2009年3月30日 (月)

自分を引き締める言葉

こんにちは。yaccoです。
最近はなんとなくブログ更新してますね。
あまり中身がないようなつぶやきも多いですけどね。

さて、今日も自分の頭に刷り込みたいことがあってここに
紹介しようと思います。

頭に刷り込んでおきたいのは、知識を広げようとか頭でっかちになる
つもりではなく、単によくない心や感情にブレーキをかけたり
常に自分を振り返り自分を前向きに立て直すためのバイブルを
持っていたいからです。

どなたが書いた文章か、どなたの言葉かは私も知りませんが
同僚を通じていつものお偉いさんに教えていただいたお話です。

私の心にもずしっとくるものがあり、自分のことを言われているように
耳が痛いこともあり、自分のことを解ってくれているように安心もし、
そして、「あー、そうなんだよな~、頑張れ私」って自分を
引き締めてくれるような、そんな温かいメッセージです。

*************************************************

「私が私のサポーター」

桜のつぼみがほころぶのと、笑顔がほころぶのは、本当に似ている。
緊張していた何かがゆるむ瞬間。
ぐっと思い悩んでいたものが晴れる瞬間。
人はとても穏やかな顔になる。

 いつも、威圧的で、緊張していて、しかめ面の「閉じている人」もいる。
話していても開放感がなく、挑戦的で、いつも何かに緊張している。
だから、その人と長時間一緒にいたくない
そして、多くの人はその人のもとを去る。

 開かれていると、空気も流れる。
閉じていると、呼吸のとおりも悪い。
心を開いていないと出会いの流れも悪い。
人との出会いを求めるなら、開いた人にならなきゃいけない。

 春だし、心も体も開かないと。
でも、心を開くと、人を信じると傷つけられると誰かが言う。
だから、人を信じないのだと。
それは、今までの出会いであって、これからの未来も、そんな
色眼鏡で見ていると、見えるものも見えなくなる。
それに何より、傷ついたキズなんて、身体のどこにも付いてはいない。
傷ついたと思うことが、より心を傷つける。
傷ついたと思う人は、やはり閉じている人だと思う。

 「傷なのだ」ととらえるか、「学びだ」ととらえるかで、人は
違ってくるもの。
体のキズはカサブタになり、その皮膚はより強くなる。
筋肉は激しい運動で、より太い筋肉に生まれ変われる。
修復する自信がないなら、しばらくココロの冬眠をすることも必要
だけれど、さらに、強くなりたければ、恐れないで人との出会いの
海原に立ち向かうしかないと思う。

 もちろん、笑っていても緊張している人もいる。
その瞳の中に、攻撃性や不安が隠れている。
人は、人を信じ、周囲に友好的でないと、心は開かない。
だから、深く呼吸して、胸を開くこと、そして、
「相手は敵ではない、安心できる仲間」と、自分に言い聞かすこと。
 何度も、何度も、お念仏を唱えるように。

 人と居ると緊張する、とある人は言う。
相手にどう思われるか、嫌われやしないか、見透かされや
しないか・・・・と不安になるからだ。
だから、この念仏は、そんな人に役に立つ。
そうすると、こころが開いてゆく。
そして顔がほどけて笑顔になる。
桜の花のように。

 自分に自信がない人は、自分をサポートする必要がある。
 仕事ができなくても、誰かにほめられ認められなくても、
かっこ良くなくてもいい。
生きたこと、笑ったこと、子供のように泣きたいのに大人を
演じていること、これこそ賞賛に値する。

 多くのうつ病患者は、自分を責めている。
うまく生きれない自分を。完ぺき主義者の人は、うまく生きると
いう目的が、もともと高いことが多い。
セレブな生活をすること、仕事で成功を収めること、人から称賛
されること、高い目標を持つこと・・・・

 その夢や目標は、誰かの受売りとも知らずに。
それがなければ生きている意味がないと。

 さて、ここであなたに最高のパートナーを紹介しよう。

 自分にとって最高のパートナーとは、友人や、恋人でも、配偶者
でもない。

自分自身というパートナーだ。

なぜなら、いつも自分と一緒にいるのだから。
だから、自分のパートナーをチェンジさせたほうがよい。
他人の攻撃は無視できても、自分の内からの攻撃はこたえるから。
誰より高い目標を押し付けてくる。それも四六時中だ。

 厄介にも、自分自身を責めることが好きなパートナーは
いただけない。
なぜなら、心の奥から自分を責めるのだから。
そう、もっと、頑張りなさい。
もっと、成功をすべきでしょう。
もっと、賞賛され、うらやましがられないと・・・もっと、もっと!ってね。

 そんなに高い課題を自分に与えるのはなぜ?それをクリアしないと、
自分には価値がないとでも言うのかい?それは、なぜ?答えて・・・
過去に、それを求めた人の価値観の受売りではないのか?
その価値観をもった人たちに愛されたかったから、今でもその
価値観を大切にして生きている?
あなたの人生は、あなたが主人公でしょう。
その人の価値観に応えなくても、あなたは生きているだけで
素晴らしい。

 普通の自分ではダメなのですか?この先の見えない時代の中で、
しっかり生きて、夢に迷いそうになっても、それでも、目覚ましを
セットして、明日のために寝床に入る。
そうして、けな気に生きているあなたでは意味がないのですか。
上司に叱られても、腐らないで、笑顔で生きているあなたは、
ほめるわけにはいかないのですか。
何もとりえがなくても、それでも、普通に大人として演じている
自分には価値がないとでも言うのですか。

 僕は誰もが偉いと思う。普通であることが美しいと思う。
泣きたい夜も、不安な帰り道も、それでも、未来の階段を登ろうと
する、あなたを・・・・

 自分をサポートしよう。こんな感じで・・・

 今日のあなたは、よくやった。イヤな仕事を頼まれても、
いやな顔をせずに笑ったあなたに、感動していたよ。
さびしい夜も、未来の見えない明日のために目覚ましをセットして、
明日もしっかり生きるんでしょ。
ガンバレ、私!いつも、見てるよ。
だって、私が、私の応援団長だからね。
子供の時から、あなたを
知っているわ。
とりえがなくて、人より抜き出るところがなくても、あなたはシッカリ
やっている。
大人になって、大人でない弱い自分に気づいても、それでも、
しっかり大人を演じている。
今日も笑ったね。偉かったよ。
明日も、これからも、ずーっとあなたを見ているわ。
誰が見捨てても、私はけっして見捨てないからね。
約束するわ。

・・・・ってね。

なぜなら、どんなに完璧な愛を求めても、自分以上に自分を
見つめている人はいないし、自分以上に自分のガンバリを
サポートできる人はいないから。
人は誰でも自分のことで手一杯。
その他人から完璧な愛を引き出そうとすると、ある時は成功を
することもあるけれど、誰かに完璧な愛を求めると誰かの
不完璧さに苦しむから。だから、足らない部分は自分でおぎなうこと。

