自分さえ よければそれでいい

って感じの風潮に満たされているような感じがする。

  

相手への思いやりや相手を思う気持ちっていうのは

持ち合わせていない。

心にも余裕がないのだろう。

  

そんな心理は競争社会が生み出したのだろうか。

  

少しでも自分を良く見せたい、優位でありたい。

自分が人の上をいくことで自分の存在が保たれる。

  

この社会、この組織、この世の中で生き残るためには

自分が人より優位に立たなければならない。

 

だから自分の下に位置する存在が必要になる。

 

だから自分より下の人をあえて自分と同等以上の位置に

引き上げてあげようと手を差し伸べることがない、

手を差し伸べることができないのではないだろうか。

  

助け合いの精神も未だに存在はしているだろうけど

もし昔と今を定量的にとらえることができるなら

今の方がそんな精神は少なくなってきているのでは

ないだろうか。

  

それは悪意のあるものでもなんでもない。

必然的にそうせざるを得ない環境・社会になって

いるから。

 

それぞれの生活や守るべき大切なものや趣味や娯楽や

お金やいろんなもののために、この場所で自分の世界や

存在を維持していくには普通に必要なものだから。

必然性のもの。

  

でも豊かさの上に成り立った現代社会では、自分が

より優位で豊かでないといけない、生き残れないという

歪んだ価値観生み出しているようなそんな気もする。

 

それが人への思いやりや助け合いの精神の希薄さに

結びついているのではないだろうか。

うーん、我ながら なんだか真面目路線だ・・

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2006年9月30日 (土)

それぞれの道

昔のブログを見ていた。

ある人の。

懐かしい。

   

みんな元気にやっているだろうか。

 

学生時代の友人。

バイト時代の仲間、先輩、店長。

会社の元仕事仲間。

病気と闘っている仕事仲間。

ブログ友達。

  

それぞれが それぞれの道を歩いている。

たぶん いやきっと元気でやっていることだろう。

  

誰にでも自分の世界がある。

自分の日常がある。

  

そんな一人一人の日常が集まり

それぞれが少しずつ部分的に交差し

その人のオリジナルな人生が存在する。

  

そんなそれぞれの日常が

ひとつの大きな空の下に存在している。

  

みんなそれぞれに頑張っているであろうと信じて

私も 自分の日常をこれまで通り過ごしていきたい。

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2006年8月22日 (火)

4コマ劇場 ~恐怖におののく金魚たち~

    4komakingyo2

可愛い金魚が二匹うちにやってきました。

   

コイキングが死んでショックだったけど、なかなか懲りていない私です。

   

金魚がひらひら泳いでいる姿に私は癒されているわけだけど

もしかしたら水の中の金魚から見たら私の顔ってこんな風に

見えるのかしらね(笑)。

  

あんまりじーっと見たら金魚にとってはストレスになるかもね!

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2006年8月20日 (日)

新たなるコイキング二世

Dscn1858

この間,、二年も育てた金魚のコイキングが私の不注意で

死んでしまった。

  

もう生き物は可哀想だから飼えないと思っていたのに、昨日

夏祭りで金魚すくいをしてあっさりと二匹持って帰ってきてしまった。

 

コイキングの生まれ変わりとしてまた可愛がってあげたいな。

  

犬や猫や鳥など、人間の存在を認めて、人間と共存して生きていく

動物は別として、亀や爬虫類や魚などの生物は、自然界に自由に

生きるのが生物の本当の幸せだと思いながらも、気軽に金魚を

飼おうとするこの矛盾した私の行動。

それこそ人間のエゴかしらね。

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2006年8月17日 (木)

今日の日記は「昔の日記」

先月たまたま実家に帰ったときに、幼い頃の写真や思い出の品が出てきた。

    

Diary_1その中でも、印象的なのが子供の頃に

書いた日記帳。

小学6年の頃から中学生時代にかけて

書いた、まさに「中学生日記」。

                                                                                                                

   

まだ全部のページを読み返してはいないんだけど、パラパラと読んでみたら面白いの何のって。

   

おませな乙女のヤッコが書いている内容は、ほとんどが好きな男の子の話。

しかも自分だけの日記というだけあって、リアルな本音がたくさん書かれて

あったりして。

    

ここで全内容を紹介したいぐらい面白いし可笑しい。

   

それが、小学生~中学生と、幼ければ幼いほどその書いている

大人びた内容とのギャップがまた幼さを助長していて、恥ずかしい

くらい。

   

その中で、ふと目に付いた私が書いたポエムを紹介しましょう♪

   

題: ★大人+マニキュア★ 作:14歳の頃のヤッコ

   

足のつめに そっとぬった マニキュア

つめのまわりを ひんやりとした

大人の空気に つつまれた

   

左手の小指も 大人になってみた

そのにおいは マジックのにおいと同じだった

まだ かわききっていないのに

真っ白なティッシュでふきとってしまった

大人になりきってしまうのが こわかったから

つめのすみには まだ残っている オレンジの日本列島

やっぱり大人には なりきれなかった

そのにおいは マジックのにおいと同じだった

   

大人になりきれなかった私・・・

   

この詩を書いていた実際のページがコレ↓

Diarypoem_3

そのほかに、こんなオモロイ恋の妄想ストーリー↓が・・

Diarydorama_3

最後の

「な---------------んつって!」

   

がまた可笑しかった!

上の余白に描いているコテコテの少女マンガ風の絵!

あの女の子、私?

あのパーマっぽいヘアスタイルの男の子、ダレ??

しかも、その横に書いてある、ハイヒールの足はいったい何???

