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2005年7月31日 (日)

ぎゅうっと

抱きしめたい。
そう思うことがあります。

何でって、特に理由はありません。

抱きしめられたい、というより抱きしめたい。

特に理由はないって言ったけど

ホントは
愛しいと思うから、ぬくもりを感じたいから、
優しい気持ちになれるから。

そんなふうに思うことがあります。
でも思うだけですけどね。

ホントにそんなことしたら大変。大事件!大バカもの!
ろうやに入れられてしまいます。嫌われ者になってしまいます。
(相手が子供や犬とかだったら大事件にはならないけどね)

だからそう思うだけ。変ですよね。「恋」じゃなく「変」ですよね。

不届き者の私です。

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2005年7月30日 (土)

ユーモア

ユーモアっていいよね。

それだけで楽しいし面白いし気持ちがなごむ。
楽しいってHappyの一部でしょ。

落ち込んだりしてもユーモアがあれば救われるときだってある。

ユーモアな人って好きだなあ。
笑いのツボを極めている人、おちゃめな人、ひょうきんな人、
おどけている人。
自分で自分のこと笑える人。
自分のカッコ悪いところも潔く認めてそれを笑いに
変えられる人。

そんな人って好きだなー。

そしてほんのちょっとの「わびさび」な部分や「優しさ」「懐かしさ」
そんな繊細な感性を一緒に持ち合わせている人。いいねいいねー。

ユーモアは人をHappyにさせるし自分もHappyな気分になる。
そんなセンスはその人の持って生まれた感性。
誰にも真似できない。
そう簡単に人を笑わせることってできないでしょ。
だからそういう人ってすごいと思う。おおげさかもしれないけど。

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百年の恋も・・・(続)

前回のつづきをちょっと。

「恋愛」・・特に子供から大人になって、でもまだ十分に大人に
なりきれていないときって、それが全て、その人が全てっていう
感覚があるのかな。(私だけでしょうか?)

だからケンカしたり別れたりするのはすごくつらい。苦しい。
私はそのときかなり「悲劇のヒロイン」入ってました。
今だからそう思えます。

不思議なもので、そういう熱い気持ちも悲しみとともに
自然と温度が落ち着いてくる。
沸かしたての麦茶の入ったヤカンを水につけると
次第に冷えていくように。

しおれて枯れた花がそのうち種を土にこぼして
また新しい芽が息吹くように心も生き返る。

そうやって人は立ち直る力を持っている。
(恋愛ごとに限らず)

そうやって私も失恋から自然に立ち直りました。

会社に入って、忘れる努力もさほどいらず時間は過ぎていきました。

そしてそれから何年が経っていたのか、それさえも今記憶に
薄いのですが、6~7年は経っていたように思います。

それまで別れてから一度も会うことのなかった、見かけることも
なかった、昔は「全て」と思っていた人を偶然にも
何の気なしに入ったディスカウントストアで見かけたのです。
(それにしても私はディスカウントストアによく行くよね)

そのとき自然に忘れていたあの人への私の気持ちは、
急に冷凍庫に入れられたように冷めてしまいました。

彼の風貌が変わり果てていた・・まだ若いのに・・
付き合っている頃そんな予兆はあったように思えるが・・
そして子供と奥さんを連れて生活臭プンプンのオーラを
漂わせていました。

私が彼とそのまま恋愛を持続させて結婚し、一緒に生活を
しながら一緒に年をとっていっているのであれば、
「その風貌」も気にならないし、その生活臭も自分との歴史
って感じで私にしてみればそれもまた愛着のあるものだったと
思います。
カッコよくない部分も含めて「好き」だったのだろうと思います。


でも・・

私とは違う人生を歩んでいる、別の違う女の人のものになって
その女性との歴史をつくり続けているあの人を何年かの
ブランク越しに見てみると・・
「愛情」「恋愛」の感情なしに見てみると・・

正直言って「興ざめ」してしまったのです。
「私が "全て" と思い込んで好きだったあの人は、この人
 になってしまったのか・・」

見た目もすっかり変わっている、連れている女性も違う、
表情も違う・・

なにより漂うオーラが違う。うまく表現できないけど。

百年の恋も冷めてしまったのでした。

綺麗な美しい切ない恋愛(と思い込んでいたとき)のままで
時間を止めていたかったのに・・。

人の「心」・「気持ち」ってやっぱり変わるんですね。
変わってまたもとに戻ったり、変わったままだったり
めまぐるしくコロコロ変わったり。

そう思うと、恋愛の延長の末に行き着く「結婚」もある意味
恋愛のときとは気持ちが変わっていくのでしょう。
強火だったのが中火⇒弱火⇒とろ火になったり。
(火が消えないようにしないと大変よね)
「恋愛」⇒「家族愛」に変化していったり。

あー、また長くなってしまいました。

ただ単に
「昔好きだった人を何年かぶりに偶然見かけたら
 すっごく変な人に感じてしまって興ざめした」
ということを言いたかっただけなのに。

☆でも、昔好きだった人が変わっていたのを見てショック
 だったけど、きっと幸せな人生をおくっているんだろうなあ
 と思うとそれはそれで何だかホッとしたような、んー
 よく分らないけど微笑ましく感じたというか。。。

 それにしてもそのとき私は彼に見つからないように
 店のフロアをコソコソしながら遠目に彼の行動を観察
 していたのでした。

 私こそ逆に彼に見られていたら、怪しげな変な年増女と
 思われてたかもしれません・・

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2005年7月29日 (金)

百年の恋も・・・

これまで経験した恋愛ってみんなどれだけあるでしょう。

そもそも「恋愛」のカテゴリに入るか入らないかの微妙な
関係の時期や相手、恋愛と自分で認めるほどのことでもない
「なんちゃって恋愛」「ニセ恋愛」なんていうのも中には
あるんじゃないでしょうか。

ちなみに、今の若い人たち(あ、私もついちょっと前までは若者の
部類だったのですが・・)の恋愛ってどうなんでしょう?
昔のドラマに出てくるような、韓流ドラマ(よく知らないけど)に
出てくるような、熱い恋愛とか切なくなるような恋愛とか
してるのでしょうかね??

なんだか今の人たちの男女の関係ってすごくドライな
イメージもあるんだけど(テレビの見すぎか?)・・

私の場合、数少ない恋愛に関する経験のなかでも
「なんとなく」付き合った人や、恋愛未満に終わった人、
恋愛しているような瞬間的錯覚だったりした人などがいる。

たぶんそれは今思うと「恋愛」に含まれない。

本当に「恋愛した」と思う相手はみんなどれくらいだろう?
私は過去に2人。(←聞かれもしないのに勝手に暴露してる!)

大学卒業前に別れた人との恋愛はやっぱり今でも
思い出すことがあるし、別れるときもつらかったので
そのときの気持ちは忘れることはできない。

でも今思うと、やっぱり子供だったような気がする。

高校生の時などは「恋愛」というより「恋」が
メインの時代。(私の場合、ただ単に先輩に憧れていた
若かりし乙女なだけだったのですが)

☆余談だけど、今の高校生の「恋愛」事情はきっと違うよね
 大人顔負けの「恋愛」だったりしてるのかも。。ひょえー!

高校時代の青春を過ぎると、ちょっと大人に成長する時期。
そんなときの恋愛ってなんだか自然に盛り上がったり
しませんか?それだけでHAPPYな感じじゃなかったですか?
そして別れるときもドラマ並みに激しくて感傷的だったりしませんか?
(なんだか自分の恥さらししてるだけ?)