 だって、自分のダメさを愛せる人は、他人のダメさにも愛おしさを
感じるから。自分の完璧でないことを愛せない人は、人の足らなさ
にも不満を感じ、いら立つから。
精神分析医カレン・ホーナイは自分を愛せる程度にしか、他人を
愛せないと言いました。

 完璧なものを他人に求めるから、その人のもとから、人は
去っていく。
去っていかれたから、さらに完璧な愛を誰かに求める。
だから、相手の愛の足らなさに敏感になり、相手を責める。
だから、その人もやがてはその人のもとを去っていく。
だから、さらなる完璧な愛情を誰かに求める。
そして、完璧でない相手に、完璧な愛情を確認しようとして
完璧愛情確認ゲームに入ってゆく。
その人も、やがて責めに耐え切れなくなり去ってゆく。
これを「淋しさのスパイラル」と呼ぶ。

 完璧なサポーターは、やっぱり自分自身なのだ。
そして、時折、人は、自分に優しくならいといけない。

だって、人は死なないで生きているだけでも、スゴイことだよ。
誰かに、さよならを告げられても、やっぱり呼吸をしている
自分の身体自身を愛することだ。

 やっぱり明日の太陽は必ず昇るし、また、笑える未来が
あなたにも、しっかり用意されていることを信じていることだ。
人間にとって大切なことは信じられるか、信じられないか。
希望は僕たちを捨てない。
僕たちが希望を捨てるのだから。

 ユダヤの聖典に、神はなぜ人類を生かしているかというのがある。
それは、わずかな「儀なる人」が存在しているからだという。
この「儀なる人」は、有名人でも、金持ちでもない。
ましてや偉い学者や政治家でもない。
儀なる素晴らしい人々は、子供にふりまわされている普通の親で
あったり、上司に無理難題を押し付けられても、ガンバっている人
だったり、何をやってもうまくいかない人だったり。
でも、腐りもせず、殺人や事件も起こさず、笑っている人。
こんな人を「儀なる人」と言う。

 そんなステキな人々が、地球に住んでいるから、神さまは
僕たちを滅ぼさないのです。
そして、「儀なる人」は、自分が「儀なる人」だと気づいていない。
自分は偉いと思ったり、自分は「儀なる人」かな?とナルシストに
なると「儀なる人」からはずされるのです。

 好きな人に去られても、去った人の幸せを願い、優しい気持ちに
なれる人。
親の愛情が足らなくても、生んでくれて、ありがたいと思える人。
自分がうまくいかなくても、他人に拍手を贈れる人。
もちろん、今日、人を愛せなくても、明日愛せたなら、
僕たちは明日「儀なる人」。
また、明後日には、はずされても。そして、その次は・・・・。

 こころが開くか、閉じるかは、起こった出来事ではない。
それを、楽しめたか、楽しめないかにかかっている。
今日も誰かの心が桜のように開かれて、聖なる普通の「儀なる人」が、
たくさん増えますように。

 

 ←よかったらクリックをお願いします

   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月19日 (木)

あるコラムより 心のエクササイズ

一昨日、会社で配布された広報誌。
いつもは見ないけど、たまたまパラパラっとめくっていて
目にとまったコラムがあったのでご紹介。

  

★イヤな気持ちとのつきあいかた★

作者:船見真鈴(ふなみまりん) EAPカウンセラー・ジャーナリスト

怒り、悲しみ、苦しみ、切なさ・・。なるべくならこんな気持ちは
味わいたくないものですね。

しかしどんなに悟りを拓いてみたところで、そういったマイナス感情
がなくなることはありません。

というのも、実はマイナス感情は、人間にとって大事なもの
なのです。
マイナス感情は、いわば身の危険を感じたときに生まれます。
イヤな気持ちを感じさせることで、
「これ以上そっちに行ったら危険だよ」というサインを送って
くれているわけです。

つまり、危険から私たちを守ってくれているのですね。
だからマイナス感情は人間にとっては必要。

しかしそれにいたずらに振り回されると、人間関係にも影響するかも
しれませんし、心と体にもよくありません。
マイナス感情と上手におつきあいすることが、毎日を快適に安全に
送るためのヒケツなのです。

では、どうしたら上手につきあうことができるのでしょうか。

まず、第一段階は、客観的になること。
感情に溺れるのではなく、ちょっと引いて自分の心を見て
みるのです。

マイナス感情を紙に書き出してみたり、人に話したりして
いったん外に出すと、自然と心を客観視できるようになります。

すると少し心が落ち着いてきます。
そうして客観的にマイナス感情を見つめたら、次に、それを
分解します。

マイナス感情には、別の気持ちが隠れていることが往々にして
あります。

例えば、怒りを感じたとき。
その感情を分解して中を覗いてみると、悲しみや悔しさなどが
隠れていたりします。

そうやって中に隠れているものを引っ張り出してみると、
「ああ、私は悲しくて怒ってたんだな」
「期待に応えてほしかったのにそうならなかったから、がっかりして
腹がたったんだ」
というふうに、自分の本当の気持ちを分析することができます。

感情が分析できた時点で、かなり心はすっきりしますが、
もう一段階、最後の仕上げを。

「マイナス感情を解消するにはどうしたらいいのか」
を考えてみましょう。

悲しくて怒ってしまった場合、その解消方法が
「悲しかったことを相手に伝えたい」なら、相手を責めずに自分の
気持ちを上手にぶつけてください。
「期待に応えてほしかった気持ちを解消するには?」
と考えて、その答えが「期待するのはもうやめよう」なら、
そう心に決め、実行してください。

ここで強い意思を持つことで、マイナス感情に強い心を育てる
ことができます。
感情は私たちに、常に大切なことを教えてくれます。
ぜひ上手につきあって、心の成熟度を増していってくださいね。

 ~以上~

ふむふむ。
まあ、マイナス感情はよくないものだけど、あっても悪くはない
わけで要は自分の心の持ちようでうまく消化していくことが
大事でそこからプラスに転じていくのかな、って思いました。

「マイナス感情を見つめたあと分解してみる」って書いてある
のだけど、感情を「分解」とか「分析」するっていうと難しく
聞こえますがシンプルに言えばその「本当の理由」ってこと
ですよね。

分解や分析してみるまでもなく、怒りや悲しみや悔しさなど
自分がそう感じる「理由」っていうものは自分だけは知って
いるわけで。

理由の全てや一部を人に言わないだけで、自分だけは
なぜ腹がたつのか、なぜ悔しいのか、なぜ悲しいのか、の
理由はわかっています。

その先は、コミュニケーション自分の気持ちの持ちよう次第、
ってことでしょうか。

コミュニケーションによって理解を深め合ったり誤解をなくすこと
ができればそれがいいし、それが無理そうなら「インサイドアウト」
の話のように自分の気持ちを切り替えるしかない。

自分を変えていくことが大事でもあるんですね。

そういえば水曜日、会社ですごくムカついたことがありました。

別の工場拠点の人から(この人がまたちょっとクセモノと評判)
自分が出した指定書のことでえらく理不尽なクレームを言って
きました。
その言っている内容もこちらが想定できないことで理不尽で納得
いかない上に、言い方がまたカチン!とくる言い様。

ブログで「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」について
頭に刷り込んだばかりなのに、これについて私の受け取り方は
完全に

アウトサイドイン!バッターアウト!(え?ちがう?) 