   

まあ、これを読み返して思ったことは、この頃から書き記すことが

やっぱり好きだったんだなーって思いました♪ 

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ばあちゃんとの再会

昨日は久しぶりに、ばあちゃんのところへ遊びに行って来た

   

「グリーンヒル」という、小高い丘の上にある、日当たりのいい

老人擁護施設グループホーム。

   

ばあちゃんは、ヘルパーさんのお世話の元で、他の入所者の

おじいちゃんおばあちゃんたちと共同で生活をしている。

   

私が来ると 「おや?だれだったかいね?」 という顔で見るばあちゃん。

なんとなく顔を思い出したようだけど 「名前は何だったかね?」 と言う。

 

「やすこだよ」

「あー、やっこちゃんだね」

   

色あせて薄くなった記憶のピースがようやくまた少しずつ部分的に

繋がりつつある瞬間。

   

前回遊びに行ってからまたずい分月日が経ってしまったけど、

ばあちゃんの時間の流れは思った以上にゆっくりと、止まって

いるかのようにゆっくりと進んでいた。

   

「ばあちゃん、何歳になった?」

「ん?八十八だよ。八十八。」

前回来たときも八十八歳と答えていた。

今年の3月に誕生日を迎えているはずなのに。

もう90歳を超えているのは確かなのに。

   

ばあちゃんの中の時間もすっかり止まっていた。

   

私が訪れた時間はちょうどおやつの時間だった。

8人ほどの入所者のおじいちゃんおばあちゃんが、ゆっくりと

それぞれのペースでテーブルにつく。

そして小さなモナカと牛乳が一人一人に出される。

   

ヘルパーさんの動きとは対照的におばあちゃんたちの動きのスローさは、

映画の中の特殊な映像処理をしているかのように別の世界を思わせた。

   

キティちゃんのマグカップで牛乳をゆっくりと飲むばあちゃん。

   

皆何を話すでもなく、遠いどこかを見つめて、目の前の床を眺めて

それぞれがそれぞれの世界の中にいた。

   

自然に命を全うするまでの時間を幸せに、できるだけ不自由なく

過ごすという一種のホスピス。

    

ばあちゃんは、「ここは何の心配も無くていいところだよ」 と言った。

   

ほんとにそう思う。

   

それだけの生活をするのにはお金は必要。

   

だけど、それによって生活と心の安定と介護が保証されている。

肉親による世話ではないけれども、割り切ってしまえばそれが

ばあちゃんたちにとって幸せでもあるのかもしれない。

    

ただ、私たちができるかぎり顔を見に行ってやって、記憶が完全に

なくなってしまわないように、今までの人生の記憶が薄れて

しまわないように、過去を共にした私たちが時々でも一緒に時間を

過ごすことで、ばあちゃんの幸せがより本物になるんじゃないかなー

なんて、そう思ったりした一日だった。

   

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2006年8月16日 (水)

知られざる ぜい肉の技

Zeiniku12_3

かなりやばいですね~。

私の二の腕はもちろん「たるんだぜい肉」状態。

自分で触るとぷにぷにして気持ちよかったりもするんですね。

でもたるんだだけのぜい肉では終わりませんよ!

続きがあるんです。

ね?すごいでしょう(笑)。

二の腕のぜい肉に自信がある方、是非試してみてください。

外側から見ると本当に筋肉が盛り上がっているように見えます。

だからなんだって言われるとどうしようもないね・・・(笑)

Zeiniku34_1

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2006年8月12日 (土)

美容院のイス

今日は久しぶりに美容院へ行って髪を切ってきました。

  

今までずっと来てなかった分、一気にまとめて済ませようと

カットとカラーとパーマ。

  

しかも私が行っている美容院は予約制ではないので待ち時間も

長かった・・。

そして人も多かった・・。

  

カットとカラーとパーマでずっとイスに座りっぱなし。

疲れた・・。

  

最近の私はダイエットをして体重が少し減ったから

肉厚だったオシリが薄くなったのよ(ほんとか!?)。

   

だから長時間、イスに座っているとオシリと背中が痛くて・・。

   

美容院はスタッフの技術やセンスももちろんだけど、「イス」も

大事な要素かな。

   

見た目がおしゃれなイスの方が店の内装イメージもいいけど

やっぱり、機能性や実用性も重視してほしいなー、なんて

思うのはやっぱり私が年をとってきたからなのでしょーか??

   

もっとクッションのきいたイスとか座布団(クッション)サービスとかで

長時間でも体が痛くならないような工夫があるといいなぁ~。

   

★明日から実家に帰りますのでブログは15日ぐらいまで

 お休みするかもしれません。

 帰ってきたらまた更新します♪

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2006年8月 6日 (日)

くだらないこと

Tiwawa_genka

痴話ゲンカという言葉がありますが。

チワワが夫婦喧嘩をしたらチワワゲンカ。

「痴話ゲンカは犬も食わない」という言葉もありますが。

チワワの夫婦喧嘩はやっぱり犬も食わないんでしょうね。

チワワ自体が犬ですが。

どうでもいいですね。はい。

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2006年8月 2日 (水)

私の中のキーワード

時が流れる

  

四季の移ろいのように

ゆっくりと ゆっくりと

時間をかけて 時が流れる

  

一日の出来事のように

いつのまにか 走馬灯のように

かけあしで 時が流れる

   

そんな 時の流れ

   

ここまでの道のりは

   

長いようで 時間をかけているようで

  

でも

   

短いようで あっという間のようで

   

そんな風に 長くも短くも感じる

そんな風だから 大切にしたい

   

私の中のキーワード

  

「時間」

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2006年8月 1日 (火)

お仕事ウーマン劇場(プチ)

11_darake_mode

12_chiteki_mode

仕事していても集中力がもちません・・(汗)

ついついだらけちゃって・・ふわぁ~・・・

でも、仕事で話しかけられたら

「はい!なんですか?何でもお答えしますわよ♪」

とおめめをパッチリ、表情キリッとお仕事ウーマンモード♪

・・・・・・・・・・・・。

ウラオモテありすぎだ====!!

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2006年7月31日 (月)

私のウォーキングコース

朝のウォーキングで歩いている場所です。

Dscn1676_1

家からあるいて7~8分のところにある「健康パーク」。

   

テニスコートやグラウンド、体育館、プール、武道場があります。

   

そこのジョギング&ウォーキングコースを利用しています。

   

早朝5時半~6時ぐらいに歩いています。

毎日じゃないけどね(>_<)!

