2009年3月17日 (火)

インサイドアウト

こんにちは yaccoです。
しばらく立ち止まり足踏みしていた私ですが
少しずつ前に歩きだしました。

ある方からお話をしていただきました。
メールですが。

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心の問題を考えるときに、アウトサイドインとインサイドアウトの
二つの考え方があります。

例えば、「あの人の言動で、私は不機嫌にさせられた」
というのが前者の考え方、「あの人の言動で、私が勝手に
不機嫌になっている」というのが、後者の考え方です。

アウトサイドインでは責任は他人にあり、インサイドアウトでは、
責任は自分にあるという考え方です。

ものごとは考え方次第なんですね。責任が他人にあると思えば、
他人が変わらないとなにも良くならない。
責任が自分にあると思えば、自分が変われば状況が良くなります。 

ですから、上の例で、インサイドアウトに立てば、自分で機嫌を
よくする事ができます。

どちらを取るかは、自分の選択です。
仕事がうまくいかないから、部下をどなるのか、
それでも励ますのか、
自分の気分が良くないから、不機嫌な顔をするのか、
それでも笑顔をむけるのか、
自分の期待通りにしてくれない恋人に、正義の刃で
傷つけるのか、それでも元気であればよいと微笑むのか、

全部自分の選択ですね。 人生はこの瞬間、瞬間の選択で
なりたっています。どちらを選択するかで、幸せになるか、
そうでないかが決まります。

と、ここまでは知っているのですが、なかなか自分では
良い選択が出来ずに、感情に走って反省ばかりです。

ですから、あのようなものをいっぱい読んで、頭に
刷り込ませないとおかないと、感情丸出し人間、責任転嫁上司に
なってしまいます。

僕の防御策です。

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以上がある方からいただいたお話でした。

インサイドアウトとアウトサイドインの話そのものも興味深い
ものがありました。

また、それと同じぐらいにそれに続くコメントも共感を持ちました。

その方も、頭ではそうは分かっていても現実には難しく、
理想どおりにはいかないことも解られていて、良い選択ができずに
反省することもある、とおっしゃられていたこと、
だからそういうものをたくさん頭に刷り込んでおかないと
感情丸出しの人間になってしまうんです、と語られていたこと
に共感と親しみを持ちました。

現実や自分の弱点を知りそれを受け入れ、認めた上で
志をしっかり持ちたい。

私もそうありたい、と心から思いました。

そして、良くなるも悪くなるも
自分次第、自分の考え方次第、気持ちの持ちよう次第
なんだということも改めて感じました。

その方の人間味あふれる懐の広さと慈悲深さと謙虚さが
大好きです。

いつも何かを気づかされ励まされ救われて癒されています。

自分を見つめる、自分と向き合うことは難しい。
あれこれ考えすぎることもよくない。

それでも、自分を見つめ向き合い、強い心を持ちたいと願い
常に自問自答し考えていくことは悪いことではないのだと
私は思います。

私もたくさん刷り込んでおかねば。

自分のよくない感情にブレーキをかけられるように。
人に不愉快な思いや嫌な思いをさせないように。
幸せや喜びを少しでも多く感じ取れるように。

 

私は勝手に不機嫌になっていたのでしょうね。

 

心の旅はまだまだ続きます。

  

  

今日で記事数がジャスト900になりました。
1000エントリめざして頑張ろう。

  

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2007年6月13日 (水)

誰にでも持ち得る衝動的感情

先々週の日曜日、子育て真っ最中のあるママさんが私のところに

遊びにきて、少しの時間だったけどいろいろと話をした。

  

彼女は3歳の幼児と生後5ヶ月の乳飲み子を抱えている。

彼女の旦那さんは訳あって今は離れ離れで生活している。

  

3歳になったばかりの長子と生まれたばかりの乳幼児の二人の

面倒を まる一日×毎日見るのはやはり大変そうだ。

  

彼女はあっけらかんとした朗らかなタイプなのだが、やはり育児という

毎日の生活に追われると、そんな精神的余裕もなくなっていくようで

ネガティブな考えやイライラした感情や悲観的になったりしてさすがに

不安定になったりもしているようだ。

  

たまに私の携帯の方にも日々の大変さや愚痴や嘆きをメールで

送ってきたりして、そんな私も返信に毎日の愚痴などを延々と長い文章で

書き綴って彼女に送ったりして、彼女とのメールのやりとりもお互いの

ちょっとした憂さ晴らしになっていたりもする。
(少なくとも私はね。
 いろいろと思うことあったりするんだけど、彼女との

 メールで自分の気を紛らわすことができるから)