で、電話を切ったあとも、あまりにも頭に血が上ったままだから
親しい同僚に「聞いて~!!」と怒りをぶちまけたら

ぷしゅー~dash  っと自然にクールダウンしていきました。

上のコラムに書いてあるように、いったん外に出してしまうと
落ち着いてくるものなんですね。
心許せる仕事仲間と話したりしてたらすっかり機嫌もよくなり
水曜日の怒りはすぐに消えてなくなりました。

 

ちなみに会社で配布されたこの広報誌、「電機連合」からの
配布物。
(電機連合:電機・電子関連産業の労働組合を結集した組織)

いつもは配布されてもあまり中身を真剣に見ることはありません。
でも今回は何気にパラパラと中身を見ていてこのコラムに
気付きました。

電機連合は、このコラムをヤッコに教えたかったから
「読んでオーラ」を発していたのでしょうか。

恐るべし、電機連合。

  

 ←よかったらクリックをお願いします

   

 

そうそう自分を変えるといえば、中身は変わってないけど
3ヶ月ぶりに今日散髪に行ってきました。
すっきりしました。前回とほとんど同じスタイルだけど。
いつもの散髪直後。

   

      Dvc00119

 

早く切りたかったから今日の帰休を利用して、散髪に行って
ついでにブログも続けてアップしたのでした。

      

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

若い彼女たちへのメッセージ

最近に限ったことではなく、いつの頃でもいつの時期でも
あらゆる場所で大きな事件や事故が起こり、その度に私たちは
驚かされそして時に心を痛める。

そんな大きな事件や事故の影に隠れてしまった事件や事故、
あるいは表面化していない、事件や事故の未満領域というのは
この世の中でどれだけ起こっているのだろう、と思うと
ため息がどれだけ出ても足りない。

秋葉原事件の少し前に取り上げられたニュースで、
山梨県甲斐市の私立日本航空学園にある屋外女子トイレで
生後間もない男児の遺体が見つかった事件
が報じられていた。

女子高生が逮捕されたわけだけど、とても悲しく心が痛む。

この世に生まれてきた命がまともに生きる権利を奪われ
あっけなく消えていく。

女子高生もこの先ずっと負い目を抱えて生きていくだろう。
今までも誰にも話せずひとりで抱えてさぞ辛かったことだろう。
苦しかったことだろう。心も体も痛かったことだろう。
10代という未熟な感性や限られた狭い知識と知恵の範囲では
どうすることもできなかったのだろう。

赤ちゃんポスト「こうのとりゆりかご」に託していれば、せめて
命だけは助かっていただろうが、大人になりきれていない
女子高生が誰にも相談することもなく、ひとりで解決しようとして
いたのであれば、「ゆりかご」に託す道すらも程遠かったのかも
しれない。

まだ若い彼女たちには私の声は届かないかもしれないけど
やはり自分を大切にしてほしい、と思う。

自分を大切にすることが、人を大切にすることであり、
人を大切にすることが、自分を大切にすることでもあるように思う。
 (それが簡単にできたら誰も苦労なんてしないのだろうけど)

薄っぺらい男女の関係だったのか、あるいは本物の真剣な気持ち
だったのがだんだん色あせて悲しい結末だけが残ったのか、
その人その人で抱えている事情や重みや理由も違うと思うけど
やっぱり傷を負うのは身体的にも女性の方が大きい。

精神的に強い部分もあるけれど、まだまだ女性は弱い部分や
弱い立場を持ち合わせている。

今は女性も社会に進出してずいぶんタフなイメージがついてきた。

だけども社会にまだ出る前の、守られるべき幼い大人未満
女の子は、身体や見た目は大人のようであっても所詮
「女の子」であり、まだまだ弱い存在であるのだ。

だからこそ、そんな弱い部分や弱い立場であることを彼女らには
しっかり自覚して自分で自分の身をを守ってほしいと私は願う。

余計な傷を負わないで済むように、自分だけでなく周りの人にも
余計な傷や不幸を負わせないで済むように。

だけど皮肉なことに、弱っているときこそ、心が何かを求めて
いたりするときこそ、間違った道に迷い込んでしまったり、
甘い罠にはまってしまったり、目の前の楽な道にふらふらと
導かれてしまう
こともある。

また10代とは粋がりたい年頃でもあるから、「真面目」と
思われる考えや行為は素直に受け入れたくない心理が
働いているようにも思える。

それに、「もう自分は子供じゃないんだ」という、子ども扱い
されることへの反発
もあって大人の意見に耳を傾ける
ことがなかなかできないのではないだろうか。

そんな年頃の心理はなんとなく理解できる。
解らないじゃない。
自分も通ってきた道だから。

だからまだ青々しい彼女(彼ら)たちに私たちの声を届ける
のは難しい。
まさに馬の耳に念仏で「ギャルの耳に説教」である。

※その前に、自分が若い女の子のことを「ギャル」と表現
することで、自分で自分がオバサンであることを間接的に
認めているようでちょっと複雑(爆)。

話は戻って、まずは本人がしっかりすることが先決。

身を守る、といっても危険な目にあったときに、柔道のように
背負い投げをしろとか、プロレスのようにサソリ固めをしろとか
そういうことではもちろんない。

最近は出会い系サイトなどで簡単に見知らぬ男女が知り合い、 
うわべだけの、あるいは危険を含むかもしれない交際
人知れずかつ安易に繰り広げられる。

傷つかないこともあるかもしれないが、出会い系サイトなどの
出会い方はまず危険が伴うことが大いにあるということ、そういう
ものを利用する人には誠実な人はまず少ないだろうし、そういう
のを利用する目的には何か思惑があるであろうことをしっかり
認識してほしいと思う。