・・・ちょっと長くなりました。
いったい、この記事のタイトルとは何の関係があるのでしょう?

また続きを書きたいと思います。

今日はこのへんでおしまい。

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2005年7月28日 (木)

となりの娘さんの結婚

この前の週末、うちのお隣りさんがあわただしかった。

そういえばお隣さんの娘さん、お年頃。
もしかして彼氏のご挨拶?結納?
なんてワイドショーチックな事を思っていたら
やっぱり「ご結婚」だった。
慌ただしかったのは、もうその日は結婚式当日だったようだ。

娘さんは27歳。保育園に勤めていて保育士をされていた。

結婚を機に仕事は辞めるとのこと。

なんだかもったいない気がした。
でも保育士の仕事は大変だろう。
女性が仕事を持って働くようになればなるほど保育園に勤める者
にとっては余計に労働条件が厳しくなる。

結婚を機に仕事を辞める女性は昔に比べると少なくなった
のだろうけど、ゼロじゃないよね。
結婚は自分1人でするわけじゃないから、相手の仕事の都合や
お互いの考えのもとで結論を出すから、仕事を続ける人もいる一方
辞める人もいて当然のこと。

いろんな事情や、いろんな個人の考えや価値観があって
選ぶことだから、自分が納得できればいい、なるべく後悔しない
ような決断ができればいい。

「腰掛け」「花嫁修業」なんて言葉はもうほとんど聞かなくなった。
死語に近いような感じ。
「寿退社」はまだかろうじて生き残っている言葉・・かな?

「寿退社」・・・めでたい退社、よろこばしい退社。

んー・・複雑なニュアンスだけど、退社が喜ばしいのか
分らないけど、とにかく「結婚」はめでたいよね。

んー・・何が言いたかったのだろう 私は。

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2005年7月27日 (水)

愛しのMY☆チョロQ号

うーん、夜も遅いのに眠れない。
(それは私が夜10時までうたた寝してしまったから・・)

夜中にこっそり書いているとなんだか怪しげ。

ところで、私の車はスズキのワゴンR・コラム。
もう7年乗ってます。形はまるでチョロQみたい。

白いボディーのいたるところに凹みやキズ。
シルバーのルーフモールとサイドミラー、丸目の
ヘッドライトとテールランプが気に入っている。

車内にはシミのついたシート、今更流行らないデザインの
ダッシュボード。
でもちょっとだけウッドテイストもあしらってキモチ素敵。

MDコンポの挿入口開閉扉もこないだ壊しちゃいまして
外れたままです。
でも音はちゃんと鳴ります♪

でもこのチョロQ号、頑張ります。
お仕事で80km離れた仕事先にもMYチョロQ号でGO。

高速道路ガンガン走ります。
でもスピードは出しません。いえ出せません。MAX95km/h。
時速100km出したらあわやエンジン6000回転。
怖くてスピード出せません。大破したらどうしよう、と
いつも緊張感のドキドキで高速走ってます。

こないだ出張でまた高速道路をガンガン走りました。
でもその日は実習生K君を助手席に乗せて行きました。

「ごめんね。私、高速道路の運転で助手席に人乗せるの
はじめてなの。 しっかりつかまっててね♪」

K君「ええーっ!!まじっすかー!!」

本当に初めて横に人を乗せて高速道路を運転しました。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と安心させつつ
本当は、すごく怖かった!
会話をしながら運転できるのか?私は。

たぶん彼もかなり怖かったはず。

恐怖のチョロQ号高速ドライブは無事往復持ちこたえました。
会話をしながら高速運転できた自分に自分で感動したのでした。


またある時は別の仕事で北の方角へ高速道路をかっとばしてGO。
(時速90kmで。 のろいでしょう)

でも何年かぶりの場所だったので高速降りてすぐ道まちがえました。
そして目的地のすぐそばでまた迷子になりました。
カーナビという今や当たり前のハイテク装備、もちろん私の車には
ありません。
あるのは紙のナビ(いわるゆ地図ってやつ)のみ。
やっぱりペーパーナビでは分りません。ココハドコ・・
半べそになりながらコンビニに駆け込んで道を聞いたのでした。

そんなこんなで私とチョロQ号は一心同体、運命共同体。
ボロだけど大好きなチョロQ号。もっともっと一緒に走りたい。
音はうるさいけど、乗り心地悪いけど、

よく頑張ってくれるのです。私とは違って。

オンボロ車だけど、こないだ車検を受けたので
まだまだ走ります♪

でも再来年にはもう私のチョロQ号は引退かな・・。

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2005年7月25日 (月)

カッコつけ

私はうさんくさい人かもしれない。
私が思っていることは、考えていること、言うことは変だろうか。

そう思っている人がいたとしても構わない。
だって人は自分ではないから。それは自然なことだから。

世界に同じ顔が一つとしてないように、思うこと、感じること
受け止め方は千差万別なのだから。
私は違う、そうじゃない、それは疑わしいと思っても当然の
ことだから。

人と人が傷つけあうのは望まない。
だけど人と人がぶつかり合うのは決して悪いことじゃない。
但し、それは悪意がない前提のこと。

ぶつかり合うことで自分に気づき、自分を知ることができる。
相手を解り、相手を認めることができるかもしれない。
いつか分かり合えるときがあるかもしれない。ないかもしれない。

自分でないもの、自分にないもの、自分とは違うものを
受容することも大事なのかなあ・・って。

私も人もありのままでいられたらなあ って。

「ありのまま」って何ですか?そんなことできるんですか?

本当はありのままでいることなんてできないのかもしれない。
でも、そうありたいな って。
そういう願いのこと。

だって自分を無理に押さえ込んだり、自分を取り繕ったり、
飾ったり、我慢したりするのは自分がきついでしょ。
息苦しいでしょ。

ありのまま自分をさらけ出したりなんてできないかもしれないけど
自然体でいられたらなあ って。
そういう気持ちのこと。

ただ「ありのまま」といっても、自分の我を通しすぎて周りに
迷惑かけちゃったら・・周りと調和がとれなくなったら・・
それも困る。
その加減が難しい。
だから難しいのね。
人と人との関わりって。自分の感情をコントロールするのって。

やっぱり私はカッコつけてますかね?
きれいごとですかね?偽善者ですかね?

