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2011年2月11日 (金)

別れ

こんにちは。yaccoです。

少し暖かくなりかけたかと思ったらまた寒さが舞い戻ってきましたね。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

私の最愛のばあちゃんのオルゴールの音がとうとう止まりました。

ばあちゃんのこと、書きとめておきたかったのでここに綴ります。

先週の日曜(2/6)の午後に、ばあちゃんが過ごしている
老人福祉施設グリーンヒルにいつものようにばあちゃんの様子を見に
行きました。

その前週にはいけなかったので、どうしているかなーと思い
ばあちゃんに会いに行きました。

ばあちゃんの部屋に入ると、看護士さんが血圧と酸素濃度を
計っていたところでした。

横からのぞくと、ばあちゃんの呼吸が少し荒れていました。

ばあちゃんの胸の喉が「ギー、ギー」と音を鳴らしていました。

酸素濃度計をちらっとのぞき見ると「85」で、正常範囲を下回って
いたようでした。

「ばあちゃん」と、私が声をかけるとばあちゃんは、私に気づき
こちらに顔と目を向けました。

ばあちゃんの意識はしっかりしていました。
ばあちゃんに「今日はきつそうだね」と話しかけると、
「あ?うん、うん、はふはふ、ふにゃふにゃ」と何か答えて
いました。

前回来たときは言葉もしっかりしていたけど、その日は
聞き取れなかったのですが、それでも何か話しかけると
ばあちゃんはもごもごとしゃべってちゃんと受け答えしてくれて
いました。

前回と違うなーと思ったのは、容態がよくなさそうだ、という
ことの他に、おしゃべりはなんとかできるけど口がまわらなくて
よく聞き取れないということ、それからばあちゃんはやたらと
天井を見ながら目を左右にキョロキョロと動かしていたのが
印象的でした。

天井をキョロキョロと見渡しながら、左手を目前に上げて
しきりに何かをつかもうとしていました。

まるで夜寝る時に横たわったまま電灯のひもをつかむ時のような
そんなしぐさをしきりにしていました。

「ばあちゃん、何が見えるとね?」と言ってばあちゃんの顔に
私の顔を近づけて一緒に天井を見てみました。

天井以外には私には何も見えませんでした。

それでも「ふふ」と少し笑ってまた手をかかげてみたり
お腹までめくってある掛け布団をつまんで手繰り寄せようと
したりシャツのすそをつまんでモゾモゾしたりして、何か
落ち着きのない様子でした。

そして、喉が渇くのか自分の指をしゃぶろうとしたり
手を握った私の手をしゃぶろうとしたり、今までと違う感じの
ばあちゃんだったけども、いつもより体調がよくないから
きついのかな、呼吸が苦しいのかもしれないな、と思いました。

「やすこだよ。分かるね?」と問いかけると、「うん」と言って
くれました。本当に分かっていたかは分かりませんが。

ばあちゃんの左手を前に差し伸べてしきりに何かをつかもうとする
しぐさが今でも印象に残っています。

その日ばあちゃんに話しかけたりしながら1時間ほどそばにいて
少し落ち着いて見えた頃に帰りました。

同日夜、伯母から電話がかかってきて「少し悪くなってきたから
市内の病院に明日また入院させようと思う」とのことだったので
病院で24時間体制で看てもらえるならそれが一番良いと私も
賛成しました。

翌日の月曜(2/7)午後、伯母と母から電話で「入院したよ」
と連絡がありました。

その後少し落ち着いたようだったので、伯母と母はそれぞれ
自宅に一旦帰ったのですが、その後容態が変化したようで
月曜夜9時前に伯母から電話があり

「ばあちゃんの息が止まりかけてるみたい!あんたの母さんに
電話するけどつながらないからあんたからも連絡してみて!
おばちゃんも今から病院に行くけど、病院まで距離があるから
すぐには着かんとたいね・・とにかくそういうことだから!」

と言うので私も驚いて、急いで着替えて病院に向かいました。

病室に入ったとき、ばあちゃん以外にはまだ誰もいませんでした。

その時既にばあちゃんの呼吸は止まっていました。
看護師さんが「呼吸は9時頃止まってます」と教えてくれました。

「ばあちゃん」

と声をかけると、いつもは目を向けてくれるのにばあちゃんは
目をつむったまま口も閉じたまま何も答えてくれませんでした。

顔色もよく、あまりにも眠ったような寝顔だったので、なんだか
「呼吸が止まっている」=「死」と結びつかず、死の実感は不思議と
なく、涙や悲しい気持ちはすぐにはわいてきませんでした。