女の子たちの幼さや未熟さゆえにそれを逆手に取っている
よからぬ人も多いのだ。

そういう大人の汚れた部分を垣間見るからこそ子供は
大人を軽蔑し失望し、それらへのあてつけのように誤った道へ
進みゆくのかもしれないと思うとまた皮肉なものだ。

本当に自分を大切にしてくれる人、本当の自分を理解して
自分を見てくれている人はきっと周りにもいるはずだし、
今はいなくてもきっと現れるはずだ。

まあ、男女問わず自分を大事にしてほしいものだけど、特に
まだ若い10代の女の子達には

 

「自分を大事にすること」 を念頭においてほしい。

 

自分を大事にすると言うことが具体的にどういうことか
難しいのであれば、まずは

 
「軽率な行動はできるだけ避けてほしい」 と思う。


自分が必要以上に傷つくことがあるのだから。

 

大人になっていく過程であっても、普通に人を真面目に好きに
なって普通に恋愛をしてほしい。

 

ただ恋愛の延長上に失恋なんていうのは大いにある。
好きな人との恋に破れることもあるし、終わりが来ることもある。

 
それは自分が幼かろうと未熟であろうと、十分成熟してからでも
どんなときでも誰でも恋愛をするし失恋するときは失恋する

 

それはとても悲しいことだけども、自分が真面目に相手を
好きになって、相手も真面目に自分のことを好きになってくれて
それがいつの間にかすれ違いや溝が出来てしまってお互い
傷つけあって別れたとしてもそれは現実として受け入れるしか
ないし、そんな失恋の痛手も時間が忘れさせてくれるはずだし
それによって少しずつ学び成長もするものだと思う。

 

「失敗は成功のもと」という言葉があるけれども、失恋もある意味
「恋の失敗」であり、でもそれは次の自分に繋がるはず。
その痛手を自分の肥やしとして次により美しい花を咲かせる
ことができるはず。

 

素敵な恋や恋愛を経験できて、この人と出会って良かったと

思えるような人、いい意味で心に残る人と巡り会ってほしい

そういう人との縁はかならず自分の身近なところにもある
だろうし何かに導かれるように引き会わせられることもある

だろうと思う。

 

話が少しそれてしまったけど、先の事件の女子高生に
どんな事情があってどの程度の人との交際があって、
妊娠~出産を経てきたのか、そして遺棄するまでにどんなことを
思ってきたのかは彼女以外の誰にも計り知ることはできない。

 

独りでそのようなことをやってしまったのだから、きっと人に

相談するにもできずに自分だけで抱え込んでいたのだろうと
察する。

 

どんなに無神経で無情の子に見えても、どんなに遊び人風の
子でも、赤ちゃんを人知れず分娩し捨てるという行為を平気で
やってのけることなんて出来
ないはずでありどんな性格で
あろうと心が痛まないはずはない。

 

彼女はずっとそういう大きな負い目や罪悪感に苦しみ続ける
のかもしれないと思うと心が痛む。
もちろん人の手によって命が簡単に抹消されてしまった
赤ちゃんのことを思うとそれ以上にやりきれなくなる。

 

そんな不幸はいとも簡単に自分が作り出してしまう恐れがある
ことを頭の片隅にでも置いておかなければならないのだろうと
思う。

  

そしてやはり周囲の私たちも、その人が抱えている事情は
分からなくても何か悩みを抱えていそうであるとか様子が
おかしいとか気づくことも大事なのかもしれない。

特にまだ幼くて未熟な未成年に対しては、思春期だからこそ
行動や考えが不安定で分別がつきにくいし、道からそれた時の
軌道修正方法も分からないだろうから、私たちが手を差し伸べる
ことが出来たらと思う。

悪いことをする大人もいるけれど、守ってやれる頼もしい味方も
大人なのだ。

すっかり長くなってしまって何が言いたかったのやら・・・(苦笑)

でも、とにかく
人的被害で傷を負う人が少しでも少ない世の中であってほし
と心から願う私なのだった。

は~、それにしても何だか書いててミョーに自分てばオバチャンくさい
よな~って思っちゃった(笑) ま、いっかー。

  

それからこの記事とは関係ありませんが、岩手・宮城内陸地震の
被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。
 

★赤ちゃんポスト関連サイト★

「赤ちゃんポスト」によせて

こうのとりゆりかご関連

「赤ちゃんポスト」児童福祉の現場から

暮らしの中のニュース解説「揺れる“赤ちゃんポスト”」

   ←よかったらクリックをお願いします。

最近はちょっと堅苦しい話ばかりであまり面白いことを
書いてないね。
イラストも描いてないし。
でも自分の思ったままに気の向くままに自分のペースで
やっていくと思いますのでこれからもよろしくお願いします。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年6月13日 (金)

コミュニケーション2

少し前に「コミュニケーション」ということで、会社HPよりコラムを
紹介しましたが、今回もその続きを紹介したいと思います。

決して他の文章や人の言葉をネタに使って楽しようとかそういう
わけではありませんのであしからず。

**************コラムより抜粋**********************

「職場のストレスとコミュニケーション」

ある調査によれば、職場の何がストレスかと問われれば、
1位:「人間関係」、2位「能力不足」、3位「仕事が多すぎる」
です。

更に、この調査では、仕事そのものがストレスという のではなく、
‘仕事の失敗’が最大のストレスになるとも言っています。

仕事の失敗が「人間関係」、「能力不足」、「仕事が多すぎる」
といわせているのかもしれません。

偶然の事故や簡単なミスといえる失敗もありますが、
こなしきれない量や質によって仕事ができなかったという失敗も
あるでしょう。

仕事に失敗した時、部下に対して責任を過度に追及することは、
やってはいけな
のです。

担当者としての責任は当然ありますが、組織で仕事をすることとは、
組織で責任を負うということであるはずです。

本人は失敗したことを充分に認識し、次にそれを活かそうとして
いるわけですから、その傷に塩をぬることは避けなければならない
のです。

部下の失敗は、上司がフォローし、組織でそれをカバーしていく
のがよい組織というものです。

しかし、どうしても「叱らざるをえない」こともあるでしょう。
その時には、「怒る」と「叱る」の区別をきちんとつけることです。

「これは君の不注意だ。僕の立場をどうしてくれるんだ!」は
自分のうっぷん晴らしに、我がままで怒っていることです。

「叱る」とは相手の成長を考えて指導することです。
「これは会社に不利益を与えていると思う。原因を追究して、
対策をたて、次はミスを起こさないようにマニュアル化してほしい」
は叱る、です。