だって本当にそう思うんですから。

いろんな人がいて、いろんな考え方や受け止め方、解釈があって
だから私と反対の人がいてもいい。
違うと思ってもらってもいい。疑問に思ってもらってもいい。
そういう、「自分と違う人」も私は受容したいと思う。

こんな強がりを言ってるけど、偉そうなことを言ってるけど・・
ホントは私、すごーく小心者。
人に嫌われるのはすごく怖いんです。
だから人に対して少しでも誠実でいられれば嫌われることは
ないかなあ・・って。

カッコつけのクサイことばっかり言ってる実は小心者なのです。
でも私の気持ちに「嘘」はないよ。 

・・・と思うよ。 たぶん。 自信ないけど。

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2005年7月24日 (日)

ちょこっとトイレ掃除

今日は仕事はお休み。相変わらず気は休まらない。

朝からトイレ掃除をした。
(ひまひま三連休に続いての掃除ネタ)
ずぼらな私はこまめに掃除をしていない。

トイレ掃除も最近やってなかったのと、昨夜ちょっと嫌なこと
ムッとしたこと、自分で落ち込んだりしたことがあって。
くさくさしているときには何でか普段サボっている掃除に
力が入る私の習性。

トイレ掃除は嫌い。

でも汚れたのをいつまでも放っておくわけにもいかない。
(いや、うちのトイレが激汚いというわけではないけど・・)

汚れたらいつか綺麗にしないといけない。
気分屋の私は思い立ったようにトイレ掃除に取り掛かっていた。

マイナスなオーラに包まれた今このときになぜか・・

トイレ掃除は臭い。

でもいつまでも臭いままにはしておけない。
トイレは生活するのに必要な場所。(なんか大げさ)

適当な性格の私は、隅々までというより目に付いたところ
汚れがひどそうなところを念入りに拭いた。

そうしたら汚れがとれて綺麗になった。
なんだか臭いも気にならなくなった。
ちょっとだけピカピカになった。

そうしたらちょっとだけ気分が良くなった。
汚れていたものを自分で拭い去ったらちょっとだけ
いい気分になった。

汚れをぬぐいさるその瞬間はいい気分じゃない。
でも汚れが消えてしまった後は気持ちも清潔。
すがすがしい。

私の性格だから私の掃除は完璧じゃない。
隅々は相変わらずホコリなどが積もっていたりする。

でも60点でも70点でもいい、100点の出来じゃなくても私が
満足すればそれでいい。気分が良くなればそれでいい。

それって自分の良いように解釈してる?
自己満足でもいいじゃない。


汚れたら綺麗にするだけ。
自分が気が向いたときにすればいい。
嫌なことと一緒にぬぐいさってしまえばそれでいい。

朝から大汗かいて掃除して、楽しくなさそ~うな私の休日。
いいでしょう!

でも午後からはどこかへ出かけようかな・・

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2005年7月23日 (土)

セヴァン・スズキのスピーチ

1992年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで環境サミットが
開催された際、集まった世界の指導者を前にわずか12歳の
少女、セヴァン・カリス・スズキが語ったスピーチを紹介したいと
思います。

***********************************

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。

エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・
オーガニゼェーション)の略です。

カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を
変えるためにがんばっています。

あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくよう
お願いするために、自分たちで費用をためて、カナダから
ブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。

なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするの
とはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちの
ためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物
たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかも
しれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。

数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。

そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、
私たちは耳にします。
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞う
ジャングルを見ることです。

でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつことも
できなくなるのではないか?
あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことが
ありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、
私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔を
しています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのか
はっきりわかりません。

でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。

オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、
あなたは知らないでしょう

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、
あなたは知らないでしょう。

絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、
あなたは知らないでしょう。

そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森を
よみがえらせるのか
あなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのは
もうやめてください。

 ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの
代表でしょう。

あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、
姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。

そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな
家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。

国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、
このことは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの
目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを
知っています。

私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいません。
私は恐い。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

 私の国でのむだ使いはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を
分かちあおうとはしません。

物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの
少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた
生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを
数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、
私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちに
こう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。
 もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
 住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えている
というのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、
いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だと
いうことが、私の頭をはなれません。

どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。

ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、
インドでこじきをしてたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を
解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。

私はまだ子どもだけどこのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、
世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。

たとえば、

* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたずけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* 分かちあうこと
* そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをして
いるんですか。

 なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、
どうか忘れないでください。

そしていったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。

あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きて
いくのかを決めているんです。

 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって
子供たちをなぐさめるものです。

あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、
「この世の終わりじゃあるまいし」とか。

しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことが
できなくなっているようです。

おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことが
ありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、
なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。

しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、
私たちは泣いています。

あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。
しかし、私はいわせてもらいたい。
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動で
しめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。

(翻訳:ナマケモノ倶楽部)

NGO:ナマケモノ倶楽部HP

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2005年7月22日 (金)

I LOVE★ストロベリー

アイツはストロベリーが好きだって。

年は違っても気が合うね。ストロベリー好きは。

シェイクはいつもストロベリー。
サーティワンはベリーベリーストロベリー。
フランを買うときはストロベリー味。
牛乳も好きだけど、いちご牛乳も大好き。

果物のいちごも好きだけど、「ストロベリー味」が好き。

アイツはキョロちゃんのチョコボールのストロベリーを
買ってたよ。

年は違うけどちょっとだけ同類だね。

だけど私は最近ブルーベリー味も好きなんだな。
だからアイツにキョロちゃんのブルーベリー味のチョコボールを
もらったよ。ありがとう。

おいしかった。

ブルーベリーもおいしいけど、やっぱり私はストロベリーが好きかも。

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私が「働く」理由

私は仕事を続けて10年以上になります。
職業はごくごく普通の会社員。
そしてごくごく普通の人生、何の取り柄もなく個性もない私。

「働くこと」「仕事をすること」の目的は何でしょう?

その答えは、 「その人にあり」。

私が働く第一の理由は「お金のため」。

☆生活にゆとりをもちたい。
時々でいいからちょっとだけリッチな気分を味わいたい。
お金に困って辛抱したくない。節約ばっかりしてられない。
化粧品だって買わなきゃ困るし(すっぴんでは外を歩けない)、
本だって買いたい。
おしゃれはしないけど10年前の服はさすがに着る気がしない。
たまには美味しいものを食べに行きたい。

☆生活を保障されたい。
生きていく、生活していくための保障が必要。
食事、住まい、車、保険etc・・
家族や親が病気になったときに誰が面倒見る?お金はどこから出す?
夫婦に何らかの亀裂が生じて離婚するはめになったら
自分はどうやって生活していく?子供は養える?親を養える?
母が私を一人で育ててきたように、私もいつ自分一人の力で
自分だけでなく子供たちを育てていくことになるか分らない。
分らないから保障するものが必要なのです。

「お金のため」以外の理由では、
「社会とつながりを持っていたいため」。

私はもともと社交的ではなく、活発でもなく、積極的でもないし
人見知りな方だし、人付き合いがいいわけでもない。

そんな自分だからこそ「社会」の中に存在していたいと思う。
社会とのつながりがなければ自分はただひたすら孤独を感じている
かもしれない。
矛盾してるかもしれないけど、「ひとり」が気楽でいいときもあるけど
やっぱり「ひとり」という孤独は嫌なのです。
「社会」の中には嫌なこともあるし厳しいことや汚いこともあるし
やりきれないこともある。そんなに甘い世界でもない。

だけど私は「ひとり」になるのが怖いから、自分が深い底に沈んで
いきそうで怖いから、少々厳しくてもいい綺麗じゃなくてもいい、
そんな「大人の社会」でもいいから混じっていたいのです。

それにそんな厳しい社会の中で生きていくのも悪くないと思えるように
なってきた。
社会の中での嫌なこと、厳しさ、矛盾、汚れなどのマイナスなものに
直面しても、それを受け入れて自分なりに消化していけば何かしらの
得られるものがあると思うから。
つらいことや苦しみもそのうちに自分の生きていくための肥やしに
なっていくと思うから。


「お金のため」であれ「社会とつながりを持つため」であれ
それは、そもそも「自分のため」なのです。

私は自分のために「お金が必要」だし、「社会の中にいることが必要」
だから今の仕事を続けるし、働き続けるのです。

私が働く理由はその2つの柱の二本立て。
その2つがバランスを保っています。
「社会の中にいること」が嫌になったとしても「お金のため」に
働きつづけるしかないし、ひょんなことから大金持ちになったりして
「お金のため」の理由がなくなったとしても「社会とつながりを持ちたい」
から私は働くのかもしれません。
(大金持ちになる、というのはどう考えても有り得ないけど・・)

それでも、もし今の仕事や会社がどうしても嫌になったり、
会社でリストラされて途方にくれてしまったら・・

さっきの理由がある限り私は「働くため」に次の新しい仕事を
必死で探すことでしょう。
運動神経鈍くても、私の体が動くうちは半永久的に働きつづけたい
今はそう思ってます。

そのうち精神面や体力面でリタイアしたくなるかもしれませんが、
そのときはそのとき考えるっていうことで!!