   

土日は朝起きれなかったりしたときは夜に歩いたりしています。

夜はこんな感じ。

Dscn1694_1

テニスを楽しむ人、早起き野球でリフレッシュするおじさんたち。

ジョギングする人、アスレチックや木陰で遊ぶ親子。

   

その時間その時間でいろんな人たちがそれぞれの目的で

面々に利用しています。

   

そんな健康パーク。

   

私も早起きは苦手だったんだけど、早朝に起きて歩くと

とっても気持ちがすがすがしい。

   

一日の活動前の静寂さ。空気の透明感。朝日の美しさ。

夜露にぬれた草木が朝日を受けて輝く緑色の鮮やかさ。

   

そして私はその時間は無心になれる。

何も考えず、時には何かのことだけを考え、いつもと変わらない

周りの景色を見ながら自分が自分に集中できる時間。

   

たまには早起きして朝のすがすがしい空気を吸ってみるのも

いいですよ。

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2006年7月29日 (土)

ヤッコの減量大作戦

Mainasu

心理的には油断するとすぐにマイナスになってしまうけど、

体重はなかなかマイナスになってくれないのよね~。

   

ワタクシ、このほど期間限定でダイエットをしました。

   

約一ヶ月半(約40日間)で3Kg減を目標。

   

運動苦手な私がどうやってこの体重を減らそうかと、いかにして

苦労を最小限にして減量できるかと、そんなずるいことを

考えたりしましたが、以下の戦略でダイエットに取り組みました。

   

1.ウォーキング(30分~45分)

   

  朝5時半に起きて、近くの健康パークのウォーキングコースを

  歩いています。

  昔っから早起きが苦手な私が、「早起き」して「運動」という

  奇跡に近い行動をするなんて自分でも信じられないです。

  でも、意外とやってみるとやれるもんです。

  早起きも数回続けると自然に同じ時間に目が覚めるようになって、

  それを数日続けるとなんとなく「習慣」になってしまうから、そこから

  先はそんなに苦痛を感じることなくやれています。

  平日は5時半~6時10分頃までウォーキングして、帰って

  シャワーを浴びていつも通りに朝食。

  そして、いつも通りに化粧をバッチシ(?)決めてお仕事ウーマン

  モードで出勤。

  お仕事スイッチオン!

  でも、しばらくすると居眠りスイッチもオンになってしまうんですね~(笑)。

  おい、仕事しろヤッコ!!

  

2.食事をちょこっとだけ制限

  

  夜の白ご飯を食べないようにしました。

  炭水化物摂取を控えるためです。麺類も同じ。

  基本はおかずと野菜のみ

  おかずの量も徐々に減らしました。

  一気に減らすとお腹がすいて苦痛に感じるから。

  徐々に減らしていくとそれにだんだん慣れていきました。

  炭水化物を減らすことで、野菜や食物繊維の比率も上がるせいか

  お通じも以前よりよくなったような気がします。

   

3.間食を控える、糖分を控える

   

  お菓子をあんまり食べないようにしました。

  仕事の合間に同僚からもらったチョコレートやお土産のお菓子ぐらいは

  1~2口程度だったら食べます。

  一切食べないわけじゃありません。

  あと、糖分を含んだ飲み物は飲まない。

  基本的にはお茶系(紅茶、緑茶、麦茶など)。

  コーヒーはお砂糖を入れていたのを砂糖無しに変えました。

   

以上、この3点ぐらいでしょうか。意識的に変えたところは。

徹底した制限じゃないところがミソです。

中途半端で適当で根性無しで意志の弱い性格の私には徹底的に、

というのができません。

あんまり苦痛を伴う極端なやり方は私の場合、長続きしないような

気もします。

食べ物や飲み物も一切取らない、となると苦しいだけですが、ちょっと

工夫するとか、少しずつ徐々に減らす、とかであればそんなに嫌な思いも

せずに体質改善できるような気がしました。

   

いままでしなかったウォーキングで汗をかくことで新陳代謝が上がったのか

吹き出物が出なくなりました。

これはいいことだよね!

   

結論として、ダイエット作戦の効果は

目標マイナス3kgに見事着地しました♪

   

あとはこれを維持していくのが難しいんですよね・・・。

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2006年7月22日 (土)

さよならコイキング

さよならコイキング

   

連休の間に家を空けました。

   

いつもは毎週日曜日に金魚(名前はコイキング)の水替えを

するのだけど、この前の日曜日(7/16)は朝から出かけて翌日の

月曜(祭日)に戻ってくる予定だったので、水替えは月曜日でいいか

と思っていた。

   

家を空けた翌日のお昼前に家に帰ってきたら、コイキングは

死んでいた。

   

いつもヒラヒラ、水槽の中を悠々自適に泳いでいたコイキングが

濁った水の中で、水草も心なしか葉も茎もいつも以上にちりじりに

散らばっていて、その中で体を横向きにしたまま水に浮かんでいた。

   

日曜の朝、出かける前まではいつも通りにえさを食べる姿を

この目で見ていた。

   

コイキングはこの夏で二年を迎えようとしていた。

   

あと一日早く水替えをしていたら。

家を空ける前に水替えをしていたら。

たったそれだけのこと。

   

気温も高くなってきたこの時期、水も濁りやすくなってきたなと

私も十分感じていた。

   

あと1日ぐらいいいだろう、という安易な感覚。

でも、その安易な感覚と判断でコイキングの命が亡くなってしまった。

   

たかだか金魚。

夏祭りでたまたま手に入れたもの。

もともと金魚を飼いたかったわけでもない。

手間が増えるだけ、なんて最初は思ったりもした。

   

でも水槽で簡易的に飼っていたら、小さかった金魚がすくすくと

元気にここまで育ってくれた。

なんだかそんなコイキングが可愛かったし、自由気ままに

何を考えるでもなくヒラヒラ泳いでいるその姿に癒されたりもしてきた。

   

だから今はちょっと悲しい。

かなり悔やまれる。

    

たかだか金魚ぐらいで大げさな、なんて自分で自分を冷やかして

みたりするけれど、やっぱりショックだし悲しいという気持ちには

変わりがなくて。

   

きっと暑くて苦しかったんだろうなー、って。

私の甘い判断のために命を亡くしてしまったコイキングには

申し訳なく思う。

   

しょせん金魚。

  

私の中の存在の重さとしては微々たるものだから、きっと

その悲しみなんて数日すればすっかり薄れてしまうのだろうけど

コイキングがこの世にいてしっかりと生きていたということは

忘れないでおきたいな。

  