出来れば、「今回のミスは僕にとっても貴重な経験だった。」と
励ますほどの度量をみせてほしいものです。

怒られればストレスだけが強く溜まり、叱られるのであれば、
自分への配慮と受け取ることが出きるのです。

そのようなよい職場作りをするときに必要な第一歩が、
コミュニケーションです。

朝の挨拶も「おはよう」と声をかけるところから始まります。
通常は「おはようございます」という言葉が返ってくることでしょう。

中には、誰かが「おはようございます」と挨拶をすることを期待する
人もいて、うちは挨拶がないと不満を言う人がいますが、これは
間違っています。

職場のコミュニケーションは、こちらから話すことから始まり
それをリードするのは上司の役割です。

気持ちの良い挨拶が交わされている職場のメンタルは一般に
良好と言われています。

それは挨拶ばかりでなく、職場のコミュニケーション全般が
こちらの‘期待’と相手の‘期待通りの行為’によってつながって
いるからだと考えられます。

コミュニケーションが良いと、こちらの期待は理解されやすく、
相手も期待通りの行為をしやすくなるのです。

その結果、仕事をする上でメンバーに迷いがない職場となって
ストレスが減り、メンタルの健康に貢献していきます。

よい職場つくりをするための上司の役割は大きいのです。
部下を励ますことなく、いわんや文句を言いながら仕事をこなして
いくのはもってのほかというべきです。

「おはよう」 「おっす!」何でも良いのです。
先ず、発声するところからやっていきましょう。

****************以上ここまで************************

会社HPに書かれているメッセージをそのまま紹介していいもの
やらをその都度少し迷ったりもしますが、名前を出しているわけ
でもなく内容に悪意のあるものではないし、自分が共感得たもの
やメッセージを多くの人に知ってもらいたいと思うのでここに
紹介しました。

私としてはどれもうなずけるものだけど、その中でも特に
「コミュニケーションはこちらから話すことから始まる」という
部分に動かされました。

職場に限らずいろんな場面において人と関わる上では大事な
ことなのでしょうね。

私は自分に自信がないし積極的でないし話下手でもあるし
時にひねくれ者だったり卑屈だったりもしますから自分から
人に話しかける、ということがなかなかできずにいます。
(いわゆる人見知り?)

また、私の中では話しかけるのが恥ずかしかったり、相手に
対して話しかけていいのかな?という変な遠慮や、相手の
反応を意識してしまったりするのもあったりもして話しかける
ことに躊躇するときもあります。

でもいつも受身的でばかりいてはきっとよくないんでしょうね。
人から話しかけてもらうのを待ってばかりではなく、自分から
話すこともしないと何も始まらないのかもしれませんね。

自分から話しかけることにためらいがちだった私も、少しは
気の持ちようが変えられそうです。

私のような消極的な人も、たまには思い切って話しかけて
みませんか?
相手との会話が広がると思います。

 ←よかったらクリックをお願いします

今日も優しくできたかな。

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月 7日 (土)

コミュニケーション

会社全体のHP(ポータルサイト)に役員のコラムがあります。
会社役員は結構たくさんいてそれぞれに役員のページが
あるのだけど、ほとんどは書かれている内容が堅苦しくて
あまり面白みがありません。

ですが、その中で唯一ある役員の方のページには面白い内容の
コラムやメッセージが書かれていて私はその役員のコラムだけは
毎回目を通しています。

そのコラムの中から一部をご紹介したいと思います。
「コミュニケーションと質問力」というテーマです。

****************コラムより抜粋***********************

コミュニケーションは重要だ!
だから、ちょいと部下に話しかけてみよう。

そのあげくに、
「調子どう?」
「まぁいいです」
「なんで?」
「ん~、なんとなく」 

こういう会話をしていませんか?
それっきりで、以後の発展がありません。

何故でしょうか?

「どう」とか「なんで」というのは、相手に「論理性」を要求して
いるからです。
論理性はもっとも答えにくいのです。
考えないといけないからです。

よい質問とは、相手の主観に訴え、答えがより定まりやすい
ものです。

では、バスケ部を例にとって展開してみましょう。

「バスケ部をどう思う?」
「わかりませんよ。」
「なんで?」
「・・・(しらねぇよ)」 

あちゃ!

質問を変えて、会話を前に進めます。

「バスケ部をどう思う?」を次のように展開します。
「どう」「なんで」は一切使いません。

1.Yes/Noを入れる

「Cさん、バスケ部のこと好き?」
「好きですよ!」 

好きなのは、分かったのですが程度が分かりません。

2.選択肢を入れる

「Aさん、バスケ部と野球部 どっちが好き?」
「どっちかといえばバスケ部!」 

野球よりバスケ部が好きなのが分かりました。
でも、何が好きなのか?

3.What(When/WhoWhere) を入れる

「Bさん、バスケ部の何が好き?」
「ハンサムな人がいる、ちから強い、カッコいい」

相当に盛り上がってきました。

4.数値化する

「Bさん、バスケの試合に何回応援に行った?」
「毎回行ってますよ!もう10回は行ってます。」 

そこまで好きなんだ。

5.アクション/リアクションにする

「Dさん、バスケ部の人にファンレターを出した?」
「いつも出してますよ」 

バスケ部が好きなのはこれで念入りに確認できましたが、
では誰のファンでしょうか。

6.優先順位付けをする

「Dさん、バスケ選手を好きな順に教えて?」
「ン~ ○○君、△△君・・・・××君」

全部知っているとは相当なファンだ。
今後の期待を聞いてみよう。

7.ミクロ化する(絞り込む)

「Cさん、あの部長にバスケ部の将来を託せると思う?」
・・これでは質問の幅が広すぎます。
「将来」をミクロ化(絞り込み)すると

「Cさん、あの部長で来年の九州大会を優勝できるかな?」
「大丈夫たい!」

最後に

8.例えをいれる

「Eさん、バスケ部は色に例えると何色?」
「ピンクかな!」 

バスケ部の将来は明るい!となります。

この手法を使うとこんなに会話を発展させる事が出来ます。
良い質問のコツは、相手の主観に訴えることです。

よいコミュニケーションには質問者にも回答者にも新たな発見が
あります。

ここでの発見は、質問者にとっては回答者が熱烈なバスケファン
である事を知り、回答者自身にとっては自分が一番好きなのは
○○君であったことを自覚したことです。

最後に
「君のことが好きだ!」
「なぜ私のことが好きなの?」
「それは・・・・・・世界でただ一人の君だからさ」
「・・・・?」
頭を使って、ここまで哲学的なせりふを言える場合は、
上の手法はいりません。

*************************************************

とまあ、こんなことが書かれていたので紹介したわけですけど。
(こんなところで紹介なんてしていいのか分からないけど)

ふむふむ、と納得するものがありました。

コミュニケーションは人と人とをつなぐ大事なものですよね。

いつもなんでも話しあえて解り合っていれば、言葉などなくても
通じるものはあるかもしれないけど、やはり相手に話さなかったり
相手から話をきくこともなければ何も分からないし何も通じない
と思います。