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2005年7月20日 (水)

イライラ水曜日

今日は1日のなかでもすごく波のある日だった。

午前中は用事があったので会社を半日休暇とった。
用事は11時半からだったので、それまでは時間があったので
のんびりブログを書いたりした(⇒初めて見た映画は・・)。

そして用事を済ませて午後から出勤。
仕事では特にイライラすることもなく今日(半日分だけど)の仕事が
終了。

家に帰ってからが何だか無性にイライラした。

家に帰るとあわただしいのが夕食の準備。
私はお腹すいてないのになんでご飯をつくらないといけないんだ。
 (というのも今日の昼の用事のためにつくったおにぎりの余りの1個を
  帰りの車の中で食べたりしたから・・)

しかも冷凍した肉を半端に解凍してフライパンに入れたから
肉同士がくっついたままなかなかほぐれてくれずになおイライラ!

洗濯物も取り込まないといけない。次の分が干せないから。

夕食済ませたら茶碗も洗わないといけない。

仕事から帰ってきても気がやすまらない。
「しないといけないこと」が多いので「したいこと」ができないのだ。
(「したいこと」っていっても、とりわけないんだけれど・・)

たまには「ただいまー」と帰ってきたら
美味しいご飯とおかずが作られて食べるだけになっていたらいいのに。
洗濯物も自分らで勝手に家に入って折りたたまって引き出しに
入ってくれればいいのに。

たまには家のことボイコットしたい!ストライキしたい!
自分の秘密基地をつくってたまにはプチ家出して自分のために
過ごしたい!

・・それって贅沢かなあ、自分勝手かなあ、無責任かなあ・・

・・ないものねだりなのかなあ・・

自分ひとりでイライラしてストレスためて我慢してバカみたい。

我慢するからイライラするのに。
我慢するから便秘になってたまっていくのに。

「ちょっと疲れたから実家へ帰ります」なんていうこともできない。
私の実家は離れたところにあるので、そんなところからは会社へ
通勤できない。
会社を休むつもりはないので通勤できないと困る。

なので逃げ道がないから余計にイライラするんだなあ。
嫌なことがあっても八方ふさがり。

は~。今日の後半は愚痴で終わったな・・

美味しい焼肉が食べたいな。特に塩タン。

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初めて見た映画は・・

職場の後輩の女の子と、派遣の女の子と休憩しながら雑談をしていて
(ちなみに年の頃は、後輩の女の子は20代後半、派遣の子は
 私と後輩の間ぐらい、いやちょっと私に近い世代。どうでもいいか)

最初:ドラマ「海猿」の話
    ↓
「海猿」に出演の"中村トオル"がカッコイイ、という話
    ↓
"中村トオル"といえば「ビーバップハイスクール」の映画が
好きだったという派遣の子のコメント
    ↓
私:「えーっ、何だか古くない!?でも私もそれ知ってる」
    ↓
後輩:「映画といえば、私が小さい頃初めて見た映画は、
    ”E.T”でしたよー」

ってな具合に映画の話になっていった。
そして後輩達が
「(yacco)さんが初めて見た映画は何だったんですか?」と聞くので

「え?私が小さい頃に初めて見たのは、"エレファントマン"だったよ」

派遣の子:「えーっ!エレファントマン!!(子供が見るにはすごすぎ)」
後輩:「えっ??なんですかそれ、アクションものですか??」

彼女らのリアクションが意外なことに大きかった。
しかも後輩は、"エレファントマン"を知らなかった。

やっぱり”エレファントマン”は子供が見るには重たすぎだよなあ。
でもこの映画もまた私の母の選択だった。
(最近やたら母が登場するけど)

その後、母に連れて行かれて見た映画は、渡辺典子の「積木くずし」。

当時はまだ私も子供だったのでよく分らなかったけど、今思うと母は
私に「優しい子になってほしい」とか「父親がいないからといって
ぐれないで欲しい」とか「親子の絆は大切だ」とかいう思いを込めて
映画に連れて行ったのだろうか。


後輩達とそんな映画の話を終わらせた後で思い出した。

私が小さい頃最初に見た映画はエレファントマンじゃなかったこと。
私がもっともっと幼い頃に母親に連れられて見に行ったのは
ディズニーの「ダンボ」だった。

しまったー。
「ダンボ」って言っておけばよかった。

そしたらすごく自然でフツーの可愛い幼少時代のイメージだったのに。

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2005年7月18日 (月)

貧乏性

キッチンで使っているオタマの柄はみんなそれぞれ変なかたち。
それはお鍋にオタマをかけたまま放っておいて熱で溶けて
変形したから。

料理に使っている菜箸の上のほうの先っちょは長さが不ぞろい。
それはフライパンの上に置いたままとなりの鍋でカレーを作った
ときに、あまりに強火だったので炎と一緒に先っちょが燃えて
しまったから。

買ったときの原型をとどめていない調理器具ばかり。

そういえば私の母はよく鍋でいろんなものを焦がしていた。
料理をしている合間にちがうことをいっぺんにやるから。
今は離れて住んでいるけど、その調子でよくこれまで火事に
ならなかったなあと思う。

母が住んでいる私の実家にも変形した調理器具がたくさんある。

何ヶ月か前に帰ったときにはアルミ製の味噌こしの柄がまるごと
とれた状態で置いてあった。
「これ使ってるの?」と聞くと母は「それはずーっと昔から使っている
味噌こしなので愛着があって捨てることができない」という。

でもさすがに柄がない味噌こしは使いにくいだろう。

その後、再び実家に帰ると、あの味噌こしに柄がつけてあった。
どこかからもってきた木の棒に無理やり穴をあけて差し込んでいた。
なんだかアンバランスな形の味噌こしに進化していた。

私の貧乏性は母親譲りなのかもしれない。
でもあれは正真正銘の「貧乏性」。

私はただ捨てるのがもったいないから、というそれだけなんだけど
母はひとつひとつ愛情と思い出をこめて大切にしているのだ。

今は「すっきり収納術」とかで、"捨てることから始めましょう"と
"捨てる"ことを推奨したりしているけど、やっぱり私は捨てられない。
私には私のこだわりがある。

ディスカウントストアで300円で売ってあったり、100円ショップで
オタマが売ってあったりするけど、やっぱり自分のオタマがいい。
柄が溶けて固まっていびつな形になっているけど、かっこ悪いけど
「それ」が好きなんだな。