  

彼女にとっては今が一番と苦労の多い子育ての時期なのだが、彼女が

  

「子育てに疲れきっていた時期があって、その時はまじで上の子を

 赤ちゃんポストに入れようかと思った」

  

って少し前のことを振り返ってメールに書いていた。

  

それほどまでに彼女は切羽詰っていたのかと思った私は

「どうしてもきついときや辛いときはいつでもおいでよ。子供だって誰か

 身内にしばらく預けるとかできるはず。私のところでもいいから」

 

と言った。

  

彼女は

  

「そうだよね。あの時はどうかしてた。普通じゃない精神状態にあった

 のかもね」

  

と言った。

  

その彼女の言葉を聞いて思った。

  

子供の首をとっさに絞めることや、子供を置き去りにすること、

子供を赤ちゃんポストに入れること、子供にきつくあたってしまうこと、

傷つけてしまうこと・・

   

ほとんどが冷静な判断ができない心理状態のもとに行き着いてしまう

行動なんじゃないかと。

  

自分が追い込まれた状況から抜け出すため目の前の安易な

逃げ道に走ってしまうのだと。

  

いろんな悲しい事件や事故のニュースを聞くたびに

  

「普通の心理状態じゃなかったのだろうな」

  

とは漠然と思っていたが、それでも自分の中では

「もっと祖母や知人や友人や旦那さんに相談すればよかったのに。

子供を捨てたり見殺しにするぐらいなら養護施設に預ければいいのに」

  

とも思ったりしていた。

   

でも大半のケースについては、身内や親しい人に相談するとか

養護施設に預けるとか、そんなことすらも考えつかないほど

追い詰められた極限状態にあるのかもしれないと改めて思った。

  

気がついたらその行動に走っていた。

目の前の逃げ道が苦しみから逃れる方法だと錯覚してしまった。

  

冷静に考えればそんなはずはないのに。

後々自分が苦しむだけだ、と考えれば分かることなのに。

  

そういうことなのではないだろうか。

   

もちろん、それはどんなに普通の人でも、子供が好きな方だと

思っていた人でも、いろんな事情も含めて精神的に実際の育児に

疲れきってしまった場合のことであり、もともと凶暴な性格の人間が

幼児虐待したり、未熟で稚拙な大人が親になりきれずに非道な

行為を日常的に子供に行ったりするのはまた別の問題だと思われる。

   

それは、普通(平静)の状態においては子供に対して好きだ・可愛い

という愛情が少なからずある場合でそういう悲しい行為に走ってしまった

のか、そういう愛情が元々ない状態で子供にむごい行為をするのかで、

同情の余地の有無が大いに違うのではないだろうか。

 

そんな、自分でも考えられない行動をしたりしようとしたりして、ハッと我に

返り、 「自分はなんて恐ろしいことを考えているんだろう、私は異常

なんじゃないだろうか、私はダメな人間だ」 と自己嫌悪に陥ってまた

ストレスを増加させて悪循環に陥る。

 

でも、それは自分、あるいはその人そのものが異常なのではなく、

誰もが持ち得る衝動的な感情なのではないかと思う。

   

まあ広い意味で考えてみても、世の中の犯罪だって極限状態の

普通でない精神状態に行われたものも多いはずであり、自分の中の

ストレスとなるものがどんどん積み重なっていって消化不良に陥り、

何かのきっかけで一度冷静さを失ってしまえば、自分だって何をするのか

分からないのである。

   

そんな大げさなことじゃないのかもしれないが、彼女もきっといろんな

ストレスがたまっているのだろう。

  

冷静な思考が出来なくなってからでは遅いのだ。

   

そうなる前に、常日頃から気晴らしや気分転換などのその人なりの

自分の心を穏やかにするためのストレス解消法が必要なのかも

しれない。

  

そしてやはりここでも、自分がストレスから抜け出す適切な方法を

見つけると共に、人に対しても誰かのストレスを軽くしてやることが

自分にできるのなら少しでも力になって支えてあげたいと、そう思う。

  

彼女は私と同様、そんなこんなで浮き沈みしながら毎日を送っている。

  