相手が望んでいなかったり、話すことをさほど必要としていな
ければ自分が思っていることや伝えたい気持ちを話すことも
必要ないのかもしれないのですが。

そんな風に相手が何を思っているのか、どう感じているのかを
知りたいと思い、話をしようと思うのは自然のことだと思うけど
コミュニケーションがなかなかうまくいかないこともあり最近は
話をすることにめっきり自信をなくしてしまって
気落ちしている
今日この頃です。

 

は~、難しいね。

 ←よかったらクリックをお願いします

 

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年7月25日 (水)

キーボードと私

私はピアノやキーボードは弾けません。

「猫ふんじゃった」程度ならできます。
楽器のキーボードは弾けませんが、パソコンのキーボードを叩くのは
結構得意です。

仕事柄いつもパソコンに向き合ってますから。

書き物はもともと好きです。イラストは愛用のペンを使って原始的に
手描きで書いてますが、ブログや仕事などで書きものをする場合は
当たり前だけどパソコンを使います。

でも仕事にしてもブログ書きにしてもメールにしても、パソコンで
キーボードを叩いて文章を書いていると、次第にそれに没頭してきて
顔がしかめ面になってきてて時々ハッと我に返るときがあります。

そんな私の華麗なるキーボードさばきを「なんちゃって音楽形式」で
表現してみました。
さぁ、どうぞ♪ 

イントロ 
ハ~~~~(やっこのため息から始まる) 

カタカタカタ・変換(スペース)リターン  

(最初のうちは軽快に)

カタカタカタカタ・・・・カタカタカタ・・変換・変換・リターン 
カタカタカタカタ・・カタ・・・・・(うーん ←思案タイム)・・DEL(Delete) 

カタカタカタカタカタ・・・DEL・DEL・DEL (間違い多い) 
カタカタカタカタ・・・・カタカタカタカタカタ・・変換変換変換・・・リターン・・
カタカタカタカタカタ・・・カタカタカタカタカタカタカタ・・・
変換変換変換・リターン・リターン 

(だんだん連打が多くなる) 

カタカタ・リターン カタカタ・リターン カタカタ・リターン
 (数字打ち込みモードで) 

カタカタカタカタ・・・ハッ!間違えた(つぶやき) 

BS(BackSpace)BS・BS・BS・・・・カタカタカタ・・変換・リターン 
 カタカタカタカタカタカタ・・・カタカタ・リターン・変換リターン
 変換リタ・・しまった!また間違えた!!・・ワワワ消してしまった!!

(つぶやきが もはやつぶやきでなくなる) 

カタカタカタカタ・・・しまった!
カタカタカタカタ・・・・・えーなにこれ~~?(一人で文句たれてる)

(度重なるキーボード操作ミスに自分で苛立ち&焦りモード。
 眉間にしわ。より目になってきた) 

カタカタカタカタ・・・・・カタタタタタタターーーーー・・・・ リターン!

(連打のあげくリターンに力が入る)
(ヤッコのパソコンをにらむ目が傍目に見てコワイ) 

※を2回繰り返し

華麗で軽快なブラインドタッチに、多少の乱れと独り言を
伴いながらもキーボード演奏も佳境に入ろうとすると、

上司
 「やっこさん、メーカーさんが来たから今から商談コーナーに
 打合せに行くよ」 

やっこ 
「は、はい、今いきます」 

打合せの声がかかり、キーボード演奏はサビも山場もないまま
一旦終了。
しかも中途半端状態。

フリーズするかもしれないので、一旦データの保存はしましょうね♪

ここであわてて「×(閉じる)」を押して「保存しますか?」の問いに
目もくれず「いいえ」とかを間違って押しちゃうと保存されずに終了
してしまい青ざめてしまいますから。
(それって私だけですかね) 

別の仕事が終わると、席に戻って再びやっこの華麗なる第二楽曲が
始まるのでありました。

チャンチャン♪おしまい♪♪

  

なんともまあ~くだらないことをつらつらと書いちゃいました。
しかもどこが音楽形式なのでしょう??
キーボードさばきも「華麗」とはいえないんじゃ?

そんな風にパソコンのキーボードをカタカタと叩く軽快で(?)
不規則な音を聞きながら、言葉を入力しては考え、入力してはまた
考えながら書き綴っています。

メールも書き出したら止まらないです。
「それじゃ」と締めくくりの言葉を書きつつだらだらとまた書いて
しまうのです。

ブログについては書く内容や書き方や口調やトーンは
その時その時でさまざまだけど、何かテーマやがあり、それについて
自分の考えを表現したいときや伝えたいときなどは、じっくりと考えて
言葉を選びながら、文章を考えて書いては修正し書いては修正し
丁寧に「書き上げる」のが私の中の基本。

ブログも一回保存(アップ)した後でも、何度も修正したりしてます。
それでも誤字脱字に気づかずに誰かからこっそり指摘されたり
するのですけどね(笑)。

普段は「丁寧さ」を心がけているけど、ちょっとやけになっているとき
や嫌なことがあったときや何だかよくわからんけど自分の中で
もやもやしているときは、丁寧さは差し置いてとにかく「書き出す」。
 

それだけでも自分の中では少し整理されたような気がして
すっきりします。

昨日のぶっきらぼうブログも「書き出した」という感じでしょうかね。

自分のブログですから自分が好きな時に好きなように書いてます。

一応ランキングにも登録していて、気にならないといったらウソに
なりますが(やっぱりランクアップすると嬉しいものね)、だからと
いって、更新頻度や更新内容を意識しすぎるとそれにとらわれ
すぎて自分を縛り付けてしまいそうで、その割に内容が希薄に
なったりしそうなので、自由が好きな私としては、自分のペースを
保ちつつ、書ける時にはどんどん書いて、書きたくないときには
無理をしてまで書かない、そんな「自由」な私の居場所であって
ほしいです。

なんだか話がそれちゃいましたが、今日はそんなとりとめもない
感じで終わります。 最近イラストなくてゴメンナサイです。

 ←ここはリターンじゃなくクリックね♪

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

カタブツな課長にみる人間関係術

会社生活をしているといろんな人がいるなーって思うときがある。

会社に限らず、世の中にはいろんな人がいるわけで。

「千差万別」という言葉があるように。

  

私がいる部にもいろんな人がいるが、となりの課の課長で

生真面目というかカタブツというか融通のきかない頑固な課長

いる。

  

冗談も言わないし、冗談を言い合ったり世間話をしたりするような

雰囲気の持ち主ではない。ただ単にカタブツな人の印象。

  

で、仕事も細かいというか自己中心的というか、自分の路線を

貫いているような感じにみえる。

  