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ひまひま三連休

楽しい嬉しい三連休。

・・・という人は多いだろうけど私の場合ひまひま三連休。

ぐうたら者で人が混雑するところが苦手な私はどこかへ旅行と
いうこともなくイベントに参加するということもなく、うだうだ・・

「休み」というのは、はまって何かをしなくても気分的に
「休む」ことができれば大いに意味があるもの。

私の場合は休日も洗濯をしないといけないし、部屋の片付けも
しないといけないし、平日会社に行ってるから掃除機をかけて
ない部屋を休日にまとめて掃除機かけないといけないし、
ここのところずっと雨ばかりだったから布団やシーツも今
干しておかないと・・

油断してたら畳の隅にカビが・・うぇーっ。掃除掃除!!
なんてやってたら気が休まるひまもなく「休み」だったような
気がしない。かえってストレスがたまったりすることもあったり。
仕事は休みでも気が休まらないと「休み」じゃない。

昨日は久しぶりに自分の自由な時間を過ごした。
といってもショッピングに行ったりぶらぶら車を運転して
ウロウロしただけなんだけど。

私ぐらいの年になると自分もそうだけど結婚していたり幼い
子供がいたりして友だち付き合いも疎遠になってしまう。
だから平日会社をサボって自由にすごそうかなーっと
思っても「・・・でも何しよう??」って感じで躊躇してしまう。

今日は・・というとやっぱり部屋の掃除。
カーペットをはいでゴザマットに衣替え(今ごろ)。
ゴミ・ホコリがいたるところに・・(うぇーっ)

外でセミがジジジジーーっと鳴いているのを聞きながら
大汗かいてぞうきんがけまでしたのでした。

なんだかすごーく楽しくなさそうな三連休でしょう。
自分のひまさ加減を自慢したくなるほど暇人しました。

気分はちょっとだけ休まったかな。
休日の携帯でのメールも私にとってはちょっとした
楽しみなのです。

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2005年7月17日 (日)

子供の頃なりたかった職業

子供の頃私は動物が大好きだった。

学校の帰りに子犬が捨ててあるのを見ると、どうしてもそのまま
過ぎ去ることができずに子犬を抱いて家に帰ったことが何度か
あった。
それを見た母は「また持ってきて!」とあきれた顔して怒るのだけど
母も動物好きなので私が連れてきた子犬をしばらくの間
甲斐甲斐しく世話してくれたりした。

もうあまり記憶はないが、拾ってきた子犬は結局母がもらい手を
探して譲ったりしていた。

小学4年生の頃にはマルチーズを飼い始めた。名前は「金太」。
とっても可愛かったが私は子供だったせいかもっぱら世話はせず
友だちと遊んでばかり。母がせっせと世話をしていたので金太は
母にとてもなついていた。

自分の犬の世話もろくにできなかった私なのに、自分は動物が好き、
ただそれだけで将来の夢は「動物園の飼育係になりたい」と
思っていた。
動物にすればかなり厚かましい迷惑極まりない夢だっただろう。

そのうち「動物園の飼育係」からちょっと変化して、次に目指したのは
「ムツゴロウ王国で動物と戯れながら仕事をしたい」。
北海道の大地で犬や馬達と戯れながら生活しているのをテレビで
見て憧れていたのだ。

そんなこんなを思いながら中学生になり高校受験に追われ、
高校ではなんだかだらけてしまって何も考えず夢も持たず、
友だちと気ままに過ごす毎日。
(憧れの先輩に思いを寄せたりして乙女時代だったこともあり)

何も考えないまま大学受験の頃になり、焦りだして将来のことも
考えず、通える範囲の希望の大学・入れそうな学科を選んで受験。
そして不合格(やっぱり)。親しい友だちは皆そこに合格した。

幸いなことに、もう一つの大学から補欠合格の通知があり
なんとか大学に行くことができた。
一人で私を養ってきた母にとっては私を大学に行かせることは
とても大変なことだったと今更ながらに思う。
それなのに私は何の意志ももたずに、皆が大学に行くから私も
行きたいと我がままを押しきった。

そうして大学でもバイトに明け暮れ、のほほんと罰当たりな生活を
送ってきた。

そして就職活動。
私の学科は建築関係だったので皆建築関係の仕事に就いた。
私は建築の勉強、設計課題などについていけずに落ちこぼれ組
となって、「落ちこぼれ」な人達が集まる研究室に行って(教授には
大変失礼なのだけど・・)、普通の地場企業を中心とした就職活動を
やった。

そして今の仕事に至っている。それもごく普通の会社員。

なんだか話しがそれてしまったけど、子供の頃に描いていた
「将来の夢」はいつのまにかフェードアウトしてしまった。

でも私はこれはこれでいいのかも、と思う。
なるべくしてここまで来たのかもしれない。
ただの会社員なのだけど、何の仕事であれ職業であれそこで
自分なりにやっていれば得られるものはたくさんある。
気づくものもたくさんある。

夢や希望がかなわなかったとしてもそれだけが全てではない。

自分次第で、自分の気持ちの持ち方次第で、自分がどこに
いようと何をしてようと無駄なことはないし、幸せを感じることは
できるんじゃないのかなーなんて思ったりもする。

私がもし今ムツゴロウ王国にいたら・・

どんな人生だったのだろう。

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2005年7月16日 (土)

初婚にして二児のパパになった同期

私の同期の男性同僚がようやくこの7月に晴れて結婚しました。
彼はちょっと日本人離れしたヨーロッパ系の顔立ちで結構ハンサム、
背も高くて学歴もあり、育ちもよさそう。

性格もいいので、モテなくて長いこと独身だったというわけでもない
みたいです。(実際に付き合っていた女性も何人かいたので)

そんな彼のお相手は10歳近くも年下の綺麗な彼女。
でも彼女は再婚らしく小学生の娘さんが2人いると言ってました。

初婚にしていきなり2人の娘のパパになる彼。
いろんな葛藤や話し合いや乗り越えるハードルも高かったことでしょう。
娘さんたちも小学生だからそれがどういうことなのかはある程度
察したことでしょう。
彼は優しく頼れる人だから彼女達はいい人にめぐり合えたなあって
思います。「お父さん」と呼ぶにはちょっと抵抗があっても次第に
親子の絆を築いていければいいんじゃないかなって思います。

私には父親がおらず、ずっと母と二人で暮らしてきたので
「お父さん」というものにすごく憧れがありました。
クラスの名簿の保護者欄に皆父親の名前が書いてあるのに
自分だけ母親の名前だったのが嫌でした。
「お父さん」とはどんなものかも知らないのに「お父さん」が
欲しいと思っていました。

血のつながりのない「お父さん」でも自分がお父さんだと認める
ことができればそれはそれでいいのでしょうね。

いずれにしても、身近な人のHAPPYな話はとても嬉しいものです。
同期の彼もこれから新しい人生、人並み以上に乗り越える壁も
高いことがあるかもしれないけど、「家族」で乗り越えていくんだろうな。


結局私は自分の「お父さん」には会えないまま今に至ってます。

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2005年7月13日 (水)

猫かぶり?