楽しいことばかりではなく、むしろ嫌なことや落ち込んだりすることが

多かったりする毎日だけど、最悪の心理状態になることなく

どうにかこうにかして一日を終えてまた明日につなげることができたら

それはそれでよしとしよう。

  

  

 ←心おだやかでいられますように

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2006年9月 1日 (金)

yacco状態図 ~自分の殻~

    Yacco_2 

いつものように、普通に

明るく振舞おうとするけど

明るく振舞えない

  

とっても無理をしているような自分が分かる

   

かといって、悲しい表情や暗い顔や嫌な自分を

見られたくない 見せたくない

   

心配をかけてはいけない

自分のせいで嫌な思いをさせたくない

   

でも自然な笑顔で

明るく優しく振舞うことが

今の私にはなかなかできなかった

   

嫌な自分が出てきそうになった

そんな嫌な自分は見せたくなかった

   

でもスマイルなんて余裕はなかった

   

だから

仕事が終わって

別に早く帰る必要などどこにもないのに

   

その場を早く去りたくて

会社という世界から 自分を切り離したくて

逃げるように帰ってきた

   

そして今日一日は

自分の殻に閉じこもる

   

今夜一晩

今夜一晩 自分の殻に閉じこもったら

   

また明日

そーっと 殻を開けて

そーっと 周りをきょろきょろ見渡して

   

朝の新鮮な空気をすって 深呼吸すれば

  

きっと

殻から抜け出すことができるだろう

  

今日だけ 殻に閉じこもらせてください

***********************************

上の絵、髪の毛がチョロっと出てるのがポイント。

自分の殻に閉じこもりながらも、自分の存在を

さりげなくアピールしていたりするのよね。

 

自分の殻に閉じこもりながらも自分に気づいてほしい

構ってほしい慰めてほしい、なんて思っちゃう

わがままな私なのです。

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2006年8月30日 (水)

時を歩く

今朝は久しぶりに早朝ウォーキングに出た

家を出たのは朝5時25分

   

前回早朝ウォーキングに行ったのは8月21日

約10日ほど前

   

たった10日間の間に世界が少し変わっていた

  

外の明るさ

少し前までは5時半でもまだ明るかった

ここ最近は明け方の日の出の時間が少しずつ遅くなり

同じ時刻でも夜の明け方が変わっていた

  

外の音

少し前までは、健康パークに行く道のりに聞こえるのは

カエルの鳴き声だったのが、今日歩きながら耳に聞こえてくるのは

鈴虫やコオロギの鳴き声だった

   

少しずつ変わっていっているのだ

たった10日の間でも

   

時は確実に進んでいるのだ

季節は駆け足で過ぎ去り、もう次の季節へ

移ろうとしているのだ

   

外へ出なければいけない

とにかく歩かなければいけない

   

外に出て自分の足で歩かなければ何も見えない

何も気付かない

   

時は確実に進んでいる

季節は変わる

世界は変わる

   

できればそれを自分の肌で感じた方がいい

   

卓上カレンダーを見つめ月日の経つ早さを憂うより

何もしないで外の景色や周りの変化に気付かないより

   

外に出て自分の足で歩いた方がいい

   

外の流れに 歩調を合わせなくてもいい

の流れに 焦る必要はない

   

遅くてもいい 自分の歩調で

   

時には休憩したり立ち止まってもいい

疲れたら休めばいい

雨が降ったら雨宿りすればいい

寒ければ一枚余分に着ればいい

   

自分の足で歩くことで何かを感じる

自分の足で歩かないと何も感じない

   

匂いも 音も 明るさも

暖かさも 冷たさも 風の優しさも

   

自分で何かを感じ取ることが

   

とても大切であるような

次の自分につながるような

  

そんな気がした

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2006年8月11日 (金)

球根

チューリップの球根のように

スイセンの球根のように

   

目には見えないけど 表には出ていないけど

   

土の中で

ゆっくり ゆっくり

   

去年 自分なりに咲かせた花よりも

昔 自分が苦労して何かを咲かせようとしたときよりも

   

土の中で

ゆっくり ゆっくり

   

目には見えないけど

土の中の 養分や潤いやエネルギーをいっぱい吸収して

  

次の自分の花を咲かせようと

かを咲かせようと

   

そんな球根のように

自分で気づかなくても 誰かに気づかれなくても

   

自然と ゆっくりと

  

私たちは

育ち行く力をつけているのでしょう

  

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