みんなとフレンドリーに世間話をするような雰囲気も隙もユーモアも

ないから話しかけづらいし、みんな話そうという気にならない。

課長間でもちょっと浮いた一匹狼状態。

   

もっとコミュニケーションを深めればそういう印象も払拭されるのかも

しれないが、そこまでにたどりつけないバリアとオーラが漂っている。

   

そういう課長だから、もちろん部下ともうまくいっていないようだ。

  

となりの課ということもあり、その課長と部下がもめているのを

しょっちゅう目の当たりにしている。

  

「もめている」「言い争う」のと「ディスカッション」とは違う。

   

彼らは明らかに「もめている」のだ。

   

「ディスカッション」は仲間うち(ある程度同じ目的を共有する者同士)

ひとつの目標や理想や目的に向かって最善の方法を見つける

べく意見を出し合うことだと自分は解釈している。

  

「もめている」のはそれこそ「言い争う」ことであり、自分の考えや

信念のためだけに、相手のことや本来の目的を差し置いて、

相手を認めずに我を貫き通すことのように思う。

  

潜在する目的がきっと違うのだ。

「相手に勝つ」ために意見する。それは自己のため。

「よりよいものを求めて、向上する」ために意見する。 

それは会社の利益・発展やそれに伴う幸福を仲間や同士と共有

するため。

   

その課長は、部下だけでなく部長にも反論する。

  

激しく意見が衝突する中、部長が 

「少しぐらい人の言うことを聞け」 と強く言うと、

 

その課長は

「部長、あなたもです(人の言うことを聞きなさい)」

 

と言うらしい。

   

ある意味、誰が相手だろうと自分の信念を貫き通すのは悪いこと

ではないし、相手が部長や偉い人だからといってヘコヘコして

ごまをするのもどうかと思うが、無理やり自分の信念や我を貫き

通しても相手や周りとの関係を悪化させるだけじゃないだろうか。

   

自分の意見を無理に押し通しても

「相手に解らせた」「相手を封じ込めた」みたいな

自己の満足感は得られるが、それは一時的なものにすぎず

後には何も残らないように思う。

   

残るのはむしろ反感相手とのわだかまりだけ

   

もちろん「よりよいものを求める」ために相手の意見よりも自分の

意見が優れているということで意見を主張することもあるだろう。

   

だが、やはり人間関係の上に仕事も成り立っているのだから

関係を悪化させることで、よくなるものもならないし、人的障害や

抵抗が増すだけのようにも思える。

   

やはりそこでも変な「プライド」が悪さしているように思う。

プライドが高いだけだと相手を認めたり受け入れたりすることが

できない。

常に自分が正しいと思っている。

  

自分の意見を聞いてもらうには自分も相手の言うことに耳を

傾けること。

相手を認めること。

異なる意見や考えも認めること。

自分以外のものも尊重し一旦受け入れること。

   

大事なことだと思う。

   

できるだけ相手を不愉快にさせないよう、ちょっと気を使うことで

ずいぶんと人間関係も円滑になるんじゃないかって、そう思う。

  

言葉使いにしろ、ディスカッションでの自分の意見を述べるにしろ

相手に頼みごとをするときや頼まれごとを受けるにしろ、相手が

納得して快く受け入れてくれるには自分がそういう人間になる

必要があるんじゃないかってそう思う。

   

相手を不愉快にさせることは敵をつくること。

 

敵をつくりすぎては物事が円滑に進まない。

そういう部分があるのは損なことだなーって思う。

   

周りに流されすぎず、自分の意見や考えをしっかりと持ち

それを認めてもらえるよう相手のこともしっかり認めることが

大切なのではないだろうか。

   

ちょっとした言葉遣いや心無いストレートな表現がもとで誤解を

招いたり不愉快な思いと反感を抱かせたりすることもある。

   

ギスギスした人間関係になるのか、円満で和やかな人間関係に

なるのかは、自分が結び付けているところも大いにあると思う。

   

いつも思うが、その課長は毎日そんな風に周りとの調和も

しないで孤独に仕事をしていて何が楽しいのだろうか。

楽しさを求めているわけではないのかもしれないが。

傍目にみて、虚しく思う。

   

まあ、私には到底理解できそうもないが、そういう気質の

人間もいるということで。

   

たかが会社生活。されど会社生活。

  

仕事や会社に限らず、人と調和を保ちながら少しでも楽しくやって

いけたらモア・ベターね。

(小森のおばちゃま風・・・って知らない??)

  

ちなみに、私のいる課は課長も含め個性はそれぞれあるものの、

みんな優しく温厚な人たちで私は恵まれている方です。

あ~、よかったな~。

 ←みんな楽しく♪

| | コメント (4)

2007年4月27日 (金)

1月のプロフェッショナルを見て

今頃話題にするのもどうかと思うが、1月に放映されたNHK

「プロフェッショナル」という番組で、漫画家 浦沢直樹

取り上げられていた。

 

ちなみに浦沢直樹の代表作品はYAWARA」「MONSTER

20世紀少年」「HAPPY」「PLUTOなど。

 

私はその時ちょうどその番組を見逃した。

というか、それほど熱狂的ファンというわけでもなかったので

その番組があることを全く知らなかった。

 

たまたま、その時期に浦沢直樹が描いたマンガ本PLUTO

会社の同僚に借りて読んでいたので、なんとなく興味が出ていた

時だった。

 

そんな時だったので、「プロフェッショナル」の番組が終わった後に、

たまたまテレビ欄で浦沢直樹の特集があったことを知った時は

残念でたまらなかった。

 

幸い、「PLUTO」を貸してくれたその同僚が番組を録画していたから

その録画したDVDをくれた。

 

DVDを受け取ったのはもうずい分前(番組自体が1月だったし)。

 

いつでも見れるという安心感があったせいか、なかなかそのDVD

見ることがなかったのだけど、ようやく先日遅ればせながら

その番組を見た。

(今頃?!なんでもワンテンポずれている自分がお恥ずかしい・・)

 

まあ、その番組の感想はというと、世の中にすごい人はたくさん

いるし、漫画家という職業の中にもいろんな人やすごい人が数多く

いるのだろうけど、浦沢直樹さんも私から見たらかなり「すごい人」

なんだなーと思った。

自分の受けたイメージを言葉でうまく表現できないのがもどかしい

けど。

 

漫画・絵のテクニックはもちろん、ストーリーや映像イメージや展開を

頭に描き、それを実際に紙に絵で表現する。

小さな部分も妥協を許さずに修正を重ねる。

締め切りという納期との戦い。

 

そして自分が描きたい・表現したい・伝えたいという信念が作品の

出来に反映していく。

 

それが累計発行部数1億という実績につながっている。

 