私は猫かぶりなのかもしれません。

「猫かぶり」…本性を隠していること

・・ちょっと違うなあ・・「本性」という大それたものは持ってません。
それは「本性」というより「本心」の方が私が言おうとしていることに
近いでしょう。

ブログには思っていること、考えていることなどを書いたりしてますが
自分の心の中のことはまだ書けていません。

思うこと・考えることは「頭」の部分で意識的に行われることであります。
気持ちについては「心」の部分で無意識に感じ取ることであります。
(私の中の勝手な理屈ですのでお気になさらず)

誰かが言ってたのか、本で読んだかはっきり覚えてないのですが
そもそも心というのはどこのことを指しているのか、頭?心臓?という
のが議論されていたのを記憶しています。

気持ちがキュンとなったり締め付けられるような感じは胸の部分(心臓)
で感じるので結局、心はやはり「心臓」の部分にあるのかもしれません。
(現実的な言い方をすればドキドキ感は心拍感のことなのでしょうけど)

前振りが長くなったのですが、要はこれまでブログに私が書いてきた
ことは大半が「頭」で考えていることであり、「気持ち」の部分ではないと
いうことです。

頭で考えているようなこと、こうあるべきだと思っていること、こういうのは
ダメだと思っていること・・

それとは関係なしに心で感じることは違っているのです。頭で分っていても
気持ちや感情はついていけないことが多いのです。
そして自分のそんな気持ちを「愚かだ」「みっともない」「恥だ」
「なんて弱いんだ」なんて頭で思って卑屈になってしまったりするのです。

自分の正直な気持ちを「マイナスなこと」だと頭で勝手に決めつけてしまう
からうまく表に出せないのでしょうか。

本当の心の中をさらけ出したい、気持ちをぶちまけたい、みっともなくても
恥ずかしくてもいいから本当の気持ちを吐き出したい。

だから私はブログを始めたことを友人にも会社の人にも言わないでいる。
やっぱり知っている人に自分の気持ちを知られるのは抵抗があるから。

でも それでも なかなか本当の気持ちが出せないでいる。
まあ自分で自分にプレッシャーかけても仕方ないし、ブログは自分なりに
楽しめばいいから、その時その時で自由にやっていこうかな。

本音を言いたくなったら「ひとりごと」として言ってみよう。

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2005年7月11日 (月)

卵の悲劇

私は朝が苦手です。
でも会社に行かないといけないし、朝食の用意もしないといけないので
しぶしぶ朝早く起きます。

今日は月曜日。休日と違って早い朝。
休日をまったりと過ごしたせいかよけいに疲れが長引いて
というかボーっと感が抜けなくて・・・

"今日は・・・んー・・・卵焼きをつくろう・・"と思い、ボーっとしつつも
一人キッチンに立ちました。

あー・・とても眠い・・
頭ボサボサ、顔テカテカの誰にも見せられない姿でノラリクラリ・・

冷蔵庫から卵を出して、ボウルを用意して・・
コンコン、ペリッ、パコッ

そして私は目が覚めました。

割った卵はシンクの隅の三角コーナーの中・・

殻を捨てずに中身を捨ててしまった私。

卵の黄身と白身は三角コーナーの中にプルプル・・
そして次第に形が崩れて三角コーナーの底の隙間から
オレンジ色の君が排水口に向かって流れていくのでした。

さらば、君よ、しろみ君よ・・ごめんね。
焼いてあげたらきっと良い色で美味しかっただろうに。

罰あたりなオンナです。

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2005年7月10日 (日)

「好き」という気持ち

またもや唐突ですが、「好き」という言葉にはいろんな意味が
あります。

家族のことが好き、恋人のことが好き、エビフライが好き、
ゆずが好き、たかぎなおこの本が好き、青い空が好き、
夜の海が好き、お母さんが好き、竹中直人が好き・・・

「好き」にもいろいろあります。

ただ恋人や夫・妻以外の、身近な異性に対する「好き」というのは
どういうものでしょう?

お父さんに対する好きでもなく、弟や息子に対する好きでもなく、
友だちとしての好きでもないような・・

たぶんそれには「憧れ」「愛しさ」「恋」「母性(父性)本能」などが
その人によって微妙な配合でブレンドされているような、
そんな感じがします(あくまでも私のイメージ)。

でもでも手っ取り早く、ストレートに言うと、やっぱり
「恋愛」の対象として「好き」なのかなあ。

★結論★
結局よく分らなくなってしまいました。
そういうのは簡単に「言葉」では表せないのかもしれないですね(笑)

・・・つぶやき・・・
そういう「好き」な気持ちが私の中にあるのかもしれない。
自分でもよくわからない。
もしそうならこれは自分の中に留めておくしかない。
思うだけだったら誰にも迷惑かけないから。

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風まかせ ~byゆず~

私は「ゆず」の音楽が好きです。前向きな歌、癒しの詩、いろいろ。
代表曲もいろいろあるけど、「風まかせ」という曲もメロディーと詩が
切なくて好きなんです。

★風まかせ★ ~byゆず~

鏡の中曇った笑顔の僕を見た
優越感を食べたせいなのかなんてチョットね
いつの間にか大切なものは自分だけになっていた

誰もいない夕暮れの街路樹で 涙が出そうだから 上を見上げてた

あせらずに悩まずに 行くあても見つけずに
空に浮かぶ気球に乗って 流されていきたいな

*~***~*~**~***~**
明日の天気予報は晴れだから行こう
置き忘れてた何かを探しに行こう
がんじがらめの毎日に別れを告げて

行き交う人達の交差点の中に 空っぽの心で大笑いしてた

金も欲も見栄も恥も 何もかも捨て去って
空に浮かぶ気球に乗って 流されていきたいな

心の中土足のままで 踏みにじる事よりも
包みこめる両腕が欲しいだけなのさ 両腕がほしい・・

*~***~*~**~***~**

ゆずの他の曲も良い曲たくさんありますが、他のアーティストも
いろいろ良いメロディー、良い詩がたくさんあるのでしょうね。
自分が知らないだけで。

最近は「ケツメイシ」も気に入ってます。
流行っぽくてミーハーで嫌だなーというあまのじゃくの人にも
是非聞いてほしいなと思います。

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2005年7月 9日 (土)

人は人。私は私。

私の会社に4月より関連会社から実習に来ているK君。
職場では遠慮しているような控えめな感じ。
でも話すと意外と面白かったりする。

最初の頃、私が「仕事の方はどう?」と聞くと、

K君:「うーん・・オレやる気の無さだけは誰にも負けませんから!」

私:「はー!?」   ビックリした。

実習に来て早々、いろいろ教えてあげる立場の会社の人に言うか??
まあ、実習は彼が望んできたわけでもなく、彼の上司に「2年間いろいろ
勉強してこい」といきなり言われたらしいので、もともとやる気があって
ここへ来た訳でもないようだ。
むしろ彼にしてみれば、はた迷惑な話だっただろう。

最近も私が「もうこっちにきて3ヶ月になるけど慣れた?」と聞くと、

K君:「うーん・・慣れません!!」

私も驚かなくなった。

それが彼なのだから。
正直でありのままで、それはそれでいいのではないか。
無理に調子を合わせて表面取り繕うより、裏表がなくこっちも
分りやすくていいかもしれないと思った。
自分と年も感覚も違うのでとまどうこともあるけど、彼は彼。私は私。

最初のうちは「仕事を面白くさせるにはどうしたらいいだろう」
「やる気を出させるにはどういう仕事のさせ方がいいんだろう」
あれこれ考えた。自分に置き換えて考えてみたりした。

でも今は、
「それが彼なのだから彼のペースでやってもらえればいいか」と
思うようになった。
仕事中眠そうにしていても、だるそうにしていても、その割に
ゴルフで休暇をとっても、いいじゃない。
それが彼なのだから。
それにやることはそれなりにきちんとやってくれている。
彼の場合キャラ的に面白く新鮮で逆に惹かれるものがある。