悲しい姿のコイキングは家の裏の土に水草と一緒に

埋められた。

  

 私の心を癒してくれたコイキング

   安らかにお眠りね

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2006年7月20日 (木)

What's LOVE

愛 って なんだろね

   

愛する って どういうことだろね

   

わかんないよ わかんない

   

頭で考えたって わかんない

一晩考えたって わかんない

一生考えたって わかんない

   

考えたって わかるはずがないよ

 

だって

   

愛 って 心で感じるものだからさ

   

*****************************************

   

「幸せ」とか「愛」とか「生きる」って究極のテーマなんですかね。

   

よく分かりませんね(笑)。

答えなんてないんだと思います。

無理に答えを求めることもないんだと思います。

   

あえて「愛」というものを、どういうことだろうって考えたときに、

「いとおしい」とか「大切だ」とか「かけがえの無いもの」

「相手のために何かをしてあげたい」とと心から思えるとき、思える対象、

思えることが「愛」の概念に近いものなんではないかと、私個人的には

そう思います。

もっともっと広くて深くて大きな意味があるのだろうとは思いますが。

   

だから、前にも記事で「好き」という気持ちは大事って書いたけど、

「いとおしい」「大切だ」「かけがえのないもの」と思えるものが少しでも

あると、それは自分の中で潤いとなって、「幸せ」の樹の枝がどんどん

伸びて栄えていくのかもしれませんね。

   

ペットでも恋人でも子供でも家族でも友達でも趣味でも

住んでいる場所でも仕事でもなんでも、「大切」と思えるものが

少しでもあると、それは小さな幸福の実(もしくは種?)となって

生き生きとした幸福の樹となって色鮮やかに栄えることでしょう。

   

そんなこんなを言ってますが、結局頭で考えてもよく分からない

んですよね。

   

やっぱり心で感じるものなんでしょうね。

それをたくさん感じることが出来る人は幸せなのかもしれませんね。

    

何を言いたいのか分からなくなっちゃいました(笑)。

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2006年7月17日 (月)

なんとなく 夕焼け空

夕焼けの空を見ていた ただなんとなく

   

オレンジ色に 染まった雲

   

光と影により 立体的に浮かび上がる 雲

   

風まかせに ただよいながら流れる 雲

   

そのはるか 向こうの青い空

   

穏やかな 海

  

泣きはらした心も

   

少しだけ 少しだけ

   

ちょっとずつ ちょっとずつ

   

穏やかさをとりもどしていくような

   

そんな 気持ちにさせる夕焼け空を 

  

なんとなく 見つめていた

Sunsett

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2006年7月14日 (金)

キャベツで泣けた日

キャベツをきざんで 涙がでた

  

たまねぎではなく

キャベツをきざんでいたら 涙が出てきた

  

いつまでも出るから

泣きながら いつまでもキャベツを切っていたら

たくさんの千切りキャベツができていた

  

そんな 涙がでた日

   

何もかもが中途半端

   

家のために 仕事が中途半端

仕事のために 家のことが中途半端

   

どれひとつとっても まともにできてやしない

何もかもを 完璧になんて できないって

分かっている 分かっている

   

ここまでやれているんだからと

自分を励ましたりもしてみる

  

それでも

中途半端になっている この状況が

やしくて はがゆくて

   

仕事の波に乗り切れていない 今の自分がくやしくて  

周りに遅れないように 必死でついていこうとしても

私には限界を感じる

   

私は何をやっているんだろう

何をしてきたのだろう

何がやれたのか

何もやれてないじゃないか

  

たかが仕事 たかが生活

されど仕事 されど生活

   

そんなに責めることはないと

もうひとりの自分が慰めるけど

   

私を応援してくれて支えてくれる人もいるけれど

   

それでもくやしくて はがゆくて

どうしようもなくて

そんな沈んだ自分が嫌で

   

どうしても

  

涙が とまらなかった

 

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2006年7月13日 (木)

弱音

弱音は はくもの

いつでも気丈ではいられない

  

弱音を はいて

すっきりしたら

    

弱音を はいていられない と

また気を取り直して 立ち上がる

   

きっと それの繰り返し

  

******************************

   

私は根気が無いし、負けず嫌いってわけでもないから

すぐにあきらめたり、もうだめだー、きついーとか思ったり、

私にはできない、と嘆いてみたりすることがよくあります。

今も不調の波に漂っています。

   

いつもいつも弱音をはいて愚痴って嘆いて不満ばかり

言っていてはいけないとは思いますが、自分で

やれるところまでやって、つまづいて、行き詰まって

今の自分や状況に嫌気がさしてしまったときには

弱音をはいたり、愚痴ったり、泣いたりして、

自分をさらけだしましょう。

   

でも今の私はやれるところまでやっていないんですよね。

  

自分でやれてなくて、自分に甘えてると分かっていながら、

周りと比較して自分が劣っていることに悲観的になってみたり

卑屈になってみたり。

  

自分にもうひとふんばりが足りないってことも分かっているんです。

そんな「不調」「普通」の繰り返し。

「好調」っていうのはあんまりないかな。

その瞬間瞬間で気分がいいときや楽しいって思うときは

もちろんありますけどね。

  

自分の心を許せる人に聞いてもらうもよし、

ひとりで号泣してもよし、ブログに書き散らかすもよし(笑)、

やけ酒して飲み潰れてしまうもよし。

   

 (でも他人に迷惑をかけたり自分の体調が悪くなるような

 飲み方はやめましょうね)

   

ひとしきり落ち込んで沈みきったり、山場や正念場を乗り越えたら

なんとなく気持ちが軽くなったような気がしたり、

なんとなくこれじゃいけないって気を取り直したりすることも

あるだろうから、自分のありのままの気持ちに任せて

自然体でいきたいものですね。

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2006年7月11日 (火)

Happy Birthday to You (2006,July)

Happy Birthday to You (2006July

   

誕生日 この世に生まれた日

   

どこの世界でも どこの国にいても

この世に生まれた日は 誕生の記念

   

そこから あなたの人生が始まったのなら

それは Very HappyBirthday

   