何の職業がいいか、というよりもどんな職業でもレベルの高いものは

レベルが高く、そういう高いものを目指して努力することが出来る人を

私は尊敬する。

 

単に「儲かっているからすごい」とか「有名だからすごい」とか

そんなのじゃなくて、本当にすごいのは「尊敬」できる人であると

いうこと。

私が思うに。

 

村上ファンド代表の村上氏やホリエモンとかは、賢い頭脳を使って

金を動かして儲けた人たちということでは、そりゃ「すごい」とは

思うけど、私は「尊敬」しない。

 

金儲けに対して努力していたのかもしれないけど、私から見たら

何か違う。

 

私は、お金は自分の労力や努力を売ってお金に換えるものだと

思っているし、志や目標が高く、それに向けて努力をしている人・

何かを創造している人は「尊敬」できるし、結果的にその努力が

技術や実績となって収入に結びつくのならそれが理想的なんじゃ

ないかって思う。

 

とかいいながらも、どこかに「楽をしてお金を得られたらいいな~」

って思う自分が2割、いや3割ぐらいはいるのも本当のところ

だったりもするけど。 

 

とにかく、誰かのために、自分の志・信念のために何かを一生懸命

やっている人はすごいなって思う。

 

それは自己欲・物欲とは明らかに違う。

自分にはなかなか出来ないことだからゆえに「すごい」と思うし

「尊敬」する。

 

仕事においてもそう。

上司においても同僚においても誰においても近いことがいえる。

 

どこか尊敬できる部分があるということは相手を認めるということ。

 

そうやって違う個性を認め合って一緒にやっていければ、割と

うまくいくのではないかって、そう思ったりもする。

 

話がそれてしまったけど、「浦沢直樹」漫画はそれまで単に知って

いただけで、読んだことはなかったけど、そういう目で見ると

また一段と読む楽しさが広がるような気がした。

 

「漫画」っていうと軽く見られがちだけど、手塚治虫漫画などの

ようにやはり評価が高いもの、売れているもの、みんなから愛される

ものは漫画であってもそれなりの価値があるのだと思う。

 

 

それにしても、1月放送の番組を今頃見て何やら語っている私って

やっぱりワンテンポずれてるよね(汗)。

| | コメント (0)

2007年3月16日 (金)

私にできること(本の紹介)

前回のくだらない記事と違って今回は真面目に・・

本の紹介です。
ブログでたまたま知り合ったある人(女性)。
その人とは共通項によって知り合い、その共通項によって
たまたま身近の人だったということが分かりました。

その“共通項”がその「本」だったのです。

彼女は自分のブログでその本を紹介されていました。
私もその本を持っています。何度も読みました。涙が出ました。

うまく表現できないけど、とにかく「いい」と思ったし
心を打たれたので、せっかくだからこのブログでも自分なりに
紹介しておきたいと、そう思ったのでここに書いています。

少しでも多くの人に知ってもらいたいと。

私にできること。

私の気持ちを記すのももちろんだけど、この本に込められた思いを
より広く知ってもらうこと。

     Dscn2292

 「駿ちゃんがくれた宝物」 田迎保育園:編 熊日出版:発行

ウェルドニッヒ・ホフマン病という難病を抱えて生まれた駿ちゃん。

その病気は、「脊髄性筋萎縮病」のひとつで、生後すぐに症状が
表れるといいます。
脊髄の運動神経細胞の病変によって起こる進行性の神経疾患。
生命を救うためには気管内挿管に気管切開、人口呼吸管理などが
必要な難病とのこと。

駿ちゃんはその病気と闘いながら、ご両親や周りのたくさんの愛
を受けて、保育園に通いながら一生懸命に生きました。

そんな駿ちゃんの生まれてからのご両親とのこれまでのあゆみ。
駿ちゃんを受け入れてくれた、ある保育園との出会いと登園の様子。
両親に支えられながら、たくさんの人たちや子供たちとの関わり
たくさんの愛を受けた生涯。

4歳9ヶ月という短い命だったけれども、幸せとは、生きた年数や
月日や時間の長さには関係ないんだと思わせてくれました。

「幸せのかたち」は人それぞれなんだと強く感じました。

ご両親にも私たちには計り知れない苦しみや悲しみがあったので
しょうが、駿ちゃんの存在がまたそれを幸せに変えてくれたのでは
ないかと思います。
本当に宝物なのでしょう。

そんな駿ちゃんが生きた証として一冊の本になりました。

駿ちゃん自身の成長と様子、闘病の記録、ご両親による育児と
我が子への想い、保育園での様子と保育士による日常の記録、
主治医からのメッセージ、保育園の保護者による自作の絵本。
それら全てがこの1冊に記されています。

みんなの心の中にはもちろんいつまでも残っているけれども
それが「形」となってこの世に残ることはとても素晴らしいこと
だと思います。

ご両親をはじめ、駿ちゃんに関わった人たちのそんな思いを
少しでも伝えることが今の私にできることなのかな、と
そう思います。

| | コメント (4)

2007年3月13日 (火)

コトバ

言葉って便利。
だけど言葉って難しいね。

自分の思っていること自分の気持ちが全てそれで表せるとは
限らないから。
自分の何気ない言葉でもしかしたら誰かを傷つけてしまったり
誤解を与えてしまったりしているかもしれないから。

ごくごく親しい人や信頼関係のある人、親子関係や絆の
深い人との間では言葉などなくても、目や表情やしぐさや
態度でも気持ちを通じ合わせることもできるけど、やっぱり
相手によっては、時と場合によっては言葉が必要なときも
あったりで。

自分の気持ちを言葉によって補うことでもう少し伝わりやすく
なるかもしれないし、自分が思っていてなかなか口に出して
言えないことも「文字」という言葉で表すことで少しだけでも
伝えやすくなるかもしれない。

言葉が足りなすぎても、相手には全てが伝わらなかったり
誤解を招いてしまったりしてしまうし、言葉が多すぎても
相手を不愉快な気持ちにさせてしまったり不用意に傷つけて
しまったりで。

便利でもあるけれど、人を傷つけてしまうこともある。
もちろん意図的に相手を攻撃する手段にもなってしまう。

私はやっぱりできれば傷つきたくないし誰も傷つけたくない。

だから自分の言った言葉で、自分が思っていることを何気に
言ったことで誰かを傷つけてしまったんじゃないか、誰かを
不愉快な気持ちにさせたのではないか、私の気持ちとは
異なった解釈をされてしまったのじゃないか、ってふと
気になってしまうことがある。

でも人とのコミュニケーションを助ける大事な手段でもあるから
やっぱり言葉を上手に使って相手にリアルに伝えていきたい。
そう思うシリアスな私だったりして。

| | コメント (1)

より以前の記事一覧