その10分後、15分後、20分後、と、伯母や伯父や母や
親戚の人や従弟たちが次々に到着しました。

医師が言われるには、最後は苦しむことなく静かに息を
引き取った、とのことでした。

本当にそんな感じだったんだろう、と思えるほどとてもとても
安らかな寝顔でした。

ゆっくりゆっくり奏でていたオルゴールの音色が最後の力を
振り絞って音を鳴らして静かに止まった、そんな感じだと
思います。

伯母は母よりもばあちゃんの面倒をよくみてくれて、ほぼ
毎日のように病院や老人ホームを行き来していたので
ばあちゃんが苦しむことなく大往生できたことに安堵して
いたようでもありました。

11月後半から何度となく「危ない状態」と告げられ、
正月までもつかどうか分からないといわれながらも山場を乗り越え、
回復してはまた悪くなり、を繰り返しながら2月7日まで生きた
ばあちゃん。

私が慕っている人にメールでばあちゃんの死を伝えると
「家族の心の準備が出来るまで、おばあちゃんは頑張って
 くれたんだよ」と言ってくれました。
本当にそうかもしれない、と思えました。

少し前にばあちゃんを見舞いに行った時、あちこちが痛い、
と少しきつそうにしていたのを見て、テレビを見ることもなく、他の
老人たちと集うでもなく、外に出るでもなく、食事もほとんどとらずに
静かな部屋でずっと寝たきりで何をするでもなく長い長い一日を
過ごして、毎日毎日を繰り返し、記憶も定かでなくなっていって
「長生きすることが本当にいいのか」「何のために生きているのか」
とベッドに横たわるばあちゃんを見ていて、何がいいのか分からなく
なったこともあったけども、施設の人なり病院のスタッフなり、
親族なり、最後まで自分を気にしてくれる人がいると思えば、
長生きすることもまんざらではないのかなーなんて気がしました。

ばあちゃんの命が終わりました。
とても悲しいことだけど、前日にばあちゃんの顔を見て話ができたし
それまでも行けるときに言って話をしたし、認知症はあったけども
ばあちゃんの意識や耳はしっかりしていたのでそれなりの会話は
できたし、ばあちゃんの可愛い笑顔やおどけたそぶりで私も
癒してもらったし、そうこうしながら皆心の準備をしていき、最後は
それほど苦しむことなく皆に見守られて眠るようにして人生の幕を
閉じることができたから、不思議と辛さはありませんでした。

幸福感に包まれた悲しみ、そんな感じです。

その後はバタバタと現実的な動きで時間がものすごい
速さでめまぐるしく過ぎていきました。

2/8(火)に通夜、2/9(水)に告別式でほんとにバタバタでした。

ばあちゃんが長く住んでいた伯母の家で通夜も葬式も
執り行われました。

伯母の家は、市内から約40分ほど離れた山の奥にある
すごくワイルドな場所にワイルドに存在しています。

ものすごく急な斜面と急なカーブを登っていったところにあり、
裏が竹山で、まるで崖っぷちか、というところに家があります。

伯母の家から下の道路を見下ろした写真です↓

  

      Dvc00195

 

写真では分かりづらいですが、ものすごく急斜面を上がってきた
ところに敷地があり、家までのアプローチもすごく急斜面なんです。

火葬場に行く前の出棺の際も、霊柩車が自宅まで上がってこれない
から、男衆で棺を抱えてこの急斜面を下りて霊柩車に乗せたほど
です。

口の悪い伯母は、「もー、ほんなこつ、最後まで世話のやける
ばあさんだけん、どんこんならん!」と言って周りがどっと笑い
なんだか悲しみと明るさの入り混じった和やかな出棺でした。

伯母は口は悪いけども愛情のこもった憎まれ口をたたくのが
上手な人なのでかえって温かみを感じます。

久しぶりに伯母&伯父の家に来て懐かしい気分でした。

伯母の家は昔ながらの田舎の家です。

通夜・葬式は自宅で行ったため、組うちの人たちが大勢
どこからともなく集結してすごい手際のよさと連携プレーで
会場準備から煮炊きから何もかもを手伝ってくれて驚きました。
もちろんメインの段取りは葬儀屋がやってくれるのですが。

あまりにも懐かしく、今では珍しい光景なので写真に
納めました。

      Dvc00199

 