生まれたときの その空気のやわらかさを

生まれたときの そのお母さんのぬくもりを

   

なにも分からないなりに 感じ取っていたのだろう

   

あかちゃんが 感じとるのは 同じもの

   

誰もが そんなあかちゃんだった

誰もが そんなあかちゃんで始まった

    

世界では 悲しい戦いが起こっている

この国では 許せない犯罪が起こっている

あなたの国では どうですか

   

それでも私たちは 生きていくのです

   

悲しいこと 切ないこと 許せないこと 不条理なこと

愚かなこと 汚いこと 苦しいこと 空しいこと

   

大人になるにつれて 私たちは

楽しいだけじゃない 嬉しいだけじゃない ことも

覚えていくけれど

    

何かを捨てて 何かを犠牲にして 何かをあきらめて

生きていかなければならないことも 増えていくけれど

   

命の尊さは 子供であろうと大人であろうと

年をとろうと どこの国にいようと 変わりはない

   

だから

この世に 誕生した日は

記念すべき 自分の始まりの日 あなたの始まりの日

    

始まった日から 続いている この先もずっと続いてく

始まった日から 一年毎に 節目を数える誕生日

    

そんな大事な誕生の記念を

   

海を越えて 国境を越えて 

はるか遠く続く空の下にいる君へ

私が心からお祝いしてあげましょう

   

Happy Birthday To you 

   

7月生まれの 君へ おめでとう

***********************************************

親愛なるjadeskyさま&7月生まれの方々

  

今月がお誕生月とのこと、おめでとうございます♪

 

誕生日、誕生月というのは自分にとっての

節目でもあります。

  

だから何がどうってわけじゃないけど、これから

どういう意気込みでっていうわけでもないけれど

やっぱり「いつもと違う自分だけの特別な日」として

迎えたいものですね。

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2006年7月 9日 (日)

ブログの引越し検討

ブログの引越しを考えています。

今はOCNの「ブログ人」を使っているのですが、

今までプロバイダとして使っていたOCNを近々解約することになるので、

ブログ人も自動解約になるのですが、ここらへんが私の弱点で

イマイチ、どうすればいいのかがよく分からないんですよね。

   

そして、ブログの引越し先をどこにするか。

  

最近になって(必要にせまられて土壇場にならないとなかなか

やらない私の性格なんです)、いくつかのブログサービスを見たりしている

んだけどこれまたどこがいいのか迷ってしまうんですよね。

    

ネット検索で、ブログサービスの比較とか評価で書いてあったりするのを

調べて、ちらっと斜め読みした印象では、gooブログか、livedoorブログ、

エキサイトブログ あたりが充実していそうなのかなーって思いましたが、

なにせ私はそこらへんは素人なので、選ぶのに自信がないんですよね。

    

それに今まで書いた記事もまるごと引越しできるのかどうかも心配。

   

皆さん、結構引越しとかされているんだろうと思いますが、どうやって

いるんですかね?

お勧めのブログサービスとか、ここはこれがよくなかった、とかあれば

教えてほしいです。

  

そもそも、面倒くさがり屋なところがあるので、細かい部分を調べたり

それを理解して新たに試行してみたりするのがおっくうなんですよね~。

 

とはいってもこのままじゃ、ここも自然消滅してしまうからボチボチ

探してみますかね♪

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TOMATO

Tomatoj

トマトのおいしい季節になりました

   

梅雨の合い間の 快晴の朝

   

朝日を受けて 前日の雨でぬれた草葉の露が

キラキラと光っています

   

もう夏を感じさせる 朝

   

こんな夏の朝って大好きです

  

トマトとは関係なかったですかね(笑)

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2006年7月 8日 (土)

ビミョーなとき(その2)

ビミョーなとき

   

 管理職を含めた職場の飲み会で、開催場所の居酒屋に

 早めに着いたのはいいが、ほとんど人が来てなくて、しかも

 偉い人(仕事人間の部長とか)やあんまり話したことの無い人や

 苦手な人だけしかいなくて、まばらに席に座っていたときに、

 自分はどこに座るべきかを考えたら、んー・・・ちょっとビミョー・・・。

  

 着いた席の周りの顔ぶれでその日の飲み会の良し悪しが決まったり

 するのよね~。

 まあ、途中でお酒をついだりつがれたり、場所チェンジしたりして

 顔ぶれもずっと同じじゃないんだけどね。

Photo_3

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2006年7月 2日 (日)

新人教育で 虫の観察

前回のエントリで、虫の写真をついつい載せちゃいました。

こんなことしてていいのか?私。

実は木曜日(7/6)に、技術検討会という技術活動報告会の

ようなものの発表がまた当たってるんですよね~。

前回は2月だったんですけどねー。

   

資料作りをしないといけないんだけど、なかなかはかどらず・・

家に資料データを持ち帰ったものの手がつかず・・・

   

ということで(どういうこと?)、ついでに以前撮った虫の写真を

持ってきてブログに更新した、というわけです。はい。

  

そして、この虫の観察は、今年の新人教育のときに実施しました。

(ハエの方はね)

    

SEMという解析装置の教育で、新人(4人)に半導体パッケージの

サンプルを実際に観察してみるという、いたって真面目に普通の

教育をひととおり実施したあと、残り時間を使って、

   

「今から特別にここだけの実演を行います。半導体パッケージだけでは

面白くないから、もっと別の面白いサンプルを見てみましょう♪」

   

ということで、周りには内緒でとっておきの「虫」観察を

させてみたというわけです。

    

午後ということもあり、眠そうだった新人たちも、ハエの顔や

羽を観察するときには興味津々だったみたいですよ。

   

こんなこと新人に教えていいのか??ヤッコ!!

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知られざる虫の世界

以前ダンゴ虫を観察した写真を掲載しました。

   

あまりにも衝撃的写真だったので、「ここはダンゴ虫のブログ??」

という印象を与えてしまうほど、そのダンゴ虫に魅了された方も

少なくないと思います(ホントかね??)。

   

大好評に続き(どこが!!)、次はこんなものを見てみましたよ♪

ちょっと気持ち悪いですが・・

気分が悪くなってしまったらゴメンナサイ。

   

これはハエです。

20060511_kao_mae

20060511_kao_yoko

目・・・こんなに球体が整然としているのね~。

20060511_me

皮膚?・・ヒゲのようなものが生えている~!!