自分は「こうありたい」「こうあるべき」などと仕事やいろんなことに
対する価値観や考えがあっても、人は違うのだ。
楽な仕事がいいと思う人もいれば、やりがいのある方がいいと
思う人もいる。

自分の価値観を押し付けても仕方がないのだ。
他人を認めること、受け入れることも大切なのだ。

自分の中で決まりごとや理屈や基準をたくさん作ってしまうと
人がそれに当てはまらないと「あの人は嫌だ」とか思うようになる。
「嫌だ」と思うことは一つのストレス。

ストレスは上手く消化するにこしたことはないし、少しでも
少ない方がいい。
そうすることで自分を大切にできるんじゃないかと思った。

☆そして最後に実習生の社会人6年目のK君に対しては
 せっかく来たのだから少しでも楽しく仕事をして時間を
 無駄に過ごさず、無理をせず、彼なりに成長していって
 ほしいと思っている。戻るときは私淋しいだろうなあ。

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ブログを始めての感想

私はブログ初心者。まだ始めたばかり。

平日は夕方まで仕事をしていて、帰ってからもバタバタしているので
なかなか書く時間もなかったりするけど、結構楽しいのでなるべく
これからも書けるときにかいていきたいなーと思ってます。

自分のブログを充実させるにはまだまだ・・といったところで
いろんな人のブログを拝見させていただいてます。

いろんな人がいろんなブログを作っているので内容もいろいろ。
お気楽なユーモア系だったり、自分の心のうちを綴っているもの、
詩のようなリズム感のあるもの、綺麗な写真が満載のもの・・
みんなすごいなーと思います。

そして感じたこと・思ったこと・考えたこと・日常のあれこれを言葉
で表現していてすごいです。
言葉だけでは表現できないものもあるでしょうけど。

私は慣れてないのでブログに出てくる専門用語についていけない
ところもあるのですが、徐々に慣れていければいいなと思います。

そして「コメントの書き込み」。
最初のうちは、人のを読んでいるだけでした。それに対して思う
ことがあってもコメントを書くのはちょっと気恥ずかしいような・・

そして、ある友だちの輪ができているところに「私も入れて」と
いうシチュエーションに似てて、人見知りの私はブログの中でさえも
ためらっていたのでした。(今でもですが)

その人がどういう人かまだよく知らない、どれだけ長くブログを
築き上げてきたのか、ブログ上でどういう人たちとどの程度
親しいのか、私が書き込みするのは場違いなのではないか、と。

でもやっぱり気になる記事やブログを読んでいると、私なりに
伝えたいものが出てくる。
そうして最初の一歩で書き込みをしてみたのでした。

私もいろんなことを書いていきたいと思ってます。

ただ言葉で表現するということは、ある意味デジタル的な表現
であり、時によっては言葉で表現することによって余計に
自分を追い込んでいったり、自分がそれによって暗示にかかって
いったり、言葉に表すことで自分の気持ちがより助長されて
いくこともあったりするような気がします。

それで自分の全てを表せるものでもないけれど、それでも「書く」
ことは自分を見つめる・気持ちを整理する上でも大切なのかも
しれません。

それでいて自分で自分を励ましたり慰めたりもできるしね。

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2005年7月 3日 (日)

幸せとは何でしょうか

唐突に、そして究極のテーマなのですが、幸せ」とは
何でしょうか?

仕事が順風満帆であること、健康であること、お金持ちであること
好きな人と楽しい時間を過ごすこと、趣味を楽しんでいるとき・・

それが、"何の状態であるか" が幸せ、というよりは
"今自分が満ち足りているか"どうかなのではないか、と思ったりします。

その"満ち足りているか"というのは自分が今こうでありたい、自分が望ん
でいることに対してどれだけ満足しているか、ということかもしれません。

仕事で活躍したい自分の望みに対して今うまくいってて満ち足りていれば
その状態は「幸せ」。

好きな人と一緒にいたいという自分の願いに対して、今好きな人と
過ごすことができればその状態は「幸せ」。
逆にその反対だと自分は満たされず「不幸感」を抱いてしまいます。

「幸福感」はそのボーダーラインによって変わってくるようにも思います。

自分があまりにも望んでいることが大きすぎて、多すぎて、高すぎて・・
というときには満たされることが少なくて「幸せ」を感じにくいのかも
しれません。

夢・目標・理想は高く、ということもありますが、望んでいることが
高いのであれば、自分がそれなりの努力をしてそれを得られるよう
頑張らないといけないように思います。

それが難しいのなら、ボーダーラインをちょっとだけ低くして、
ささやかなことにも「幸せだ」と感じられるように自分の基準を
変えてみるのもいいのではないでしょうか。

自分の望みが多すぎたり高すぎたりすると、今の状態に不満が
募ったり、嫌だと思うことが多かったり、なんで自分だけ不幸なのだと
落ち込んだり・・自分で自分を追い詰めているようなことにも
なりかねないのではないかと思います。

そもそも自分が何を望んでいるのか・・を自分で探し出すことも
難しいのかもしれません。

たらたらと書きましたが、人の考えや価値観は千差万別であって、
「幸せ」についても皆思っていることは違うと思います。

皆それぞれ自分なりに「幸せ」について考えること、自分を
見つめることが大切なのでしょうね。

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人の痛みが分らない上司は管理職とはいえない?

私の業務に関係する仕事でいつもお世話になっているM主任が
関連工場にいます。
いつも電話で依頼したり調整していただいたりとても助かってます。

先週そのM主任にいつものように業務の件で電話をしたところ
「僕はもうこの仕事はそう長くないかもしれないから」と
言われました。

定期人事異動で異動されるのかな?と思っていたのですが
よくよく聞いてみると「会社を辞める」つもりらしいのです。

私は「えっ??」と思わず体が前かがみになり声をひそめて
そのまま電話で話を聞きました。

理由は、本人にしかその深刻さは解りえないのだろうけど
M主任一人にかかる負荷・重圧、リソースの不足、そして
それに何の対処もしてくれなかった周囲の環境・・

その工場の製造部に超厳しく・超細かい・超完璧主義の
御偉い管理職の部長がいるのだけど、M主任はその部長にまで
決定的な暴言を吐かれたという。
それがM主任の「会社を辞める」後押しになったと・・。

M主任は周りからの評判もよく、さばさばと仕事をこなされていた。
仕事をこなされていただけに、それほどの負荷を心理的にも
抱えていたとは気づきませんでした。

なんでM主任が会社を辞めなくてはならないのか・・
1年前からM主任は上司に今の仕事の負荷が多すぎること、
アシスタントが不足していることなど相談していたらしいが
まともに取り上げてくれなくてズルズル今の状況に追い込まれて
しまったようです。

管理職とは何なのでしょう。

仕事において自分のノルマや自部門・部下の目標が達成すれば
それでいいのでしょうか?