なんて言うんでしょう。炭を使うコンロみたいなものに大きな
鍋をかけて、大量の味噌汁や湯を沸かしていました。
ガスや電気を使わない昔ながらの省エネ生活ですね。

 

      Dvc00200

 

      Dvc00201

 

おじちゃん(伯母の旦那さん)は、それこそワイルドでたくましい
人で、昔は大型バイクに乗っていました。
身体は丈夫で、イノシシ狩りもたまにしているようです。
家には猟犬が3匹ほど檻の中で飼われています。

盆栽も好きみたいで、自宅の前には立派なしだれ梅がありました。

      Dvc00194

つぼみがたくさんついていたので、梅が咲いた頃にまた
行ってみようかと思います。

葬儀では、滅多に合わなくなった従兄弟&従姉妹たちと
再会しました。

孫代表で、私と従弟がお別れの言葉を述べました。

棺にお花を入れるとき、火葬場でお祈りする時、その要所要所で
悲しみの涙があふれてきましたが、通夜・葬式は温かく和やかで
賑やかで穏やかで、幸福感に満ちていたような、そんな儀式と
なりました。

温かい日差しの中、懐かしい場所で、懐かしい風景を見ながら
最後にばあちゃんと言葉を交わした日曜日、ばあちゃんは
いつもと違って何度も手を上げて何かをつかもうとしていたり
天井をキョロキョロとしていたりしていたのは、お迎えがそこまで
きているのが分かっていたのかなー、なんてそう思いました。

これまでの長い人生辛いことや嫌なことはたくさんあったと思うけど
その苦労の分、すっかり仏様になって幸せな終わり方ができて
大往生とはまさにこのことかな、と思いました。

今も日常茶飯事的に、いろんな場所でいろんな人生が始まったり、
途中だったり、終わったりしています。

たった一人の人生の幕を閉じることは、この大きな世界の中では
とるにたらないちっぽけなことなのかもしれないですが、その
たった一人に関わった人にとってはとても大きなものを残してくれて
いるのではないかと、そんな気がします。

ばあちゃん、今までたくさんの愛情をありがとう。

大人になってからはあんまり会いに行ってあげられなかったけど
ばあちゃんのたくましくて大きな存在と可愛い笑顔は忘れません。

 

天国でじいちゃんと仲良く過ごしてね。

 

そして私たちを空の上から見守ってください。 

 

  

 

  

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コメント

おはようございます。ちょうど「西の魔女が死んだ」を読んでいます。私はおばあちゃんの記憶がないので(生まれる前に亡くなった)うらやましく思っていたおばあ様が旅立ってしまったのは寂しく感じました。いろいろ大変でしたね。お身体に気をつけて…おばあ様のご冥福をお祈りします。

投稿: オスカー | 2011年2月12日 (土) 08時03分

オスカーさんへ

こんにちは。オスカーさんはおばあ様の存在はあまり知らないのですね。
私も祖父は母たちが幼少の頃に亡くなっていたので知らないままです。
皆それぞれに誰かと繋がっているのでこういう状況は誰もが経験していることなのでしょうけど、自分の肉親が・・となるとやはりせつないものがありますね。

いつも温かい言葉をありがとうございます。
まだまだ寒い日が続くのでオスカーさんも身体に気をつけてお過ごしくださいね。

投稿: yacco | 2011年2月13日 (日) 12時28分

涙がホロホロ止まりませんでした。
うちもyaccoさんと同じ様に状況の似たおばあちゃんがいるので
感情移入しちゃいました。

人の命はいつかは尽きるとは分かっていても
悲しいですよね。
それが一緒に過ごした時間が長ければ長い程・・・つらい。
きっと今頃おじいちゃんとこっちでの皆の報告をしてるんじゃないかな?

心からご冥福お祈り致します。

投稿: mai | 2011年2月13日 (日) 17時51分

maiちゃんへ

こんばんは。maiちゃんも大事なおばあちゃんいるんだね。
今もmaiちゃんのおばあちゃんお元気ですか?
おばあちゃんは子供の頃からよく面倒をみてくれていつも優しくて頼もしい存在。
母親とは違う大きな愛情で接してくれるから、孫にとっても親とは違った大事な人だよね。
身体も思うように動かなくなって、人の世話になりながら長生きするのは果たして幸せなのだろうか??とやりきれなくなった時もあったけども、それでもそこに存在してくれていることが支えでもあったりして。

maiちゃんもおばあちゃんを大切にね。

投稿: yacco | 2011年2月14日 (月) 19時40分

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