20060511_hifu

あと、角度と写りがイマイチだけど、これはアリです。

なんだか髪の毛結んだ女の子の後姿みたい??

Ari

で、これは目・・・やっぱり同じ大きさの球体の集合なのね~。

Arime

で、これはです。

これって顔?うひょー!キモイ・・・

Ka

いやー、ビックリドッキリ、キモチワルイ・・・。

仮面ライダーの目の部分と共通してますよね。

でもこのブツブツした目を見ると、トンボの目や

なんだか気持ち悪いだけでしたね!

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2006年6月29日 (木)

本日の落書き(2006/6/29)

Aruaru

ちょっと落書きしてみました。

  

本日のネタだよぉ~!(桜塚やっくん風)

   

ただそれだけ(笑)。

   

ルーチン業務で、時々、他部門の女の子が手続き用の文書を

持ってくるのですが、その文書を処理した後、彼女に返却するときに、

いつも付箋紙に落書きしてちょっとしたコメントをつけて返しています。

   

今日もその文書を処理したので、ちょっと落書きして付箋紙メモを

つけて返しました。

  

彼女は

   

「いつもありがとうございます。今までもらった付箋紙も

全部保管してます♪」

   

と言ってくれました。

   

ちょっとしたミニ付箋紙イラスト集ができそうかもね(笑)。

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2006年6月26日 (月)

ブログ1周年☆

今日でブログを始めてちょうど1年になった。

長いようで短い一年だった。

ほんとに一年が経つのは早い。

   

一年前、やりたいことも特に無く、仕事と家での繰り返しの生活。

何かやってみようかな、と思って始めたのがブログ。

   

その時その時で思ったこと、感じたことを文章で書いて、

時には 絵を描いてみたり 時には写真を撮ってみたり

時には 詩や散文で表してみたり。

   

喜び、悲しみ、怒り、愚痴、嘆き、自己嫌悪

楽しみ、笑い、切なさ、優しさ、苦しみ、涙、憂い

安らぎ、激情、愛、恋、矛盾、愚かさ・・・

   

いろいろなものを感じ取ってきた。

いろいろな思いを書き綴ってきた。

   

私が私でいられる場所。

自由に思いを表現できる場所。

   

そして この一年間。

いろいろな出来事があった。

いろいろな人と出会った。再会もあった。

ブログでも実生活でも。貴重な出会いと再会。

   

これからも、できる限り、自分の続けられる限り

このブログを続けていきたいと思う。

   

以前のように頻繁に

更新はできないかもしれないけど、私のペースで

無理なく、楽しく、自然のままに書き綴っていきたい。

   

*****************************************

これまで ここに訪れてきてくれた皆さん

本当にありがとうございました。

 

ちなみに、2005/6/262006/6/26までの一年間に書いた

記事数は296でした。

コメント数は自分のコメントも含めて1317でした。

   

いろいろなコメントを頂いて、とっても支えになったし、助けられたし、

嬉しかったし、励みになったし、本当にたくさん元気づけられました。

   

ヒマなときはいつでも遊びに来てください。

 

気が向いたとき、何か言いたくなったとき、暇つぶしに、

どんなことでも構いませんので、気軽にコメントしていただけると

とても嬉しいです。

(レスが遅くなることがあるかもしれませんが必ず書きます)

   

これからも私なりにできるところまで細々とやっていきますので、

よかったら、今後も私のブログ「おしごとウーマンの心の洗濯屋」

よろしくお願いします。

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2006年6月24日 (土)

ストレス社会の生み出したもの

ストレスたまってますか?

今はまさに「ストレス社会」。

   

私の会社でも、ストレスで体調崩したり、心の病気になって

休職する人が増えています。

   

ほんとに尋常じゃないですよ。この現象。

  

会社も何かアクションとってほしいのですが、いえ、アクションは

とっているつもりなのかもしれませんが、正直言っていまひとつ。

   

そういう病める人のいる職場ゆえに、人間関係も希薄だったり

業務が過酷であったり、その割りに部下や同僚の体調や心のケアまで

フォローする人はだれもいなかったりするんです。

   

心配する気持ちがあれば、声をかけたり相談にのるなどの何らかの

ことはできるはず。

   

一言、「最近仕事大丈夫?」とか「困ってることはない?」などと声をかける

などすることで、その人の苦しみを吐き出すきっかけは十分つくれるはず。

   

そういう雰囲気さえ生み出さない、そういう余裕すらない、そんな変化に

気づかない、そんな職場は異常です。

  

ホントに休職をする人が多いです。

会社を辞めることができない(再就職はもっと厳しいから)、でも会社に

出社することができない、そういう人を助ける方法、そういう人を

生み出さない方法って会社は本当に分かっているんでしょうかね。

  

Tamarumono

ストレスは仕事ばかりじゃありませんよね。

結婚生活、育児、友人関係その他いろいろ・・・。

消化不良で苦しまないように、うまくストレスを消化していきたいですね。

あ、下の絵はちょっとお気楽バージョンですので。あしからず(笑)。

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2006年6月21日 (水)

日本のお化けの定番イメージ

しまちゃんのブログの記事にコメントを書いているうちに、ひょんなことから

jadeskyちゃんと「お化け」「幽霊」についての話になりました。

   

「足がなくて頭に三角巾をつけている」というのがこちら(日本)でいう

「お化け」のイメージなんだけど、jadeskyちゃんは中国の子だから

それがどういうものか、あんまりピンとこなかったみたいなので、ちょっと

描いてみましたよ♪

   

私たちがイメージする定番の「お化け」「幽霊」はこんな感じ↓?