当たり前のことですが、人をマネージメント・ケアするのも立派な
管理職の仕事。

人の痛みが分らなくて、部下の抱えるストレスに気づかなくて
どうして管理職と言えるのでしょう。

そしてそれがまかり通っているこの会社にも嫌悪感を抱かずには
いられません。
ただ自分は会社に雇われている立場であり、嫌悪感を抱きつつも
どうすることもできないし、何かが出来るわけでもありません。

仕事に関しては会社に対して何らかの貢献はできても、
会社の組織に対しては、末端にいる自分は無力なのです。

M主任に「他に解決する方法はないのですか」
「私も仕事で困ります。辞めないで下さい」と言ってはみたものの
これまでの苦痛が深刻だったことを聞くと、さすがにそれ以上
引き止めることはできないような気がしました。

本人がそれで楽になるのなら、自分で納得して答えを出したので
あれば、一緒に仕事をする仲間が減るのは淋しいけど、残念だけど
自分もそれに納得するしかないのかな・・と思いました。

とても残念です。

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ジェネレーションギャップ

7/1に出張に行った時のことを書いてましたが、その文末に出てきた
実習生の男の子(27歳:K君)を私の車の助手席に乗せて出張から
帰る途中のこと。

話がマンガの話題になって、K君はマンガが好きとのこと。
確かに27歳の割には少年っぽいというか幼さが残っていて、
"最近の27歳は皆こんなもんか??”と思いました。

「何のマンガが好きなの?」「私もマンガ好きなのよねー」と
ちょっと無理して調子を合わせたところ(マンガ好きには変わりないけど)

★K君:「”はじめの一歩"とか"○○××"(←思い出せない)とかが
     好きですねー」

☆私:「ふーんそうなんだ。(そのマンガよく知らないから分らない・・)」

★K君:「"△□※~"(←これまた忘れた)っていうマンガは知ってます?」

☆私:「んー、、、知らない」

同じ会話が繰り返され・・

★K君:「じゃあ(yacco)さんは何のマンガ知ってるんですか?」

☆私:「えっ?えーっと、"シャコタン・ブギ"・・・・かな?」

★K君:「ええーっ!!それうちの会社のM主任(40歳ちょい手前?)と
     同じ(レベル)じゃないですかー!!」

K君は私のその返答にとてもビックリしていたようでした。
ジェネレーションギャップを感じた瞬間・・・。
でも私もなんであのマンガを答えてしまったのだろう??と
思ってしまいました。(確かに実家に揃えて持ってるけど)

☆私:「どうやら同じマンガ好きでも話がかみあいませんな、ハハハ・・」

と空しく笑ってその話題は終わってしまったのでした。

年下の男の子を前にこっちが緊張しすぎて変な言動をとって
しまったまさに変な女の話・・。

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2005年7月 2日 (土)

私が思う仕事の心得

会社に勤めて10年以上になるのだけど、最近になってしみじみ
思うことがある。
新入社員のころ、4~5年目の頃には見えてなかったもの。
いろんなトラブルやつらいこともあったけど、それで気づいたこともある。
そこで自分なりに仕事についての心得を考えた。

★1.仕事は真面目に誠実に
  全てを真面目にしなくても大事なことは真面目に誠実にやる。
  人からの依頼、他部門からの依頼は確実に回答し実施する。
  (判断に迷ったときは上司に相談する、出来ないことも出来ないと
   はっきり伝える)
    ⇒信頼関係に結びつく。人から信頼される。自分が仕事を人や
     他部門に頼むとき快く引き受けてもらえる。

★2.仕事を選り好みしない 
  給料もらうからには嫌な仕事も受け入れる。それが社会人。
  慣れてくると仕事の大小が見えてきて、ずるい気持ちが芽生えてくる。
  そんな時が要注意。面倒だから、工数がないから、嫌だからという
  理由は社会人には通用しないことを忘れずに。
  嫌なことでもやっただけ周りから認められる。
  但し何でもかんでもやるのではなく、自分の担当範囲外であるとき
  や判断に迷う場合は上司に相談する。

★3.苦労を伴う仕事のあとや失敗したあとは自分自身も成長・進歩する
  困難な仕事、苦労する仕事や、仕事で失敗したときは精神面での
  負担が大きいが、それだけ苦境を乗り越えたとき自分自身が
  ひとまわり大きく成長する。
  目の前に聳え立つ山をみて“大変そうだから”と登らず楽な道を
  選べばそれだけのものしか見えない。
  大変でも地道に登れば視野が広がり何かが見えてくる。  

★4.変なプライドは捨てよう。但し自分に誇りを持つ。
  “プライド”と“誇り”は同じようだがちょっと違う?
  “プライド”は自分を虚栄するためのもの、“誇り”は自分を信じる
  ためのもの。
  プライドが高いだけだと人に譲ることもできない、人の話を聞くことも
  できない、人の考えを認めることができない。
  “誇り”を持つことで自分に自信が持てる。自分に自信と余裕が
  できるといろんなことを許容できる。

みな仕事人はそれぞれ自分なりのポリシーを持って仕事をしていると
思います。
どうせ仕事するなら少しでも楽しく、いい人間関係のもとで仕事を
したいです。そのためには自分も内面的に成長することが
大切なのではないかと思った今日この頃です。

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プライバシー

ブログを始めたいと思ってやり始めてまだ1週間。

私は「ながら族」なので、リビングでテレビを見ながら
ノートパソコンを使ってブログを書いてます。
夫は主に2階の寝室にあるデスクトップパソコンを使って
インターネットetcをやってます。

ブログを書いているときも側に夫がいたりすると
なんだか書きづらい。
自分の日記=独り言=本音だったりするから
全くの見ず知らずの他人であれば他人だからこそ
読まれても構わない部分があるのだけど、身内の人、
親しい人に読まれると都合が悪いわけでもないのだけど
書く内容を意識してしまって本当のことが書きづらいのです。

「本当のこと」って何だろう・・?うしろめたいことはないのに。
・・なんて既に夫に読まれても構わないような書き方になってる。

家族にもプライバシーがあってもいいのにな。
心の中だけで収められないものだってあるのにな。
吐き出したいもの、全然関係のない、自分の世界ではないところにいる
誰かに聞いてもらいたい事だってあるのにな。

・・って私がこっそり秘密でブログを楽しめばいいだけのことだけど。
リビングで堂々としたりするからその行動がバレバレなのです。

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2005年7月 1日 (金)

ちょこっと出張

今日は午後からちょこっと出張に行って来ました。

会社から1時間ほどの協力会社(工場)。
郡部のほどよい田舎にその工場はあり、マイカーで
ちょっとしたドライブ気分。

たまの出張なので車の運転中は楽しいのだが、目的地が
近づくと「あー・・これから打合せか・・」と少々テンションダウン。

夕方6時前に打合せが終わり「それでは失礼します」と
自分の車に乗り込むと一気にまたテンションは復活。

「あー今日もなんとか頑張ったぞ」「ん?会議中ボーッと
してただけなんだけどな、あれで頑張ったとはいえないな」
などとあれこれ思いながら「とにかく終わったぞ」という感じ。

マイカーで近地の出張に出かけるのは好きな方。
出張に移動中の車の中は唯一の自分の自由な時間だから。
(でもこれがしょっちゅうだとそれも嫌気がさすんだろうな)

車での出張移動はささやかな息抜きの時間。
帰りにコンビにに寄ってジュースなど買って
車の運転を楽しみながら、ゆずの音楽を聞きながらのんびり
帰るのです。
しかも今日はうちの会社に4月から実習で来ている
私より9歳も年下の関連会社の男性社員K君を一緒に
連れて行ったので、より楽しいプチドライブとなりました。

帰りのコンビニでアイスとジュースをおごってもらいました。
ラッキー♪でした。

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