      

でもこれだったら全然こわくないよね(笑)。

それにしても、“魔法のランプ” を描いたつもりが、なぜか

カレールーを入れる食器になっちゃいました!(汗)

Obake

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2006年6月17日 (土)

遥か遠い空の向こう

遥か遠い空の向こう

   

みんな 元気にやっているだろうか

   

6月の 晴れでもない 雨でもない

灰色の曇り空

   

その曇り空の向こうの青い空の下で

それぞれが それぞれに それぞれの 事情を抱えながら

なんとかやっているのだろうなと

なんとなく ふと 思った

   

   

たとえ 光化学スモッグでよどんだ空でも

たとえ 排ガスで薄汚れた空でも

たとえ どんよりと湿った陰気な雨空でも

   

空は空

   

いつも見上げれば空がある

   

私や いろんな人たちをつなげている 空

見上げると 果てしなく 続く空

   

九州だろうと 沖縄だろうと 北海道だろうと

東京だろうと 愛媛だろうと 大阪だろうと

中国だろうと

   

どこであっても どこにいても

   

同じ空の下

   

お互いの幸せと 健闘を 祈りたい

  

遥か遠い空の向こうから

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2006年6月15日 (木)

ジレンマ

嘘も方便

 

嘘をついてほしいときがある

それによって安心したい

   

嘘をついてほしくないときがある

それによって傷つくことがある

 

そんな 矛盾した 自分のワガママなんて

私の中の しこりと一緒に

   

流れ星となって 流れ落ちてしまえばいいのに

  

私はいったい何をしたいのか 何を求めているのか

答えは 本当は 分かっている

 

自分の中で どうしても折り合いがつけられない

そんな 自分の ジレンマ

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2006年6月11日 (日)

ようこそ♪ 私のNEW相棒

先週の日曜に長年乗った愛車、チョロQ号とさよならしました。

  

そのうち買い替えをと考えていたのが、急展開で新しい車を

購入することになったので・・・。

   

H184月に登録を終えたばかりの新古車なんですけどね。

私の新しい相棒は

「ワゴンR FX-Sリミテッド(黒)」。 これ↓です。

Dscn1637

それまでも、いろいろとディーラーとか中古車屋とか行ってみたりは

していたんだけど。

まず、普通車と軽自動車と、どちらにするか。

   

出張とかで車の運転も結構あるし、高速道路とかの運転も。

普通車にすごく魅力は感じたのだけれども、やっぱり経済的なものとか、

ちょこ乗りのしやすさなどを考えて軽自動車に。

  

軽自動車も他の車種も見たけど、値段の割には内装や装備もそこそこ

よくて、見た目も広さも今までと違和感がなく無難なワゴンRにしたと

いうわけです。

   

同じワゴンRでも、8年前のやつとは大いに違ってて、やっぱり最近の車は

内装とかいろいろよくなってますよねー。

    

今まで乗っていたチョロQ号は、ミニ・ネコバス、といった可愛い感じ

だったから妹のようなイメージだったんだけど、今度のやつは、それまでの

ものと比べてちょっとクールな感じ。

だから「彼氏」に似たイメージでしょうか(笑)。

    

これから私と一緒にたくさん走ろうね。行動を共にしましょう。

私が私でいられる空間と時間を与えてください。

どこまでもいつまでも私を乗せて走ってください。

そして たくさんたくさん話をして 仲良くしましょうね♪

    

それにしても初日の通勤は、さすがに慎重になって、必要以上に

曲がり角で大回りだったり、とまりそうなぐらいに超減速したりと

それはそれは神経使いましたよ(笑)。

でもそれも最初の2~3日。

それがすぎると、今までのように、狭い道もビュンビュン平気で

突っ走る懲りないドライバーです。

 

☆今回は珍しくまとめて更新しちゃったよ。エヘ♪

Dscn1639

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指定型バトン お題 『おしごと』

ぐーとさん から、バトンを受け取りました。

(ぐーとさん、遅くなってゴメンね!)

  

今回は、指定されたキーワードについて答えていく、「指定型バトン」。

  

★★★指定型バトンのルール★★★ 

廻してくれた人から貰った『指定』を『』の中に入れて答えるコト。

また廻す時、その人に指定するコト。

  

ぐーとさんからの指定は『おしごと』

   

■最近思う 『おしごと』

自分に関していえば、最近のおしごとは・・・

自分が何をやっているのかよく分からなくなるときがあります。

計画を立てて自己管理するっていうのがなかなかできない私。

  

おしごと全般的には、最近のおしごとは・・・

景気や需要が変わってきて、いろんな形態が増えてきたなーって

思います。

派遣、バイト、パート、正社員、雇用形態とその比率は昔と変わって

きているようなそんな気がするなぁ。

あらあら、ものすごく真面目に語ってるよ私!

   

■この『おしごと』には感動!!!

仕事を長くやってますけどね、あんまり感動!っていうことはなかったです。

癖のある人や頑固な人や杓子定規の融通利かない人に鍛えられて

自分も強くなってきた、自分の人間性が少し角がとれて丸くなった、

というのはあるかな。

(体つきもやや丸みがでてきて・・?いやいやそれは違う話)

私は会社員なんですけど、人を助ける仕事というのは、やっぱり

感動がストレートに伝わる仕事でいいかもしれませんね。

   

■直感的『おしごと』 

直感的?んー、いつも迷って悩んで、どうしようかなーって思いながら

仕事してるかな(笑)。

優柔不断な性格と変なところで考えすぎて慎重だったりするからかな。

直感的になるのはお昼前。

「あ、もうすぐお昼休みだ!!お腹すいた!!」ってね(笑)。

それと帰る前。

「今日はこれ以上してもはかどらないな・・・さ!帰ろ!!」

妙に直感的になって逃げ足が速くなるときがあるんです(笑)。

   

■好きな『おしごと』 

仕事に好きとかそうでないとかは関係ないですね。

仕事は仕事ですから。お金をもらうための手段ですから基本的に

えり好みはしちゃいけないんだと思います。それが社会人ですからね。

  

それから今の仕事を好きになるかどうかも自分次第だと思います。

自分の希望の職種、職場じゃなくても、人に恵まれることもあるし

学ぶことや得られることも何かあるかもしれないし、逆に希望の仕事に

ついても、環境が悪かったり人とうまくやれなかったり。

でもそれはやっぱり「自分」によるところが大きいのではないかと、そう

思います。

自分次第で、自分が感じ取る感性とそれに対する自分のアクションで

善くもなったり悪くもなったりするんじゃないかな。そう思います。

好きじゃない仕事も仕事と割り切って真面目に誠実にやれば自分に

返ってくるんだと思います。

    

■こんな『おしごと』は嫌だ!!!

さっきの好きな仕事と一緒で、あの仕事は嫌、この仕事は嫌、

だなんて言ってる場合じゃありません。社会人としては。

正直嫌な仕事はありますけどね、それを嫌だと言ってしない、とか

誰かに振るっていうことはいただけませんよね。

嫌な仕事や面倒な仕事も、それが必要な仕事であったら、自分の

中で折り合いをつけてなんとかやらないといけないもの。

  

私が入社して間もない頃は、そんなことも分からず、嫌な仕事

やりたくないから、といってなかなかやらなかったり、それを平気で

口に出したりしていました。

でもそれじゃいけないって、仕事をしていくうちに思うようになりました。

 

まあ、そうは言っても現実には、今でも「嫌だなー」とか「面倒だなー」って

思うことはよくありますけどね。

でもそれでも「やろう」「やらないといけない」っていう気持ちにつなげる

ことができるようになったのは自分の中では進歩した部分ですね。

昔はそこまで気持ちをもっていくことが出来なかったですからね。

   

仕事人、しかも下の立場であるほど、仕事はあまり選んじゃいけないのです。

でも経営者とか管理職とかは別だと思いますよ。

会社のため従業員のため部下のため、仕事はある程度選ぶことが必要な

ときもあると思います。

   

■この世に『おしごと』が無かったら・・ 

そりゃ、すごい世の中になっているでしょうね。

  

仕事がない→働かない→金がない・食料が手に入らない→生活が

成り立たない→イライラする→むしゃくしゃする→

暴れる・悪いことをする・人と争う→犯罪になる→刑務所に入る

→世界中刑務所だらけになる。

と、まあ、こんな感じでしょうか??

   

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ということで、こんな感じで終わりました。

5人に回すとのことでしたが、どなたか受け取ってくれる方は

受け取ってちょうだいませ♪

『 』の中の指定は私も考えてあげますよ♪♪

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2006年6月 6日 (火)

睡眠は別あたま

どんなにお腹がいっぱいでも、「甘いものやお菓子は別腹」というような

ことをよく聞きますが、睡眠も「別腹」ならぬ、「別頭」なんですよね~。

   

というのも、自分の意思に関係なく、「眠気」「睡眠」というものが

やってくるということ。

   

寝るつもりはないのに、いつのまにか意識を失ってしまって

グーグーzzz・・・

   

携帯でメールを送ろうと思っているのに、ほんのちょっとの間に

グーグーzzzz・・・・

   

ハッ!!と目覚めたときは、ココハダレ?ワタシハドコ?状態。

あれ?私、風呂入ったっけ?歯磨きは・・?今日シゴトシタッケ・・???

今冬?(そこまでボケる人いないでしょ!)

    

怖いですね~。無意識の世界である「睡眠」は。

まさに「睡魔」とはよく言ったものです。

   

そういう私は夜12時ごろまでうっかり寝てしまいまして(さっさと寝る仕度して

寝ればいいのにね)、その後ハッ!と例のごとく目覚めまして、ごそごそと

いろいろやって、せっかくだからブログも書いておこう、と書いた次第なのです。

   

別になんでもないことをだらだらと書いちゃいました!エヘ♪

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2006年5月20日 (土)

反省した日

Photo_4

今日は元気です。

週の半ばで更新しようとしたけど、なかなかままならず。

   

これは水曜日にちょっと落書きしたもの。

   

このときは、ちょっとしたことで気持ちが揺れ動いたりして

頭で考えるようには気持ちがついていかずに、ちょっと自己嫌悪に

なって同時にそんな自分を反省した日でした。

   

自分がマイナスオーラに包まれると、なんとなく周りまで巻き込ん

じゃったりして、後で申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。

   

もっと自分に自信とゆとりを持ちたいなぁ~。なんて思う今日この頃。

   

気分屋の私ですから、一晩経てばなんとなくちょっとスッキリ。

気持ちもリセットされたような、そんな感じ。

   

だから今日は元気です(笑)。

もう私ったら、世話が焼けるね~。

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2005年7月23日 (土)

セヴァン・スズキのスピーチ

1992年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで環境サミットが
開催された際、集まった世界の指導者を前にわずか12歳の
少女、セヴァン・カリス・スズキが語ったスピーチを紹介したいと
思います。

***********************************

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。

エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・
オーガニゼェーション)の略です。

カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を
変えるためにがんばっています。

あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくよう
お願いするために、自分たちで費用をためて、カナダから
ブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。

なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするの
とはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちの
ためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物
たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかも
しれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。

数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。

そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、
私たちは耳にします。
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞う
ジャングルを見ることです。

でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつことも
できなくなるのではないか?
あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことが
ありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、
私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔を
しています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのか
はっきりわかりません。

でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。

オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、
あなたは知らないでしょう

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、
あなたは知らないでしょう。

絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、
あなたは知らないでしょう。

そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森を
よみがえらせるのか
あなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのは
もうやめてください。

 ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの
代表でしょう。

あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、
姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。

そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな
家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。

国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、
このことは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの
目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを
知っています。

私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいません。
私は恐い。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

 私の国でのむだ使いはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を
分かちあおうとはしません。

物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの
少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた
生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを
数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、
私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちに
こう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。
 もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
 住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えている
というのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、
いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だと
いうことが、私の頭をはなれません。

どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。

ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、
インドでこじきをしてたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を
解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。

私はまだ子どもだけどこのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、
世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。

たとえば、

* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたずけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* 分かちあうこと
* そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをして
いるんですか。

 なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、
どうか忘れないでください。

そしていったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。

あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きて
いくのかを決めているんです。

 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって
子供たちをなぐさめるものです。

あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、
「この世の終わりじゃあるまいし」とか。

しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことが
できなくなっているようです。

おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことが
ありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、
なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。

しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、
私たちは泣いています。

あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。
しかし、私はいわせてもらいたい。
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動で
しめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。

(翻訳:ナマケモノ倶楽部)

NGO:ナマケモノ倶楽部HP

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